二章「魔法学校」 3
3.
保健室で手当てした傷がうずく。アンナは廊下をとぼとぼと歩きながら、職員室を目指した。
ケンカの際に一度、呼び出しで一度、日に何度も訪れるのは流石のアンナでも中々ない。日が暮れ始めるともう帰宅しているか、研究室に籠るかしていて、視線の少なさに胸をなでおろす。
室内を見回し、スフィアを探す。いつも座っている机にはおらず、どこに行ったか若い女性の先生に聞いてみる。
研究室に向かったそうで、女性の先生にお辞儀をしてから後を追う。職員室を出て、二階に上がり、隅の部屋がそうだ。
丁度、部屋の前でスフィアがいた。なにやら、頬を掻いてドアノブを弄っている。
「先生、なにをしているんですか?」
「あぁ、アンナさん、ちゃんと来てくれたんですね。ちょっと待ってください、あれ……おっかしいな」
「鍵、間違ってるんじゃないですか? 私取ってきますよ」
鍵をドアノブに差して回すが戸は開かない。
真面目で真摯に授業を行うさまとは裏腹に、意外にも抜けているところが生徒に好かれていたりする。
「そうかなぁ……いや、いいや。ちょっと待っててください」
スフィアはそう言って、ドアノブから手を放し、懐からペンを取り出して鍵穴に突き刺した。
「これをこうして、久しぶりだからなぁっと」
ペンに細かくひねりを加え続ければ、がちゃりと金属の擦れる音が鳴る。
「えっ、開いたんですか? どうやったんですか今の」
「ペンのインクを操って鍵穴に合わせ、あとは圧力を加えただけですよ。私も学生の頃はやんちゃでしてね。こうして、研究室から試験の答案を盗んではいたものです。まぁ流石に魔法でドンパチなんてマネ、滅多にしませんでしたけどね」
鍵穴から抜いたペン先には、黒い鍵が出来ていた。鍵は崩れてペンの中に戻っていく。
アンナがスフィアの研究室を訪れるのは初めてではない。作業机と、それからくつろぐためのソファーと机、部屋の隅にはまだ片づけ切れていない荷物や資料が積まれている。
都から辺境の地へと派遣されたスフィアが、学校から任された仕事は、授業を行うと同時に、まだ師の決まっていない生徒への指導だった。アンナ以外にも三人ほどいたが、適任の師を見つけ間もなくして弟子となってもらえた。
「どうぞ座って。説教はしませんから安心してください。今日は、進捗を聞きたいんです」
「進捗、ですか。それって、シン先生のことですか?」
「うんうん。その通り。というか、昼間寝てしまうのも、それが原因なんですよね? 一体全体、どんな魔法を教えてもらっているのか、興味がつきません。あのイスタルの弟子ともなると、やはり生半可なものではないのでしょうか。噂によれば、エルフの森で四六時中矢の的にされ第六感を鍛え、卒業試験では獰猛だと言われている幻獣ユニコーンの角を追って持ちかえっただとか、いや聞くだけでも胸が躍って」
「先生……?」
「ハッ、す、すいません。イスタルのことになると、どうにもいけませんね」
何度目かの面談のときもそうだった。スフィアから尊敬している魔法使いはいるかと聞かれたときに、オウム返しにしたのが事の始まり。
一時間近くイスタルの話をされたのだけは、アンナも覚えている。内容はほとんど理解できずに、耳の穴から抜けていったのだが。
「いえ……先生がイスタルさんを尊敬されていたから、私もシン先生のこと、相談できたわけですし。ルーギスさんならもしかしたら、っていう先生の助言も大変助かりました。ありがとうございます」
「とにかく、アンナさんの師匠が見つかってなによりです。これで私もお役御免、アンナさんは修行に励んでくださいね。あっ、授業中は出来るだけ寝ないように。あとそれから出来たら、出来たらでいいんですが、修行内容を教えていただけると。本来、魔法の修行は門外不出、口外を固く禁止されているところが多いですから、無理強いはしないんですけどね、それでもやはり気になってしまいましてね」
スフィアは誕生日プレゼントを待ちわびる子どものように足をゆすり、落ち着かない様子であった。
森の屋敷の戸は、ノックをすると一人でに開く。
一歩、足を踏み入れれば、ランプに火が点き、宙に浮き、二階へと誘われる。体をこわばらせ、アンナは灯りに誘われるままついていく。
シンはいつものように椅子に腰かけ、本を読んでいた。カエルの皮でも使っているかのような本は、面妖に照る。
「来たか……どうしたそのケガは」
本を閉じ、放り投げれば蝶のように羽ばたいて本棚に戻る。アンナは視線を戻して、仰々しく背筋を正した。
「実はかくかくしかじか、つまりは友だちと口論になりまして、私が弟子になれるくらいだから大したことのない師匠だってバカにされてそれが特に頭にきて」
「待て。今なんて言った」
「え、師匠をバカにされて」
「弟子にはしていない」
「えぇ!? いやだってやれるだけのことはやるって」
「言葉通りの意味だが。弟子に取るとは言ってない」
「えぇぇ……」
「ほら行くぞ。今日は主に獣を狩る。気を抜くなよ」
シンの後を追って屋敷を出て、森の中に入っていく。明かりはそれぞれが手にしているランプのみ。足元に注意しながら、シンの背中を見失わないように進んでいく。
一切の迷いなく進んでいくシンに、ついていくのも一苦労だ。木の根っこに躓き、転びそうになりながらもなんとか耐える。その間にもシンは先へ先へ行くものだから、駆け足で追いかけた。
シンの足がふいに止まる。
「先生っ。狩りって、こんな暗い中でどうやって」
聞こうとしたが、そでを掴まれ引き寄せられる。
「先生っ!? だ、だめですよこんなところじゃ」
「囲まれた」
「囲まれ……?」
べったりとくっつけていた顔を離して、ランプを持ち上げる。
何かが光ったかと、目を凝らせば見えてくる。二つの瞳と、暗闇に溶けているかのような黒い毛皮。牙をむき出しにして、低く唸っていた。
ランプをぶんぶんと振り、左右を照らせば、同じ獣が二匹、三匹と現れる。
ウルフだ。魔獣や幻獣のように魔法を使う獣ではないが、鋭い爪と牙は人を取って食うくらい容易い。
また目の前にいるのは、一般的に見られるウルフよりも、一回り大きかった。その大きさに圧倒されて、アンナは小さく悲鳴を上げ、シンにしがみつく。
「せ、先生」
「こいつらはちょっときついな。魔法に当てられて育ったせいか、肉体の肥大化が見られる。ほぼ魔獣と言っていいだろう」
「逃げましょう! さすがに飛べば追ってこれませんよねっ」
「飛んだら火と雷の雨に打たれて消し炭だ」
「なんなんですかそれ……や、やるしか、ないんですね」
鋭く光る獣の目に、たじろいでいるわけにもいかない。
ランプを掲げてその日を見つめる。炎のイメージをはっきりとさせ、ランプの火から移すように、魔法を発動させた。
アンナは魔法を使うのが不得意なだけで、使えないわけではない。発動までに時間がかかり、やろうとしていることよりも小規模になってしまうだけだ。
ウルフが獲物を見定めているうちに、火の魔法を作り出すことが出来た。シャルロットに比べればまだまだだが、火の玉が生まれる。
一匹くらいなら、と手を掲げ狙いを定めた。
魔法を放つ、その前に太い腕に制止される。
「キミではきついと言っただろ。借りるぞ」
シンがさらに腕を伸ばして火に手を突っ込む。
同時に何かを察した獣が、一匹二匹と飛び掛かってきた。
シンは火を掴んだまま、その場で回転する。手の火はより一層激しく燃え、散弾のように放たれた。
辺り一面に火の玉が飛散して獣の頭蓋や胴体を貫く。
火は燃え移ることなく消滅、森に夜の静けさが戻った。
「さすがにコレは食えんから、森の養分にする」
膝を付いて地面に手を添えた。
土が盛り上がり、獣だったモノに覆いかぶさり飲み込む。
アンナは瞬き一つせず、目の前の魔法使いを凝視していた。手慣れた動きはまるで知らない人だ。暗闇でその表情は見えず、思わずランプを握る手に力が入る。
「先生って、いつからこんなことを?」
「あ? あぁ十のころからだ。別にこんなことは出来なくてもいい。そら行くぞ、少し騒ぎ過ぎた。別の場所にする」
起き上がって手を払うなり、森の暗闇を進んでいった。
獣がいた場所を一瞥してから、身体を強張らせながらアンナも歩き出す。
どれくらいの時間が経過しただろう。アンナは肩で息をしながら、暗闇の奥だけは見ないようにランプを掲げていた。
これでも初めての散策に比べたら慣れてきたものだ。生傷は減り、体幹もよくなった。
意気揚々と満面の笑みで屋敷を訪ねたアンナに、シンが告げたのは魔法の使い方ではなく、森で一日生活できるようになること。
水や食料、寝床の確保を教わるが、その中に魔法のマの字も見当たらず。アンナはシンの言うとおりにしてきた。
「キミは理由を聞かないんだな。こんなことやっていて、バカみたいだとは思わないのか」
だからか、飛び出した木の根に腰を下ろしているときに、そう話しかけられ驚く。
「このサバイバルに意味を見出すのは、私ですから。先生は私のためにやってくれているんですよね。それなら、そこに疑問を抱くどころか、バカにするだなんて、ありえません」
「俺はバカだと思う」
「うえぇ!?」
「いやバカだと思っていた。俺がやらされていたときにはな。なんでこんなことしてるんだって。魔法は使わない、息はしづらい、悪臭はする、草も茸も水すらも不味い、さっきみたいな獣がうろちょろしていて、ろくに眠れもしない。命令だから仕方なくやっていただけだった」
「でも、意味はあったんですよね」
「特に魔法を使うのが下手なやつにとってはこれほど適した環境もない。キミの浮遊魔法は見たし、なんなら精霊にも嫌われている。後者は仕方なしとしても、前者はどうとでもなる」
「前にも先生は魔法が苦手だって言ってましたけど、全然そういう風には……精霊魔法だって見せてくれましたし」
「キミはさっき、どうやって火を起こした? おそらく現実のイメージから作り出しただろう」
「はい。ランプの火を見て、こうボウッと。というかそれが魔法なのでは」
「あぁ魔法だ。心を律し、それが確かな力となって現れる。物を切る包丁、稲を刈る鎌、戦で使う剣や鎧、そう言った道具にも似ている。人が必要として作り出したもの。だが本来、魔法というか魔法の種は自然物。そこにあって当たり前なんだ」
シンはおもむろに手を出した。
なにもないところから火が産まれ、手の上で燃えて辺りを照らす。
「体内の魔法の種で空気中の魔法の種に干渉、空気中の魔法の種を活性化させて酸素と結合すれば燃焼。それが火の魔法の仕組み、というのは習っているか」
「水土風は魔法の種の移動、木金は火と同じように活性化や結合を基礎とするもの、ですよね。理屈は分かっていても、上手にできないんですよね私……」
真似て火を出そうとする。
出てくるのは果実ほどの小ぶりの火で、すぐに煙となって消えてしまう。
「さっきのよりもひどいな」
「十回に一回は成功するんですけど、だいたいこんな感じで」
「体内から外へ干渉する際には負荷がかかる。抵抗力とでも言えばいいか。筋肉、血液、骨内部の魔法の種の量のバランスが取れていないと、外への干渉に支障を来たし、魔法が発現しづらい、もしくは使えない状態になる」
「生まれつき、ってことなんですか……? じゃ、じゃあずっとこのまま私、下手なまま」
「そんなことはない。使っていくうちに慣れるし、学校にいるならなおさらだ。内から外に干渉できるように、外からもまた内に干渉される。キミのそのケガは魔法によるものだと言ったが、矯正するには十分すぎるほどの効力がある。継続することが大前提だが」
「なんかそれは、嫌ですね」
高笑いするシャルロットを思い浮かべ、アンナはむっと口を尖らせた。度々ボロボロにされたのは気にしていなかったが、矯正されていたとなると頭にくる。
「まぁ身体は駄目になるだろうな。だからこうして、森にいる。特に魔法の種の濃度が濃いこの森で生活を続ければ、体内の魔法の種の許容量は増え、少しでも適応しようとバランスを取り始める。それでも矯正には限度があるが」
アンナは火よりも熱い眼差しを向けていた。
横目でそれを見るなりシンは口を閉じ、森の奥を覗く。
「……しゃべりすぎたな。俺たちみたいなやつらは、どうせ身体で試さなければ分からん。向こうに兎が二匹いる。行くぞ」
火を消して立ち上がるシンに、アンナは続く。森を行く足取りは軽く、頭の中で鼻歌を歌うほどだ。