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四章「弟子」 3

3.

 体が沈んでいく。柔くこのまま横たわっていれば一つになっていきそうな、そんな気がしてならない。ルーギスの家のベッドで、シンは眠りこけていた。どれくらい寝ていたのかも知らず、重くすら思えるシーツを退けようとして腕が片方無いことに気づく。

 無い腕と頭部には包帯がきつく巻かれている。もう一方で肘を突きながら起き上がるが、全身に痺れが走って、堪らずまた横になった。

 覚えのある部屋でじっとして暫く、キッチンの方からルーギスが顔を出す。

「調子はどうだい? お腹すいてる?」

 苦痛に顔を歪めながら起き上がった。察するにルーギスが手当てをしたようで、様態についてどうとは聞かずともシンより詳しいはずである。

 コップを手渡され、中の水を呷った。喉を潤し身体に染み渡る。

「街はどうなった」

「どうにも。騎士様や街の皆のおかげもあって、クレイマンは壊れ、骸骨の術式も無事に止まったよ。けが人もいない、キミ一人を除けばね」

「ふん。で、あいつはどうした。スフィアと言ったか。一緒に倒れていたはずだが」

「そっちは教会で治療してもらってるよ。まだ目覚めたとは聞いていないけどね」

 ルーギスはベッドに腰かけ、シーツ越しにシンの体を優しく叩く。

「腕。一応、冷凍して地下に保存してあるけど」

「煮るなり焼くなり好きにしてくれ」

「そんな趣味ない。気味が悪いし持って帰ってほしい。それで型取って義手でも作ってもらいなよ」

「面倒だが、そうするか」

「キミってやつは……いや今回はよくやった。アンナちゃんから聞いてるよ、守ってくれたんだって」

 まるで自分事かのように誇らしく語るものだから、鼻で笑ってしまう。結果として守る形になっただけで、元を辿ればシンが原因だ。

「黄泉返りなんてものが無ければこんなことにはなっていない。アンナだけじゃない。街の人間にもまた迷惑をかけた」

「シンは、十分役目を果たしている。その責任は私たちが」

 戸を叩く音に言葉が引っ込む。一息吐いてルーギスがベッドを離れた。

 ルーギスが人を連れて戻ってくる。シンも最初こそ目を細めたが、顔をまじまじと見るなりシーツを退けてベッドに座る。

 ステッキを突いて現れたのは街長だった。帽子を胸に当て、シンの前で深く頭を下げる。

「シン・ライトニング殿。この度は信徒の暴走を止めて下さり、感謝する。街長である私が不甲斐ないばかりに貴方にとんだ尻拭いをさせてしまった」

「顔を上げていただきたい。事の発端は私の不始末。何を謝られようか」

「この街はイスタル殿に助けられてきた。それを蔑ろにし、あまつさえ貴方を追い出したのだから罰が当たったのだと、街の者は反省している」

「貴方たちが追い出したのではない。貴方たちに追い出させたのだ。街長、それを忘れてはないはず」

「それでも。今回の件で多くの者はイスタル殿への信心を思い出した。騎士たちの報告でこの街とイスタル殿との繋がりが特別に認められることになるだろう」

「それはつまり、どういう意味で?」

「彼女を追悼できる。ただそれだけだよ。厳重な罰則を設けられた結果、このような事態が起きたのだと、騎士の方に少しばかりアドバイスさせてもらってね」

「……つかぬ事をお聞きするが、あのスフィアとかいうやつが信徒だとはご存知で?」

「私もそれなりに顔が広い。医療魔術に特化した人間も、精巧な義手造りの職人も知っている。もちろん彼の恩師とも旧知の仲だ。気が向いたら、私の家を訪れてほしい。馳走くらいならすぐに用意させてもらうよ」

 また深く頭を下げ、家から去っていった。

 ルーギスは椅子を持ってきて、シンの前で腰を落ち着ける。

「勘違いするなよ。私はなにも知らないぞ」

「とんだ狸だな、あれは」

「肩を持つつもりはないがそう言ってやるな。街長には街長の考えがある。例えそれが私情であれ、誰が責められる。いやまぁキミくらいは責めてもいいとは思うが」

「どっちなんだ」

「怒ってるけど怒れない。まさかキミがそんな風になるなんて思ってなかったから、大丈夫だと思ってたから、いざ目の当たりにするとその、つらい」

「なんだ急に。気味が悪い」

「気味が悪いとはなんだ、気味が悪いとは。私にとっては皆子どもも同然。それでもキミは特別なんだ。しちゃ駄目なんだが、贔屓もしたくなる」

 しんとする空気に耐え切れず、シンは勢いを付けて立ち上がった。ふらつき、壁に手をついても足を動かし慣らしていく。

「あぁもう。病み上がりなんだから動くなって」

「いつまでも屋敷を留守にしていられん。世話になったな。借りはいつか返す」

 近づいてきたルーギスを推し退けて扉を開けた。

 日の光は眩しく、肌が焼けるようだ。通りにはちらほらと人が見られ、吹き抜ける風が背中を押す。

「シンっ」

 呼ばれて振り返ると、布の塊が投げられた。

 解いて叩けばローブになり、それを身に纏う。

「また近いうち遊びに行くよ」

 柔和な笑みを前に返事はせず、帰路を急いだ。まだ意識が戻らないスフィアのいる教会の横を通り過ぎ、クレイマンの残骸の間を抜けて森へ一直線。誰に見られているかも知れず、森の陰に隠れてから足を踏み入れる。



 わずかな腐臭と湿り気を体に馴染ませながら、木々の根っこを跨いでいった。

 随分寝ていたこともあり、四肢が張り出す。魔法を多用したのも幾年ぶりで、倒木に腰を下ろして呼吸を落ち着けた。

 日の光がまともに届かない森は居心地が良い。相対するのは獣だけ、緑の青臭さも土の感触も清涼剤で、安らぐ。

 日々変容しているはずの景色に既視感を覚え、それがいつのことだったのか、師と見たものなのか、それともアンナと見たものなのかは本人にも分からず仕舞い。

 森を出て、お世辞にも立派だとは言えない屋敷を眺める。魔術を掻い潜り侵入された形跡もなく、ただ一人、扉の前で三角座りをしているだけだった。

 アンナは魚のように飛び跳ねて、転びそうになりながらも駆け寄る。

「先生、先生」

 止まらず、そのまま飛び掛かってくるものだから、シンは反射的に腕を突き出し、顔を鷲掴みにして止めた。

「先生痛いです痛いです、いたたた! どんどん力入ってますー!」

「……はあ」

 呆れて放すと、アンナはこめかみを押さえながらシンの前に立つ。

「何の用だ」

「用って、それはその、ルーギスさんの家でじっとしているのも迷惑かなって思って、ここで待ってたんです」

「腕のことなら気にするな。魔法を使えば一人でもどうとでもなる」

 そのまま脇を抜け、屋敷の扉に手を掛ける。

「シン先生っ!」

 大きな声を出すものだから振り返らざるを得ない。

 アンナはその場から動かず、神妙な面持ちを向けた。

「黄泉返りの魔法なんて、存在しないんですよね」

 シンが眠りこけている間に、ルーギスが話したのだ。それを知って尚、ここを訪れていることも含め、驚きはしない。

「ない。例えば対象の知識、記憶、姿を模倣すれば疑似的な黄泉返りにはなるのだろうが、決して持続的であるとは言えず、やはり疑似の範疇からは脱せない」

 乱暴に伸びている蔓や草をまとめ、造った椅子に身を投げた。

 シンは頬杖を突いて森の暗闇の奥を見据える。

「不可能なのだ。消滅した物を復元するなど」

「じゃあなんで、先生は罰を受けたんですか。おかしいじゃないですか、禁忌の魔術師だなんて真っ赤な嘘だったんですよね」

「面倒だ。あとはルーギスに聞け」

「ルーギスさんからは、先生に聞くよう言われました」

「……イスタルの魔法を封印するためだ。お前は直接見ていないだろうが、既に知れ渡っている魔法ですらその攻撃性は計り知れない。屋敷にある書物を使えば、ハスミの街どころか都を半壊させるのにそれほど手間もかからないだろう」

「それが、罰を受けるのと何の関係が」

「弟子のやらかしは師の不始末。元から素行も悪かったからな。イスタルの研究の一切を封じるのはそれほど難しくは無かった。俺やルーギス、それから何人かの魔法使いで嘘の魔法をでっち上げ、死人の功績を否認し罪を背負わせただけだ」

「でも、でも先生は嫌われて、それなのに難しくなかっただなんて、言わないでください……誰かが先生を恨むのも、先生が恨まれるのも見たくないです……」

「魔術乱用、禁忌抵触、賊への私刑もとい人体実験、他にも山ほどの悪逆非道を成してきた。やつの魔法技術への貢献を考慮しても、その横暴さは目に余る。何をせずとも結果は変わらん」

 思い返せば都の魔法使いやハスミの街の者たちの、憤りとも哀れみとも取れない面相がずらりと並ぶ。無論、かくあるべきだ。非人道的行為は万が一にも許されてはならない。

 アンナもまた、似たような顔をしていた。

「イスタルやスフィアがそうであったように、才能のある者が必ずしも正しい道を行くとは限らない。だから凡才が正しい道を敷いてやらねばならんのだ。アンナ・ロマン。お前が森を抜けてこられたのはきっと、そういうことができる奴だと認められたからだろう」

「私が、ですか……? 魔法の才能がないのは事実ですけど、悩んだり、嫉妬だってします。正しい道だなんて言われても、よくわからないです」

「知らずともそれでいい。風吹き水流れる摂理と同じ。魔法もそう。理屈はあとからいくらでも付いてくる」

 納得のいっていないアンナに、思わず笑いが漏れた。当人にも分からないのだから考えるだけ無駄である。

 明日からまた鍛錬に臨む旨を伝え、家に帰らせた。

 シンはまだ嘘を吐いていた。確かにイスタルの研究していた魔法は攻撃性に長けているが、その程度ならイスタルに限らず、多くの魔法使いが世に知らしめている。戦時なら評価さえされたものだ。

 一人、屋敷の階段を上り、奥の扉を開いた。研究室として使用していた部屋の一つで、壁一面に書物が貯蔵されている。

 窓から差し込む光の先には机がどっしりと構えて入室者を出迎える。その上で齧られた痕跡のあるりんごが一つ、歓迎でもするかのように艶を放っていた。

 誘いに乗って指を伸ばせば蛇みたいにねじ曲がる。世界樹の杖が起こす空間の歪みと似た現象が起きていた。

 あと少しのところで、雷にでも撃たれたかのように弾かれてしまう。痺れる手を振りながら、五年も前から腐らず朽ちず微動だにしないりんごを見下ろした。

 りんごを口にした魔女は世界樹に代わり、肉体ごと世界樹の抜けた穴へと落ちていった。冥界の存在証明にもなる魔術は世の理を覆す。

 森の魔術も未だ健在であり、りんごと合わせ、術者が生存している証拠だ。

 イスタルはまだ生きていた。生きて冥界に落ちて何かを成そうとしている。目的こそ知れないがその手段は、凪いだ池に石を投げ込むが如く、大陸全土を脅かす恐れがあった。

 穴は東西大陸間の海原にぽっかりと空き、冥界に繋がっている――など御伽噺で知られている程度だ。実際に誰かが目にした試しもない。冥界が存在し、その名の通りの役割を果たしているのならば、それこそ黄泉返りすら出来かねない。

 世の混乱を避けるため、魔女は死にその弟子が禁忌に手を染めたと流布し、何としても封殺しなければならなかった。

 結果として信徒による暴動が起きたのは、策を提案したシンの失態でもある。償うこともままならず、腕を失う始末。

 正しくもなく、才もない者は師を僻み、りんごに背を向けるとまずは干し肉を取りに行くのだった。

 空腹が満たされれば少しはマシな考えも思いつくだろう。

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