二章「魔法学校」 2
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鐘が突かれ、始業する。ここ、魔法学校はハスミの街でも一際目立つ建築物だ。数百年前に建立、改修補強が繰り返されて今も残る木造りの学校は、街の人々に親しまれている。教会と魔法学校くらいが、この街の観光物でもあり、二つを目当てに足を止める旅人も少なくない。
西の大陸全土を見れば、魔法学校はいくつも存在するが中でも古いのがハスミの街の魔法学校である。かと言って優秀な魔法使いを輩出してきたわけでもなく、都から渡される指導要領に従い、自由と伝統を重視し、現代にあった人間力の育成を指針としていた。
それは教師へと伝達され、三年生の中高問わず全学年通して一貫された授業が行われていた。教師一人一人に個性はあれど、根幹は同一としている。
アンナのいる二年のクラスも例外ではない。
歴史を担当している若い男の教師が、机間指導中、うたた寝をしている生徒の隣に立つ。彼の名はスフィア。都生まれの都育ちで、都から派遣されてきた教師である。
「と世界樹を文字通り根こそぎ引っこ抜き、実の種を大気中にばら撒き、幹で九本の杖を作って魔法を操っていたのが、エルフのオズ、人間のウェルド、獣人のウィッチマンだったわけですが、彼らの弟子たちもまぁそれはそれは常軌を逸した人たちで、んん゛っ」
咳払い、発声練習の後に、手にしていた分厚い本を寝ている生徒の頭に落とす。
鈍い音が鳴った。
「おいったぁっ!」
生徒は悲鳴を上げて頭を上げる。勢いついて、本が吹き飛ぶほどであった。
飛んでいく本が羽ばたいてスフィアの手元に戻る。
「アンナさん。居眠りは感心しませんね」
目が覚めたアンナは声のする方に首をねじる。
スフィアはいつも柔和な笑みを張り付けているが、今はそう見えない。笑ってはいるが、ひきつっている。
「す、すいましぇん」
よだれを拭うと、周りから笑い声が漏れる。
「まぁ私も新任ですから、未熟な講義をしているのだという自覚くらいはあります。それでもみなさんにわかりやすく且つ楽しく学んでもらおうと、自分なりに工夫はしているんです。あまり効果はないみたいですけど」
「すいません……」
「これで三度目ですよ。放課後、職員室に来るように」
「はい……」
気のない声に、スフィアは鼻息を吐いて、教卓へ戻っていった。
「えぇとどこまで話しましたっけ。あぁ、大魔法使い三人とその弟子たちのところですね。彼らの残した術や教えは後の社会にも影響していきますね。テキストは読んできたと思うわけですが、おさらいとして答えていってもらいましょうか」
スフィアの顔は元に戻り、授業が再開された。
アンナはなんとか目を凝らし、寝まい寝まいと指をつねり舌を噛みして授業を乗り切る。
終了と同時にばたんと机に伏した。眠気と吐き気に見舞われるが、お互いが反発し合いどちらにもなれず、ただ低いうめき声を上げていた。
「ご飯も食べず、お昼寝ですか?」
清廉な声に反応して、しまりの悪いネジのように首をひねる。横に立っていたのはその声に似つかわしい容姿の女性だ。アンナの友人でもある。
色は白く、髪も銀色で日中に照らされ淡く光る。エルフよりもエルフらしい美人を探している、とこの街の者に聞けば、まず間違いなく彼女の名前を挙げる。ハスミの街の教会に身を置くシスターとしても有名であるからだ。
「うう~~リリィ~~あああ~~」
リリィ・アルタはいつも着ている教会の修道服ではなく学生服を身にまとい、それでも立ち振る舞いはシスターらしく、友人の頭を撫でた。
「よしよし」
「ああ~ねむい~」
「よしよし、よしよし」
それは子どもと母親のようで、しばらくしてからようやくアンナは上半身を起こした。
「ごはんごはん」
すぐさま教室を飛び出して、中庭で持参していた弁当を広げる。いつのまにかついてきていたリリィも一緒だ。ベンチに腰掛け、サンドウィッチを押し込む。勢いあまって喉に詰まれば、リリィが背中をさすった。
あっという間に平らげて、水筒の紅茶で流し込んだ。
「すごいすごい」
リリィはきゃっきゃと隣で小さく拍手をして、自分も食事に手を付ける。同じくお弁当でサンドウィッチだ。
「アンナ大丈夫? 夜はちゃんと眠れてるの?」
聞いて、小さな口でパンの端から食す。
その上品な仕草はアンナにとって見慣れたもので、まさに貴族と平民だとは思っても言わない。以前一度、寂しそうな顔をされている。
「あんまり寝てない……」
「例のお師匠さん?」
「ヒゲぼーぼーでもじゃもじゃの、めちゃくちゃ厳しいの、森の中でサバイバルさせられてるの」
「サバイバル……魔法の特訓よね?」
「木の幹を削ったり、ねっこを引っこ抜いたり。水の確保をして、それから食べられる草やきのこを探して、たまに小動物を狩ってる……寝ようとすると、耳元でがさがさって音がして」
「手が震えてるけど、大丈夫なのその人?」
「信じてるから。それに、厳しい先生もいいなって」
「そ、そう。アンナがそう言うなら、いいのだけれど」
手を震わせながら不敵な笑みを浮かべるアンナを見て、言葉とは裏腹に顔をしかめる。
そんなリリィの不安を他所に、アンナは食事を続けた。今夜もまた、師のところへ赴いて森の中で気の抜けない特訓が待っている。
サンドウィッチを口に放り込み、喉に突っかかればリリィが飲み物を渡した。
せわしない昼を送っていると、一人の生徒が近づいてきた。頭からは獣人特有の毛深く長い獣耳がピンと生え、茶髪のツインテールと一緒に揺れる。
アンナは食事の手を止めて、目の前で立ち止まった女子生徒に、虚ろな眼を向けた。
「ふぁふ、ふぁんほほう」
「品がありませんわよ。まず飲み込んでください。話はそれからです」
口がいっぱいのまま喋れば、女子生徒に鼻で笑われた。言われたとおりに、乱暴に咀嚼してから、再度目を合わせた。
「シャル、何の用?」
女子生徒、シャルロット・アルボレは、耳を立て胸を張り、アンナを見下ろす。
「クラスのリーダーとして忠告をば。最近のアナタはいつにもまして、たるんでいるのではなくて? 授業の妨げになるのなら、帰ってくださらない?」
とげとげしい物言いには、アンナもむっとなる。言われていることが正論なだけに、下手な返しも出来ず。
シャルロットとも中等部からの付き合いだが、リリィとは違いソリが合った試しがない。おまけに成績も魔法の腕も、アンナと違い優秀である。
だからこうして何事もなかったかのように、口の中にパンを詰め込む。リリィも隣でほほ笑んでいるだけだった。
「この間の実技の授業でもそうですわ。先生の熱心な指導は、あなた一人のためにあるのではなくてよ? まぁ家業の手伝いで忙しいのは分かりますが、それでも学校とはどういうところなのか、今一度考えなおしてくださるかしら」
「はーい」
「なんですか、その気の無い返事は。というか人の話を聞く時は食事の手を……いえ、分かりましたわ。そういう態度を取るというのなら、こちらにも考えがありましてよ」
そう言って、距離を取るとアンナに向けて手を掲げた。
手の先にある、なにもない空間に小さな赤い点が現れ、徐々に徐々に膨らんでいき、顔ほどの大きさになった。熱をおび、燃えさかる球体は火の魔法によって作られる。
「待って待って反省してるからっ」
アンナは慌ててその場を立って、走り出した。迫る火の魔法を目で追って、中庭の芝生に飛び込んだ。
火の魔法は間一髪当たらず。校舎にぶつかる前に跡形もなく消滅した。
「魔法のセンスがからっきしなアナタに、久しぶりに教えて差し上げますわ。授業で寝ている暇などないということを」
胸のふくらみを持ち上げるかのように、腕を組んでアンナを見下ろした。
シャルロットを中心に火の魔法がいくつも生み出され、宙を揺らめく。
中庭の騒ぎに気付いて、リリィを含め中庭にいた生徒たちは校舎の中に逃げ込み、校舎にいた生徒からはヤジが飛ぶ。教員が飛んでくるのも時間の問題だ。
アンナは、むっとして立ち上がった。体に付いた草を払い、シャルロットと向かい合う。
「私はもう先生の弟子だから、ごめんだけど、シャルに負けてられないの」
「あら? アナタ弟子入りできたの? まぁアナタが弟子入り出来るのだから、大したことのない魔法使いですわね」
「せ、先生を馬鹿にしたな! そのでかい耳ひっこぬいて先生の凄いところ聞かせまくってやる! うおおおおお!」
ヤジに負けないくらい、叫びながら駆ける。
手に意識を集中させ、風の魔法を展開。下から持ち上げるように手を振るい、いつか自分が吹き飛ばされたときのことを思い出しながら、風を巻き起こしてみせた。
シャルロットも風の勢いに思わず目を閉じた。浮かんでいた火の魔法も、大きく揺らぐ。
隙をついたと見て、懐に潜り込んで獣のように襲い掛かった。
けれど、シャルロットの目はすでに開いていて、逆に肩を抑え込まれる。
風を起こせたのは一瞬のことで、奮闘空しく、墨と火傷塗れになるまでものの数秒とかからなかった。