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一章「リリィ・アルタ」 1

1.

 西の大陸東方領域に位置するのは、ハスミの街という小さな街。白色の家々が立ち並び他に目立つものと言えば教会くらいで、辺境によくある田舎街であった。

 東方領域は一際四季に恵まれている。土壌も良く農作業を行うのには打ってつけ。ハスミの街の住人もまたその土の上で、日々の仕事に勤しんでいる。

 涼しい風が小麦の焼ける匂いを乗せて、大通りを吹き抜けていった。朝焼けと共に鳥の囀りも訪れてぽつぽつと人の影が見え始める。

 馬で荷車を引く者や牛乳瓶の詰まった箱を浮遊させて運ぶ者、中には屋根に立ち、遠方から飛んでくる鳥型の手紙を受け取る者もいる。

 ある一軒家を覗けば、一人の女性が指を鳴らして火を起こし、腸詰と卵を焼いている。かりかりとひとりでに回るコーヒーミルから漂う香りにほくそ笑んでいた。

 生活の基盤となる大水道から些末な手間の省略に至るまで、宙に散らばる見えない魔法の種を反応させながら魔法は今日もあちらこちらで使われる。それは辺境の街と言えど変わらず、魔法の歴史や使い方を教わる学校も存在している。ハスミの街では、古風な木造校舎は教会と並んで一層目を引く。

 日が昇り、大人たちが労働に勤しむ中、学生は校舎へと向かう。服屋の娘、アンナ・ロマンもまたその一人だ。パンを貪りながら師から借りた本をカバンにつめて、道中おぼろげな足取りであった。

 檸檬色の髪はぼさぼさ、一日が始まる前に満身創痍の状態。知り合いの横を通り過ぎるたびに心配されるが、アンナは軽く会釈をして「大丈夫です」と告げてそのままふらふら歩いていく。

「何が大丈夫なのよ……」

 横に並んできたのはリリィ・アルタだった。修道女に恥じないよう、きっちりと身だしなみを整え、アンナを見かけるなり駆け寄る。

 アンナは隣から漂うわずかな花の香りに、しばしばと瞬きを繰り返す。青草さと甘みを含んだようなそんな匂いに足がふらついて転びそうになってしまう。

 リリィに手を引かれ、なんとか体勢を保った。

「おはよう。またバン先生のところで徹夜でもしたの?」

「魔法史の勉強するからって、それで、朝までずっと」

「そのうち本当に倒れちゃうわよ、目のクマもひどいし。先生もだけど体壊さないようにしてね」

 気にかけられるのも慣れたもので、そのまま引き摺られるようにして路に戻った。

「お祭りも近いからねー」

 辺りに視線を向けると、普段よりも行きかう人を目にする。道端に荷車が何台も停められ、家々には布や硝子細工で装飾が施されていた。

 徹夜明けの目には眩しくて仕方ない。すぐに薄目で友人の背へと視線を逃がす。

「なんかみんな気合入ってない? 毎年それなりに人は来るけど、去年はどうだったっけ」

 祭りと言っても農作を祈る祭りだ。予祝であり、そこまで派手に執り行うものでもないはずだった。

 服屋であるアンナの家にも注文が相次ぎ、客から聞いた話ではなんでも花火も打ち上げるようで粛々と飲み食いしていた例年よりは派手だ。

「街長さんが都や南方の街に声をかけたそうよ」

「私南方って行ったことないや。おいしい食べ物いっぱい出るのかな」

「お腹空いてるの? パンならあるけど」

「もらう。ありがと」差し出された小ぶりのパンを手に取り、口の中へ放り込む。

 バターのよく効いた食べなれたパン屋のパンだ。ジャムを付けなくても十分美味しい。咀嚼している内に視界もはっきりとしてくる。

「パン屋さんのパンは美味しいけどそうじゃない。そうじゃないんだよ。チョコレートとかケーキとか、嗜好品に香り豊かな紅茶を添えていただきたいの」

「アンナのおじさんってよく都に行くわよね? そういうお土産って食べ飽きてるのかと」

「そんなわけないよー。甘いものっ甘いものっが食べたいー!」

「ちょっ、こらっ恥ずかしいから大声やめなさいっ」

「教会に飴貰いに行くね……」

「いやいや、子どもたちに配る用だから。どうしちゃったのよ。そんなに甘いものが好きってわけでもなかったでしょう」

「先生のところで食べるご飯がね、渋い木の実、苦い草、塩辛い干し肉、そんなのばかりなの。糖分がね、ほしいの」

「食べ物があるだけありがたいと思いましょう。贅沢は人を堕落させます」

「都合よく教会の人っぽく……正論なだけに耳痛いし」

 そうこうしている内に学校も目の前だ。

 如何にも古い木造建ての校舎は、地方でも珍しい魔法学校である。ハスミの街の子どもだけでなく、都や海辺の町が故郷の子どもも寮を借りて通い詰めていた。研究職に就きたいだの、都の魔術管理職に就きたいだの、楽をして暮らしたいだの、理由は多々あれど根本は皆等しく、魔法を学ぶこと。

 アンナとリリィも具体的な進路は決まっていないものの、魔法について学んでいた。私生活で火を起こしたり、物を浮かせたりもする。街の外に出れば最悪、獣に襲われ魔法を使わざるを得ない状況に陥ることも少なくない。

 寂れた田舎街の学校だが今日も学生を迎え入れ、二人も学生の流れに加わって教室へと足を運んだ。

 見慣れた顔ぶれに適当に挨拶を済ませ、席についてしばらく、どこからともなく始業の鐘がなり、教員が姿を現す。

 背丈のある、目つきの鋭い男性教師だ。

 教師は生徒を一睨みしてからずかずかと歩いて教卓に着いた。苔の生えていそうな深緑のコートを翻し、右腕の義手を軋ませながら教本を手にする。

 生徒の視線を浴びて、どこか不機嫌そうに眉を寄せるのはいつものこと。顔が怖くともさすがに生徒たちも慣れてきて、アンナに至っては子どものように目を輝かせていた。

 教師の名はシン・ライトニング。故あってバン・クロスと名乗り、ハスミの街の学校の臨時教師をしている。

「全員いるな。授業を始める。教科書は88ページ。シャルロットさん、前回はどこまでやったか覚えているかね」

 よく響く声に、アンナ以外の生徒全員の背筋がピンと伸びる。教室内の空気が弦のように張り詰めた。生徒たちは物を言わせぬ視線に肩肘を張りながら、一日のどの授業の中でも一番、口数が少なくなる。

 その授業は集中できるが、つまらないと専らの噂であった。



 シンは教本を手に、机間を歩く。授業内容は魔法史。歴史的観点から魔法を紐解く授業なのだが専門外である。

 かと言って分からないで済ますわけにもいかず、頭に入れてきた範囲と、元から分かる範囲で指導しなければならない。

「それで、今現在、都の王であらせられるメルク様は、三大魔法使いの血から生まれたホムンクルスの末裔なわけだが、なぜホムンクルスを王に据えようとしたのか。オズの手記には書かれているが、誰か分かるか」

 しんと静まり返る中で、挙手は二つ。一つは弟子のアンナで、それを無視してもう一つに視線を向ける。

「シャルロットさん」

 シャルロット・アルボレは、都の貴族出身の魔法使い。教室どころか学校全体を見ても彼女の右に出てくる生徒はいないほど、成績優秀でもある。かと言って浮いているわけでもなく、生徒たちからは慕われ、シャルと呼ばれるほど。

 性格上、教師とぶつかることもしばしばあるが、それはシン相手でも変わらず。

 名前を呼ばれると獣人特有の獣耳をぴくりと動かした。

「王は人であって人でない、人を先導する上で唯一の者でなければならない」

「その通り」

「必要であれば続き、暗唱しましょうか?」

 ふふんと胸を張るが、シンはそれを軽く流す。

「いやありがとう。その真意までは定かでないが、私の知る限りでは人と違うからこそ人をよく想うそうな。推測、妄想の域だかららまぁ、各々理由は考えてみてほしい」

「私は、人を戒める存在だと考えていますわ」

「法的な役割がある、と」

「魔法から生まれたホムンクルスだからこそ、人民の魔法を戒める力があるのでは?」

「……その、なんだ。つまりは禁忌魔法、禁忌魔術の制定基準と繋がっていると、言いたいわけか」

「そういう解釈で構いませんわ」

 教室がざわつく。

 物騒な内容ではあるため仕方ないことだった。

 禁忌魔法はその名の通り、使用はおろか研究すら禁じられている魔法である。触れた者には重い罰則が科せられ、無期限の懲役も珍しくない。

 シンは一度ばかり手を鳴らし、教室に静寂を取り戻させる。

「別に話してはいけないことでもない。ただそういう観点もあるということで、少し話を脱線するがいいかね」

 無音を受け取り、教卓の前に戻って全体を見渡した。

「王は唯一無二でなければならない。だからこそ、魔法による人体生成が重罪とされている面もある。蘇りの魔法もこれに該当しているわけだが、第一、そんなことをしてしまえば人は怠け、生きる気力を保てるかどうか。宗派によっては、神が与え給う生命の奇跡への冒涜としているところさえある」

 リリィの方を向けば、こくりこくりと相槌が打たれる。

「人でなくホムンクルスだからこそ、そして人の王だからこそ、抑止力に成りうる。それでも戦時における大魔法の利用や奴隷制度までは止められなかったわけだが」

「一人目はクラフトス。二人目はディヴォーチェ司祭、でしたわね」

「ん? あぁ人体生成と蘇りの魔法を試みたやつか。よく名前まで憶えているな」

「三人目はシン・ライトニング」

 名前を呼ばれ、シンの代わりにびくついたのはアンナだった。幸いにも当人たち以外、気づいていない。

 それを一睨みしてから、またシャルの話に耳を傾ける。

「手段こそ公表されていませんが、そんなに都合よく阻止できるものなのですか? 誰一人として成功に至っていないのに、懲罰を受けるなど可笑しな話だとは思いませんか、死霊術師の先生?」

 懐疑の目を向けられるが、シャルが見ているのはバン・クロス。シンであることを見抜いているわけではない。

 力強い獣のような目にシンは驚くが、怯む素振りすら見せず口を動かした。

「クラフトスも司祭も実験が進んでいた段階での阻止で、多くの犠牲を出している。その時点で非人道的行いなのだから、別におかしくはないだろう」

「シン・ライトニングはどうなんです?」

「前例が前例だ。それに彼は魔女イスタルの弟子。何をしでかすか分かったものではない。それとも他に、何か言いたいことがあるのかね」

「人を犠牲にするのは論外ですが、私はただ、一研究がそこで途絶えてしまうのを勿体なく思っているだけですわ。王も何も介入できないものであるべきではありませんか」

「キミの御婆様、マイン・アルボレ様もきっと似たような心持ちで研究に臨んでいたことだろう。医療用魔道具は多くの遺体解剖により発展している。医療魔法研究者や教会の人間の妨害を押しのけてでも、誰にでも扱える道具を作りたかったそうな」

「……分かっているのならいいのです」

「探究心は大いに結構。禁忌魔法の討論もいいが、今日はここまで。次回は王制の続きから行うので各自勉強しておくように」

 シンは重いまぶたと教本を閉じ、一息ついてからそそくさと立ち去っていった。

 生徒たちも椅子にもたれかかったり、大きく伸びをしたりと緊張から解放される。

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