二章「祭りの前」 1
1.
授業を終え、シンは足早に教室を出ていく。頭痛はするものの平時に置いて支障はなく、それよりも靄が張れず虫の居所も悪い。
人にモノを教えるのは何も今回が初めてではない。剥奪されたが都で教員試験も受け免許状も頂戴し、実際にアンナに魔法を教えている。
知識も知恵も経験も、あらゆるものが足りていない中でどうやりくりしていくか、模索している真っただ中。挙句居心地の悪い空間に捕らわれるのだから考えも行き詰まる。
背中から師の嘲笑う声が聞こえ、幻聴だと分かっていても槍で腹を抉られる気分だ。賊の残党狩りの後、捕らえた賊を懲罰だと宣い、魔道具生成の実験体にしたあの魔女の拷問染みた実験が脳裏をよぎる。
そんな唯我独尊を貫いた魔女でも、人に教えを説くのは得意だというのだから甚だおかしな話である。
世の不条理に当たり散らして、小さな校舎の廊下の隅で何を得られるわけでもなく、代わりに前からやってきたのは、男の教員だった。
教員の名はカスケード。幅を取る体型はどちらかと言えば筋肉に近い。童話に出てくるドワーフだなんて誰が最初に言ったのか、以来生徒たちの間ではドワーフ先生と親しまれている。
カスケードは蓄えた髭を弄り、小脇に木箱を抱えながら鼻歌を鳴らす。髭から手を放し、野太い声を上げた。
「バン先生休憩ですか? 部屋から出てくるなんて珍しい」
「えぇまぁ。先ほど授業を終えたので息抜きを。カスケード先生は随分と機嫌がいいように見えますが」
「ちょっといいモノが手に入ってね。見ていきますか、見ていきましょうよ」
「その腋のモノですか」
十中八九、魔法道具の類なのは分かった。シンがこの学校に就任し、義手のことを尋ねられ、同じ専門分野を研究していると判明してからは意気投合。校内で交流のある数少ない人間だ。
カスケードはぐっと木箱を抱え込んだ。
よく見れば子どもの頭ほどはある。
「バン先生はもうすぐこの街で祭りが行われるのはご存知ですかな?」
「通りがやけに忙しないのはその準備だと、弟子から聞いています。農作を願うとかなんとか。もしかして、それを使うんですか?」
魔法道具と言っても多種多様、ピンからキリまで存在する。祭りに使うのなら、都の楽団の演奏を録った蓄音機、人を模る煙を噴出し芸や擬闘を披露する装置等が挙げられる。どれも値が張り、借りるか生業とする人間から買い取るかしなければならないほど、そもそも市場に出回っておらず、目にする機会も希少である。
食い入るように見ていると、カスケードはガハハと笑ってみせる。
「街長から頼まれてね。都の知り合いのツテで譲ってもらったんですわ。先生もこんなもの見たことないと思いますよ」
「勿体ぶりますね。あぁそうだ。いい茶葉を譲ってもらったので持っていきます。ただで拝むのは割に合わない」
「気が利くねぇ。そうと決まれば善は急げだ」
大の男二人がにやにやとほくそ笑んでいると、別の教師が近づいてきた。カスケードとは正反対の、頬のこけた線の細い男性教師だ。
「カスケード先生、それからバン先生。こんなところで立ち話とはいい御身分ですね」
名前を呼ばれ、シンは溜め息を吐きそうになるが寸でのところで呑み込んだ。踵を返して声の主と向き合う。
教頭だ。これでもかとワックスで固められたオールバックの髪が怪しく照る。
教頭の蛇のような視線にもろともせず、カスケードは一歩前に出てみせる。
「これはこれは教頭先生もお散歩ですかな」
「不真面目な校長を探しているところです。どこかで見かけませんでしたか?」
「いえ自分は。バン先生は?」
右に倣えで首を振った。
校長のリアスは青い髪と尻尾を持っているため、嫌でも目立つ。出来のいい人形みたいな肌も合わさり、一度目にすればその不思議な雰囲気は記憶に焼き付くというもの。
教頭の溜め息は短い。短いが重い。
「そういえば、研究室にくだらない書置きならありましたね」
「ほう。そこには何と?」
「いえ私事ですので大した参考にはならないかと」
「何と?」
「……この仕事を辞めるな、とだけ」
「はぁ。ろくに仕事も出来ないのなら、校長と一緒に辞めてもらって構わないんですが」
それだけ言い残し、教頭は脇を抜けていく。よほど校長を目の敵にしているようで、そのツテでやってきたシンにも当たりが強い。
「ハバリ教頭とリアス校長、親戚同士なんだよ。前校長がリアス校長を指名してなければ教頭がその席に座るはずだったらしい」
「世襲制だったんですか」
「都の管理が行き届かない地域ではままあることでね。それでも一応、都で試験があるんだがね」
「受かったと」
「我々一般教員からしても、どっちでもいいのなら試験に受かった方を支持するってのが道理なわけで」
細長い背中を見送りながら、カスケードが小声で話す。
教頭の姿が曲がり角で消えてから二人もその場を離れて、シンの研究室に寄り道をしてからカスケードの研究室へ向かう。シンの使っている部屋と間取りは同じだが、書物で端々が埋め尽くされ、壁が埋もれて見えない箇所すらある。
本で出来た道を進むと客用のそれらしきソファがあったのでシンは腰掛けた。屋敷に似た雰囲気だ。持ってきたポットの湯を沸かして、茶を入れ始める。
「にしても、本当によく出来た義手だねぇ」
コップを手に取ると、カスケードの興味深げな視線が刺さる。
右手の義手は何で出来ているか、など話せるはずもなく、皮のグローブで覆っている。
「俺が造ったわけではないんですがね。そんなにいいものなんですか」
「木製だろう? 軋む音も静かで指の先まで滑らかに動いてる。使ってる先生の技量もあるんだろうが中々見ないよ、それ」
「義手なんてあまり見かけないもんですから」
「昔はわざと腕を切り落として魔術式を組み込んだ義手をつける兵がいたとか」
「非効率だと思いますが、当時の魔法技能の普及率が関係していたり」
「あとは俺のように魔法が得意じゃない人間を無理やり兵にしたって話。記録もほとんど残されていないし、あっても閲覧制限の掛かった書庫の中よ。お上は頭が固い」
カスケードは義手に向けていた目を瞑り、もう慣れたと言わんばかりに苦笑を浮かべる。
情報規制や統制というよりも、都と反乱側の強い意志により記録の開示に制限を設けた。三大魔法使いの創造物を王に据え、それに従う是非の問題が発端であった西の大陸の戦争は、貧困職種血筋土地食料と小さな火種を巻き込み、兵士市民問わず犠牲者を増加させた。
都と反乱側、双方の人的被害による疲弊で終戦。都が大陸中央の地下水源を放棄したことで反乱側の納得を得るに至る。
犠牲が多いとは言えあまりにも簡素な幕引きに、裏で協定が結ばれ情報制限をかけたのではと噂されることもあったが、何も資料を見られないわけではない。
手間と時間がかかるだけで閲覧自体は可能であった。
「戦争の記録を得るために戦争でも起こしますか」
「それもやむ無し。学会筆頭無血の抗議運動なんてのは格好もついていい。研究資料として活用する旨を記し、最大三年の厳正の審査ってのは面倒でたまらん」
「自分の足で周った方が遥かに有意義でしょう」
「知るためだけならそうするわな。かく言うコレも、旅先で出会った人のツテで手に入れたモノだしな」
カスケードはシンの向かいの椅子に腰かけ、目の前にあった小ぢんまりとしたテーブルの上に木箱を置いた。
「結局これは一体なんなんですか」
「花火さ。祭りには欠かせないだろう?」
茶をすすりながら箱を突く。
「花火?」
「何枚か魔術式の刻まれた鉄の板が入っていてね。それを地面に並べて起動させれば色とりどりの火の玉が打ち上がるって話さ」
「高く打ち上げるのなら、それなりの出力にもなる……色を弄るともなれば術式に手間もかかる。サーカスや都のパレードで使われそうな代物です。確かに珍しい」
「俺みたいな魔法が不得手でも扱える。資格はいるがね」
箱を開け、中に入っていた鉄の板を並べる。一枚一枚に不可思議な文様が浅く掘られていた。
シンは一枚の板を指差し、カスケードが頷くのを確認してから手に取る。光沢のある真新しい鉄板だ。軽く、厚みも大人の手ほど。顔に近付け目を凝らすと薄っすらだが、掘られた穴に緑色の宝石のようなものが散りばめられているのが分かる。
「この魔法石は見たことが無い」
魔法の種を取り込み保存する鉱石が存在するのはシンも知っていた。先の魔法活性化薬もそうだったが、主な用途はこうして魔道具に使用されること。
魔法石が砕ければ大量の魔法の種が放出され、先天的に魔法が使えない人、魔法を使うのが得意でない人でも、魔法や魔術を容易に行使できる。
「そいつは北方のクソ寒い山奥で採れる天然もので、探検家や登山家なんかは遭難した時にそいつ便りになることもあるそうだ」
「花火が打てるほどだから、よほどいい燃料になるでしょう」
「あとはマッチの火でもなんでも、火の気を当てて数秒放置すれば術式が発動するってわけさ。一枚は研究用に取っておこうと思っているんだが、よかったらバン先生もいるかね?」
「いただけるんですか」
「必要以上に送られてきてね。一枚くらいなら構わんさ」
「……ありがたい話なんですが、普段の業務にまだ慣れず。それまで預かっていてもらえませんか」
魔道具の研究をしようにも戦争をしようにも今は手一杯。生徒への授業、アンナの世話に信者への警戒と研究に専念できそうにもない。
「ああ。まだ赴任したばかりだもんなぁ。教頭の言ってることは話半分に聞いたらいい。まぁ確かに先生の授業は少し堅っ苦しく思いますがね。都の方だとそんなもんなんでしょうガハハ」
カスケードは大きく笑い、口の中へ紅茶を流し込んだ。