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一章「アンナ・ロマン」 2

2.

 ひびの入った窓から、僅かな光が差し込む。

 椅子からむくりと起き上がり、腹から落ちそうになった本を慌てて掴む。木に囲まれている屋敷も、日が天辺に登れば流石に明るくなる。

 本を放り投げて棚に戻せば、食事の支度を始めた。

 芋と草と、魚の乾物とを口に詰め込み、乱暴に咀嚼した後、水で流し込む。腹ごしらえを済ませた。

 寝ていた椅子に戻って、先ほどとは別の本を棚から浮かせて手に取り、窓から入る明りを頼りに読み進めた。

 寝て食べて、師の残した本を読み、また寝る。食料が尽きれば森と川に取りに行き、屋敷に戻る。魔法使いシンの一日はそれで終わる。

 浮世を離れ早数年。決して快適とは言えないが、師から学んだ魔法もあり、生活に不自由ない。

「……?」

 辺りは自然と静かなはずで、かすかな音でも耳を掠める。

 獣でも迷い込んだかと思ったが、風を斬るような音が聞こえて、徐々に近づいてくることも分かる。すぐに人だと分かった。

 シンは本を置いて立ち上がる。

 扉を叩く音とともに、聞いたことのある声が屋敷に響いた。

「シン。シン・ライトニング氏はいるか」

 人の声を聴くこと自体が懐かしい。

 昔からよく聞いた声なので、嫌でも覚えている。師であるイスタルの友人、エルフのルーギスである。

 扉を開けるとルーギスと、その後ろにロマンという女子の二人が立っていて、弟子にしてくれなどと急な話を申し出てきた。

 弟子を取るなど、シンは考えたこともなかった。このまま老いて朽ちるまで屋敷暮らしでいるつもりだったからだ。だがすぐに結論は出る。

 応対を終えてから椅子に戻り、またイスタルの残した本を読み始めた。



 しばらくしてから外に出る。先日から仕掛けていた罠に小動物が掛かっているかどうか確認するためだ。

 庭にはまだルーギスとロマンがいて、古木と蔓草で作った手製の椅子に腰かけていた。それどころか茶をして寛いでいる。

「なにを、している」

「頼まれごとをされてみないかい?」

「都へ用事があるんじゃないのか」

「あるけど別に急いでるとは言ってないよ」

「なんなんだ……」

 頭を抱え、同じように椅子を用意して座る。

「おいエルフ。お前はいつもそうだ。誰も彼もがお前を敬うばかりだと思うなよ」

「なんだよ急に。私とキミの仲じゃないか」

「あぁ酔っ払いとその介護の仲だな。今はその子にさせてるのか、えぇ?」

「こんな可愛らしい子に介抱してもらいたいものだが、いや残念、キミの下につきたいというのだから諦めるしかない」

「せ、先生!」

 アンナが勢いよく立ち上がる。

「弟子にしてください! お願いします!」

 間を置いてから、シンも腰を上げる。

 それからアンナをじっと見つめた。

「ロマンさん」

「はいっ」

「イスタルの魔法を学びたいのなら諦めなさい。彼女の魔法は、彼女独自の技法が多く、ほとんどが再現できない状態にある。こればかりはどうしようもないことなんだ」

「私、先生の魔法を学びたいんです。先生から教わりたいんです」

「俺の?」

「はいっ」

 獣人ならば尻尾を振りまわしていたに違いない。それほどまでに興奮して前のめりになるアンナから、シンは少し距離を置いた。

 目蓋を閉じて、暗闇の中の昔の自信と重ねる。

 弟子を持つということはどういうことか。

 勿論、外道魔法使いが弟子を取るなどあってはならないことである。

「悪いことは言わない。やめておきなさい。都への道中にある街でも、もっと腕の立つ魔法使いはいる。しかしこんなところまで足を運ばせて済まないが、知ってのとおり、俺から推薦状を書くことも出来ないから、なんならルーギスにでも」

 片目を開き、反応を窺う。

 アンナは大きな瞳から、ぼろぼろと涙を流していた。大粒の涙は頬を伝い、襟を濡らす。

「あ……?」

 シンはどうすればいいか分からず、困惑するばかりだ。ルーギスに目で助けを求めても、舌を出されてさらりと躱される。

「そ、うですよねっ。才能ないしわだし、レイみたいに頭良くないし、いりませんよねそんな子っ。先生だって、だから、嫌になってっ」

 鼻をすすり、止まらない涙を必死に拭き取る。

「いや、あのえっと」

「ごめ、ごめんな、ざい」

「なにも泣くことは……あぁ、ルーギス。どうすれば」

 頭をぼりぼりとかき、ルーギスに助けを求める。これにはたじたじであった。

「弟子にしてあげればいいじゃない」

「だが、しかし」

「そういえばイスタルがお前を拾ってきたのは、ちょうど今のお前と同じ歳だったか」

「…………」

「昔っからそうだ。頭が固いとは思わないかい」

「説教はよしてくれ」

 シンはアンナの肩を叩く。

「ロマンさん。やはり弟子には出来ない。これは単純に俺の修行不足のせいでもある。それは分かってくれ」

「うっ、はいっ分かり、まし、た」

 アンナは泣くのをやめて、目元を赤くはらして頷く。

 シンは大きく息を吸い、背を向けた。

「弟子にはできない。が、学びたいと思うのなら、また訪ねてくるといい。簡単な本ならいくらでも貸そう。いくつか魔法も見せよう」

「えっ?」

「俺ができるのはそれだけだ」

 アンナは花嫁のドレス姿に見惚れた子どものように、溢れんばかりの笑みを浮かべる。また涙を流して、何度もお辞儀をした。

 二人が帰ったのは、その日の晩、食事を庭で済ませてからである。

 片づけを済ませて屋敷内に戻り、ゆっくりといつもの椅子へ腰を下ろす。

 他人と話をするのが久しぶりであったため、どっと疲れが押し寄せた。喉が痛む。本を読む気になれず、目蓋を閉じれば、眠気が押し寄せる。

 アンナの姿が目蓋に映り、夢と現の狭間で記憶が蘇える。そんな子もいた、程度にしか思っていなかったが、確かに覚えがあった。

 人の道を外れてからというものの、純真無垢な眼差しを思い返せずにいた。

 アンナの視線は一際強烈であった。イスタルに付き添って街に行くと、金魚のフンのように後ろをついてきて、終いには弟子にしてほしいとお願いされる。

 世には悪評が散らばり、黙って姿を晦ませた者の後をまだ追いかけてくる、その心の内は当人にしか把握できない。

「アンナ・ロマン……か」

 ぼそりと呟くと、意識が遠のいていく。

 アンナは森を通ることができた。これはイスタルに認められたも同義である。森にはイスタルの魔法が施されており、今も尚、邪な心を持つものは屋敷にたどり着けないようになっている。

 考えている間も虚ろな目である。兎にも角にも疲れていた。東の地で拾われたときの記憶までも想起するほどに。

 それからしばらくして目を覚ますと、見ていた夢も、ぽんとすぐに忘れる。

 屋敷には鈍い音が響いていた。戸を叩く音に慌てて起き上がった。



 まだ暗い部屋の中でランタンを手に外へ出る。

「おはようございます先生っ!」

 同じく手にランタンを持ったアンナがいた。檸檬色の髪が光る。

 目を細めて、無言でいるとアンナが首を傾げた。

「シン先生?」

「…………早いな。一人で、来たのか」

「はいっ」

 服の端には泥が付き、木の葉も肩に乗っている。

 視線に気付いて、恥ずかしそうに身だしなみを整えた。

「お邪魔でしたでしょうか」

「いや。どうぞ、上がっていってくれ」

 部屋まで案内する。

 本や壺、小さいものならガラスの試験管まで散らばった薄暗い部屋には、人一人通れる道が一本だけ。天井の隅には蜘蛛の巣が張り、机は埃が被っている。

 ここだけではない。屋敷内が、人の住んでいる風貌でなく、生活感の欠片もない。隅々から虫や鼠が湧いて出てきそうであった。

 唯一、日差しの差し込む窓辺の椅子に、どかっと腰をかけた。

「机や椅子は勝手に使ってくれて構わない」

 そう言われても、という表情のアンナを見て、あぁと一人納得する。

 シンが手を一振りすると椅子が一つ浮き上がり、アンナのそばに落ちる。

 どこからともなく吹いた風が、椅子のほこりを落とした。

 机の上も同様だった。モノが勝手に浮遊し、割れ物は壊れないようにそっと部屋の隅に移動し、本は本棚に整理される。

 それからシンは昼間で本に没頭した。アンナの様子は知らない。ちらちらとシンの方をうかがっていたが、基本は机の上に本やらノートを広げて勉強していたくらいだ。

 シンは窓から空を見る。

「昼か。どれ、昼食でも用意しよう」

「えっ?」

「食べんのか?」

 そういえば、とお茶すら出していなかったことを思い出す。なにせ、人と会うのは数年ぶりになる。礼儀作法などうろ覚えだ。

「先生、それなら私、作ってきました」

 アンナは持っていたバッグから、木の幹で作られたケースを取り出した。少し大きなケースが開けられ、中には色彩豊かなサンドウィッチが並ぶ。

「そうか。では俺は干し肉でも持ってこよう」

「そうではなく」

 ばっと手を突きだされた手に、シンは動きを止めた。

「先生の分も入ってますから」

 ケースごと差し出される。

「よかったら、どうですか?」

 顔を赤らめ、少しばかり強張った表情で、それでいて困っているようでもあった。

 アンナという女子は、シンにはつくづくよく分からない子のようだ。



 食事中、シンは言う。

「魔術は人の生活を豊かにする」

 実のところ、黙々と食事をするのに耐えられなくなっただけだったが、わざわざ言うまい。腕を組みせめて偉ぶっている。

「例えば、まだ10もいかないイスタルが開通に携わったという大水道は、都市の管理部により維持され、西大陸全土の生活水の地盤を築いた。熱魔術や黒魔術による滅菌、流転魔術の循環が根幹を成すがさほど複雑な術ではない。要は発想なんだ。いま何が問題で解決するためには何がどれくらいほしいのか、そう考えることは生きていれば何度もある。その手助けをしてくれるのが魔術であり、経験を積めば積むほど無駄なく洗練されていく。稀にイスタルのような例外は現れるが、エルフだろうと獣人だろうと人間だろうと、それは変わらん」

「は、はあ」

 かくいうアンナは食事の手を止め、ぽかんと口を開けている。先ほどまでほとんどしゃべらなかったシンが、ふいに饒舌になったものだから無理もなかった。

「では魔法は? 魔法と魔術は違うが、違いがなにか分かるか?」

「えっ。魔法ですか。魔法は、えっと、魔術を使う心を律するものだと、子どものころシン先生から習いました」

「俺から?」

「はいっ」

「……まぁいい。魔術は生活を豊かにするが、魔法は人の心を豊かにする。豊かさを生むためには余裕が不可欠であり、その余裕を生むためにこそ魔法はある。副産物として生まれる事象こそが発火現象であったり、先ほどのような風であったりするだけだ」

 貰ったサンドウィッチを食べきり、ぱんぱんとパンくずを払うと立ち上がった。

「魔族を呼ぶ召喚術やエルフの使う精霊術などの細分に触れなければ、そんなところか」

 一通り話し終え、感慨にふけるように森の深緑を見つめて数分。

「やはり、よくない。よし。止そう。キミはここに来るべきではない」

 これには、アンナもたまげて、手にしていたサンドウィッチをぽとりと落としてしまう。

「おいしく、なかったですか?」

「そうではなく。話の流れをだな。つまりはこんなボロ屋にいてもキミの為にはならないと言いたいんだ」

 振り向くと、少女が一人、まるで断崖絶壁から突き落とされたかのような顔をしていた。

 今にも泣きだしてしまいそうだ。どうにも年相応とは言えず、シンには何をどうすればそこまで思われるのか、覚えがない。獰猛な獣や山賊から守ったわけでもなく、特別な扱いなどしてないことは確かだった。

「どうかしていた。見せられる本も数冊しかないのだから。なにせ俺の魔法のほとんどはイスタルの猿真似、それから適性のある死霊魔術くらいなものだ。基礎となる火水木金土からも、およそ学生のうちに習う範疇からも逸脱している。今の世が戦火の真っただ中で、物理的にも倫理的にも暴力的な魔法が必要であるというのなら、また話は変わってくるだろうがね」

「それでも、私はっ」

 アンナの叫びを一睨みで黙らせる。

 熟練の魔術師の眼には力が宿ると言われている。シンのそれも近しいものであった。

 アンナは口を閉じ、うつむいて、胸に握りこぶしを作る。ぎゅっと握りしめられたこぶしはアンナが部屋を出ても解かれず、そのまま森の中へと消えていく。

 シンは小さな背中を窓から見送った。

「イスタルよ。アナタが彼女を認めようと、俺はそれを許さない。俺はアナタの弟子で、今はこの屋敷の主なのだから」

 風は強く吹いているが、木々の一つも揺れはしない。

 森は恐ろしいほど静かだった。

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