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五章「森を抜けて」 1

1.

 骨の檻に手を添え、アンナは静かに意識を集中していく。

 岩の巨人が砕けて宙へと散らばり、スフィアに目掛けて放たれた。シンがスフィアの息の根を止めるのは時間の問題だ。

 骨をなぞり、鍵と鍵穴を思い浮かべる。習ったわけでもなく、ただ一度だけ目にしていた魔法だ。

 構造も規模も全く異なる。手段は他になく、魔法の展開は火の弓と同じだった。指先に焼かれるような痛みを覚えても、意識がそれることはない。痛みが指先から指の根本まで広がったところで、骨はひび割れ破裂する。

 アンナは前のめりになって転びそうになりながらも駆けつけた。シンの目の前に立ち、両手を広げる。

 足が震えていた。森の中で獣に襲われた時よりもずっと恐ろしい。

 シンとスフィアは問答の末、両者ともに気絶する。

 アンナは倒れたシンに駆け寄り、泣き喚いた。腕が無くなり出血も激しい。このまま放っておけばどうなるかは目に見えていた。

 かと言って男一人を担いでいけるわけでも無く、校内にある治療道具では到底足りない。

助けがほしい。まだ気を失っているであろうリリィを思い出し、いつまでも泣いているわけにはいかないと駆け出す。

 駆けだした先に、黒い影が落ちてきて足が止まった。背筋が冷えて脳は理解を拒む。散々泣いたのだ。これ以上は時間の猶予が無い。

 落ちてきた影は二つ。人だ。獣の皮で出来たローブに身を包み、黒い布をマスクにして人相を隠している。

 すぐにスフィアと同じ信者だと分かった。

 火の弓を引いて、狙いを定める。

 矢が放たれるよりも早く、信者の片方が腕をかざした。

 アンナの足が地面から離れ、風の魔法だと気づいた時には後方へと飛ばされる。

 もたついている場合ではない。地面を転がった先にはシンがいて、その血の気の失せた顔に焦りが募る。

 土を踏む音がよく聞こえた。起き上がってまた弓を構え直す。

 切り抜けるだけではシンに何をされるか分からない。確実に倒さなければならなかった。

 火の勢いが一層増し、赤く、激しく、凛凛といままでにないほどの熱を放つ。

 それでも信者が魔法を放てば火は揺らいで消え失せた。

 実力差は歴然で、赤子の手を捻るかのように扱われようともアンナは立ち向かう。

 火を飛ばし、風を操り距離を詰める。せめて噛みつくなり引っ掻くなりして少しの間だけでも動けなくすればいい。その間に人を呼んでくればいいのだ。

 だがやはり猪突猛進も空しく、火の壁が行く手を拒むようにアンナを囲う。

 何をすればと足が止まったのは一瞬のこと。魔法で敵わないのなら、身体を焼かれ、熱で肺を蒸されようとも突っ込むしか他にない。

 魔法の指導をしてもらい、さらには腕一本を失ってまで助けてもらった。火の壁がどうしたというのだ。アンナの決意は固い。

 意を決して飛び込んだ。燃え盛る炎に肌が焼かれる――はずであった。

 熱気はなく、確かな寒気を肌で感じ取る。視界が広くなれば、火の壁はもはや風前の灯。火の気が完全に失せ、目の前には氷柱が立ち並んでいた。

 信者二人の視線を追って校舎の方に視線を移す。

 そこには、凍らせた腕を抱えたルーギスが立っていた。

「嘆きの氷塊」

 校舎の影でその表情までは分からない。精霊術の詠唱は小声ながらも行き渡る。

 信者の一人が足元の異変に気付いたときには半身が氷漬けになり、声を上げる間もなく全身を澄んだ氷に閉じ込められる。

 もう一人の信者は踵を返し、ルーギスに背を向け逃走を始めた。

 逃げる先で地面が隆起し、土中から蔓や細い木々が飛び出す。信者目掛けて、蠢き絡みつき身動きを封じてみせた。

「もうしばらく貴方の勇姿を見ていたかったのですが、さすがにルーギスさんに怒られそうなのでやめておきます」

 ぽかんとしていたアンナの隣に、肌が白く毛色の青い獣人がどこからともなく現れる。御伽噺に出てくるような、夜の闇に浮く不思議な雰囲気を纏っていた。

「あの、えっと」

「ここの校長です。生徒とは言えど、知らなくても無理はありません。先生方でも知っているのはごくわずかですし」

「校長って、でもその歳、私とそんなに変わらないんじゃ」

「そんなことより。あの方のところに行かなくていいんですか」

 言われて、アンナは駆け出す。シンの下に走り、ルーギスと共に様態を確認する。

 急ぎ処置を執り行った。処置と言っても道具はなくできることは限られる。すぐにその体躯を浮遊させ、ルーギスの家まで運んだ。

 全身の傷を殺菌消毒し、輸血をしながら傷口を縫う。一度焼かれた腕も切開し、縫い直した。

 アンナは病院とルーギスの家の間を行き来して医療道具を揃え、手伝いに徹する。



 シンの呼吸も整い、肌の色もよくなってきたころにはアンナの意識もぷつんと途切れ、夜が明ける。

 ルーギスはアンナをソファで寝かせてから、椅子に身体を放り投げた。

 ぐったりとしていると家の扉が開く。

「お疲れ様です、ルーギスさん」

「リアスちゃんか。いや、うん。お疲れだよほんと」

 学校長のリアスは家に上がるなり、シンの寝ているベッドまで歩みを進める。

 じっと眺めてから、ルーギスの正面の椅子に腰かけた。

「捉えた二人は自害しました。そのご報告をば」

「あぁ。そうなっちゃったんだね……」

「体内に魔法でも仕込んでいたんだと思います。体が爆ぜ、溶けだし燃えだしで欠片も残りませんでした」

「もう一人、倒れていたやつがいたけどそっちは?」

「大量の薬を摂取していたので教会に任せました。スフィアと言います。うちの教師でした。そちらの方の腕を落としたのも彼です」

 ルーギスは驚いたが、眉を動かす程度の反応しかしない。疲労と安堵の方が今は大きい。

「そう……まぁそっちは意識が戻り次第、問い詰めればいいか」

「イスタル信者の暴走ですか」

「数は不明、個人なのか組織なのかも分からない。騎士様ががんばって追ってくれてはいるけど、まぁ根絶するのに時間はかかるだろうね」

「そんなにすごい方なんでしょうか。魔女と恐れられているのは婆様から聞いていますが」

「今も昔も、魔法の規模とその威力を比べたらまず右に出る者がいないほどには、天才的な魔法使いだったよ。性格も豪胆だから、革命的思考を持っている人には崇拝されているんだ」

「何度か見かけましたが、なんと言いますか、普通の、どこにでもいるような方だと思ってましたので」

「いなくなる数年は魔法の研究をしていて、だいぶ大人しかったからねぇ。この街に来ていたのも気晴らしだったんだよ」

「そちらの方も一緒にいましたよね」

「そうそう。なにかと面倒なことはシンに押し付け……あ」

「やはりシン・ライトニングさんなんですね」

「……まぁキミにならいいか」

「もちろん口外しません。街の混乱を余計ややこしくするつもりなどありませんから。その代わりと言ってはなんですが、頼まれごとを聞いてほしいんです」

「あーうん。今はちょっと疲れてるけど、とりあえず言ってごらん」

「今回の件で教員が一人減ってしまうので、この後、一度都に行って教員の派遣を頼んでみます。ですがすぐに対応できないと思われるので、ルーギスさんにお願いしたいんです」

「なるほど? ちょっと難題だな……」

「またお伺いする手紙を送るので、都合が悪ければ返信をください」

「分かった。考えておくよ」

 机に突っ伏し、頭を空っぽにする。

 リアスは席を立ち、またシンの寝ているベッドまで移動した。

 傍のソファにはアンナもぐっすりと寝ている。

「彼女は、シンさんから魔法を教わっているんですか?」

「弟子だとは思うよ。傍から見た感じ、シンも悪い風には思ってなさそうだし」

「ルーギスさんは覚えていますか。石を投げられ、シンさんが街を出ていくことになった日のことを」

 ルーギスは掠れた声で、気の無い返事をした。

 覚えているもなにも、石を最初に投げたのは他の誰でもないルーギスだった。シンに頼まれたとはいえ、身を切る思いで人影から石を投げたのは記憶に新しい。

「あの時、石が投げられている中に飛び出そうとして止められていた女の子がいたんです。すぐ近くにいたので覚えてます。ずっと見ているだけの私には出来ないなと、感心させられました」

 窓から差し込む白い光を鬱陶しく思いながらルーギスは大きくあくびをしてみせた。

「それでは」と言い残し立ち去るリアスを見送った。今度は自分が椅子を持ってシンの隣に腰を落ち着ける。

 傷だらけのシンを見て長い息を吐く。魔法使いとしての実力は信用していたが、その性格に難があることを失念していた。

「しばらく会いにも行かなかった私に、心配する権利なんてないんだろうけどね……」

 朝日に焼かれ、寝るに寝れないので水を浴び、考え事は後回し。

 リアスの頼みも頭の隅に置いて、シンが目を覚ますまで包帯を取り替えたり切られた腕を保管したりと、しばらく世話を焼く。

 大型犬でも拾ってきたかのようであった。

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