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四章「弟子」 2

2.

 視界の中央で白い火花が弾ける。丸太で思い切り叩かれたかのような、そんな衝撃に意識が飛んだ。

 生まれてこの方、散々な目に会ってきたが、腕が千切れるというのは初めてのこと。尋常ではないほどの熱に意識が覚醒し、倒れまいと両足に踏ん張りを効かせた。

 刮目するのは目の前の敵。もはや正気であるはずもなく、スフィアは身体から針を生やしたまま荒々しい呼吸音を漏らす。

「どうしてどうしてどうしてどうして」

 獣の唸りにも似た声が響いた。息を吸えばその影は大きく膨れ上がる。

 シンは無い腕に力を入れた。断面から流れ続ける血が泡を吹き、凝固する。

「三度目だ。呪われろ」

 言葉を投げかける。会話にならなくても、その瞬間に魔術は成立する。二度の会話と、鎌の空振りで付着させた魔法の種による先手は撃ってあった。

 一対一の死合いでは必ず使っていた。例え敗北したとしても一矢報いるための、意地の汚い呪術だ。

 凝固した血液が膨らみ、破裂する。

 それに合わせてスフィアの右腕も破裂し、消し飛ぶ。

「があああああああああああ……‼」

 身を震わせながら傷口を押さえた。痛覚は生きているようで、正気でなくとも腕が吹き飛べば悶え苦しみ、のたうち回る。

 骨と肉がそこら中に散らばったかと思えば、蠢き這いずり、シンの足元まで来るとそのまま右腕の断面に飛びついて腕を模す。応急処置には程遠い、けれど戦闘中に腕が無ければ感覚も狂う。

「先生、わたし、あぁなんでこんな……」

 アンナも正気ではなく、瞳に大粒の涙を溜めて今にも転びそうな足取りで近づいた。

 シンは懐から拳大の牙を取り出して、放り投げた。牙が地面に突き刺さると、アンナを覆うようにして牙の檻が生える。

「グレゴリの檻という。外部からの魔法的干渉の一切を遮断する。そこにいればまず死にはしないだろう」

「ごめんなさい、ごめんなさい。私のせいでっ」

「それでもお前はあいつを殺めるなとそう言うのか?」

 骨の牢を握りしめ、アンナは押し黙った。俯けば主を失った腕が涙目に映る。

「いい。俺が調子に乗っていただけだからな。ただ、しかと見届けろ。お前が学びたいと思っているものが何なのかを。魔法というものの本質を」

 先を臨んで、もう生贄など頭の片隅にもない男と相対する。体中の針をへし折り、乱暴に傷口を火で焼き、激情しきった憤怒の顔は鬼と呼ぶにふさわしい。傷も見る見る内に癒えていき、活性化薬の効力を物語る。

 効力が高ければ高いほどその反動も比例する。それほどまでに許せなかったわけである。

 なぜだと問い詰められようと、不甲斐ないと罵られようとやることは一つ。

「精霊の足、汝の霧に隠れる。巨人の影を見た」

 シンは校舎に向けて精霊術を行使する。

「不鳴動の山」

 地面が隆起し、大量の土が木々を飲み込みながら校舎に覆いかぶさる。多少暴れた程度では諸共しない処置を施してからスフィアの前に立った。

「才覚ある者よ。努めてどれほどか、その力量でさえ己を見つけられないか。聞こえているかは知らんが杖は使わん。己の魔法も信じぬ醜悪な姿、捻じ伏せてくれる」

 未熟故に杖は借り物であると承知し、借り物として使っていたのは信徒に対する純粋な敬意であった。

 信心深い者たちに貴賤はなく、魔法を交える際には使おうと、それが師の意思に背く行為だとしてもせめてもの情け。

 弟子に選ばれたのは偏に運のおかげ。盗みを働こうとイスタルに近づいたのが運の尽きだった。

 その運と天秤にかけるのも愚かしい様を見せつけられたのだ。

 小細工も探り合いもかなぐり捨て、唸り声を上げた。



 シンが肉塊の腕を振り上げれば、青く燃え盛る炎が現れ、巨大な渦を為す。蛇のようにうねりながらスフィアに直撃する。

「あああああついっ!」

 風を起こし、火の渦を振り払った。

 飛び散る火の粉を諸共せず、シンは猪がごとく突き進む。距離を詰め、連鎖的に魔法を放った。火を放ち、水を撃ち、氷で固め、土砂で押しつぶす。

 威力は劣るものの数で勝り、スフィアの対処を徐々に追いつかなくさせる。氷の剣が刺さり、空気の塊が胴を殴る。

 歯を食いしばりながら、スフィアは即席のクレイマンを二体ほど作り出した。

「消えろーーっ!」

 クレイマンも魔法を使い、同時に火水風の魔法で囲う。

 迫る魔法を前に、懐から取り出したのは最後の骨。弓の形に変形し、三種の魔法を切り裂くようにして振るう。

 浸食能力を特化させた死霊魔法だ。三種の魔法は互いに絡み合い、シンの肉塊の手に収まる。圧縮され一本の矢に変わり、構えた弓に添えられる。

 矢が指先から離れ、風を切り、空を裂き、一直線に狙いの的へと飛んでいった。

 立ちはだかるのは土の壁。先ほどスフィアが造った土の壁よりもさらに分厚い。

 ぶつかるよりも早く土の壁を抉り取る。矢は周囲のものを吸収し、勢いを増すばかり。

 だが当たりはしない。スフィアの耳を掠め、塵となって闇に溶けた。

 壁が崩れ、スフィアは無傷のままであり、これには眉を顰める。弓の扱いには慣れているつもりであった。

 砕けていく弓を投げ捨てる。偉そうにアンナへ説教していたわりには、邪念を捨てきれずにいた。

 棒立ちのままスフィアは動かない。クレイマンも形を保てなくなり、地面へ帰る。

 虚ろな眼が流すのは血の涙だった。

「随分前にこの街を訪れました。見たのです、あの御方と貴方の姿を。天変地異を起こす圧倒的な魔法などではありませんでしたが、雨風で崩れた家を直し、重荷を運び、街を賑やかす、その魔法もまた眩しく、尊かった」

 乾き、しゃがれた声で淡々と語る。

「師にしたいなど、弟子になりたいなど、おこがましい。ただそばで微力ながら力添えできたなら、そうなりたかっただけなのです」

「難儀なやつだなキミは」

「恩師から告げられたとき頭の中が真っ白になって、ああぁなぜですか。なぜ諦められたのですか。魔法を造るだけ造って、私たちに託したわけでもなく、半端にもほどがある」

 血の涙をぬぐい、その血で魔法陣を描いた。

 魔法陣はどろりと溶けて地面へと滴り落ちた。影と混ざって膨れ上がり、黒ずんだ影の巨体となって爪を生やし羽を生やし、大木のような二足でそびえ立つ。

 角も伸びてまさに悪魔だ。精霊と同じく人の眼に映ることはないが、悪魔もまた魔法の種を介して接触できる。

 言葉で繋がる精霊と違い、悪魔とは血で繋がるものだ。適性が無ければ逆に血を抜かれると言われるほど危険な契約を交わせば、相応の魔法を行使できる。

「悪魔召喚もか……本当に器用なものだ。すまないとは思っている。無垢な人間を狂わせるような真似をして」

 シンは手を振りかざし魔法を展開した。地響きを鳴らし、地面が割れて現れるのは中庭の半分を埋め尽くすほどの岩の巨人。首はなく、悪魔の巨体と肩を並べる。

 二体の大腕が振るわれると風が唸る。

取っ組み合い、殴り合うたびに起きる轟音と衝撃が地面を伝って、シンとスフィアの体勢を崩した。

互いに魔法の維持に集中し睨み合う。

「貴方を撃ち倒し、イスタル復活を完遂させますっ。それが我々、否、私の使命! あの御方の魔法があってこそ、魔法の発展はあり得るのです!」

「正気にはなったか。言ってることはめちゃくちゃだが」

「貴方には失望しました……信徒の中でも貴方に理解を示さない者も少なくはありませんでしたが、弟子が裏切りを働くはずがない。きっと厳粛な処分で心が折れてしまっている、同士に違いない、そう信じ込んでいました」

「目は覚めたか?」

「あの御方に貴方の命も捧げます……きっとお喜びになられることでしょう!」

 岩の巨人が揺らいだ。黒い拳が身体を削り、二発三発と追撃が入る。地響きを鳴らしながら徐々に膝を折り曲げていく。

 悪魔が両手を絡め、振り上げた。

 天空より振り下ろされる拳の槌は、シンを巻き込むようにして岩の巨人の体を捉えた。

 強烈な一撃により視界が土煙で埋め尽くされる。

 岩の巨人を粉々に砕き、スフィアは確信した。岩ごと拳に潰されるその直前まで凝視していた。

 力が抜けて倒れ込んだ。全身が悲鳴を上げ、骨肉が軋んで治ったはずの傷跡からは血が噴き出る。

 倒れている暇などなく、急いで準備に取り掛からなければならなかった。

 肘に力を込めて上体を起こす。

 ようやく視界が晴れ、現れたのは巨人の残骸――宙を漂う無数の岩石だった。下にはシンが、頭から血を流しながら肉塊の手をかざしている。

 岩石は制止し、先端を尖らせて悪魔に向けて射出された。黒い影のような体を貫き、地面に突き刺さる。何発も何発も、途方もない数の岩石が降り注いだ。



 岩で造った山を眺めながら、シンは呼吸を整える。反応が遅れていれば逆の立場であったことに肝を冷やした。

 くっつけていた肉塊がぼとりと落ち、出血する断面をすかさず焼く。余力を絞り出し、心許ない足取りで前へ進んだ。

 岩は悪魔を完膚なきまでに消し飛ばしたが、スフィアには一発も当たっていない。そこまで精密な操作は出来ず、岩が弾かれた痕跡もなく、単に偶然だった。

 スフィアは地に伏せて拳を握りしめている。

「そうか、そういうことだったんですね……貴方は私の手柄を横取りして、一人で、会うつもりなんですね……ハハ、悔しいですが仕方ない、です……ね……」

 もはや都合のいいように解釈する他なく、それを特別咎めるようなこともしない。

 シンは無言で虚空から杖を引き抜いた。生ぬるい選択を戒めながらも元凶が元凶なだけに最期くらいは信心に応えようと、歪な杖を振るう。

「先生待って、待ってくださいっ」

 声に反応し、慌てて軌道を逸らした。突き刺さっていた岩が代わりに粉砕され、つくづく嫌気がさす。

「別れの挨拶くらいはさせてやる」

 駆けてきたアンナが、スフィアを庇うようにして両手を広げ、割って入った。

「先生がやらなくてもいいんです。この人は、ちゃんとみんなに謝ってそれで罪を償うべきなんです」

「償いならば俺にもさせろ。こいつらの道が外れたのは、俺のせいでもある」

「先生の魔法を勝手に使おうとしたのはこの人です。先生が悪いわけじゃありません。だから、やめてください、お願いします……先生が……するところなんて見たくないです」

 小さな子どものように、身体を震わせながら止めどなく涙を流す。

 賊や狂信者の相手を呆れるほどしてきている。今更身綺麗さを他人に求められても、応えらようもなく、シンは杖で退かそうとした。

 はっとして杖を下ろす。なぜアンナがここにいるのか。

「お前、檻はどうした。どうやって出てきた?」

 振り向いて骨の檻を探すがどこにも見当たらない。夜更けの暗闇で見えないわけでもなく、魔術としての痕跡の一切が残っていない。

「あ、開けました。鍵の魔法で、弓を引く時と同じようにしたら開いて」

「内側から魔術を解体したのか」

「……スフィア先生が使っていた魔法を思い出したんです。鍵穴もないけど檻なら開いて閉まるものなのかなって」

「内と外では強度がまるで違う。それでも魔女謹製だ。容易に解けるものではないはずなんだがな」

 二人の足元で土の擦れる音がする。

 スフィアが顎を上げて、力ない眼を向けていた。

「私の、魔法……?」

「同じものではないですけど、檻から出られたのはスフィア先生の魔法があったからです」

「キミは私が憎くいはず。なのに、何故」

「嫌いです、リリィも巻き込んで街の人にも迷惑かけて。でも私ももしシン先生がいなくなったら同じことをするんじゃないかって、魔法上手に使えませんけどそれでもやるんじゃないかって、そう思うんです」

「……そういう子、でしたねキミは」

「許してるわけじゃないです。ちゃんと街の皆に謝ってください。私は、シン先生に手を汚してほしくないだけなんです」

 スフィアは寝返りを打って大の字で身体を地面に預けた。やつれ、その肌からは血の気が失せ、赤い涙跡が浮かび上がる。

「シン・ライトニング。私はどうすればよかったんでしょうか。憧れの魔法使いが消え、途方に暮れていた時、貴方が希望の光をくれました。禁忌の魔法。藁にも縋る思いで、あの御方に会いたいがために画策した結果がこの様。間違っていたんでしょうか」

「知るか。まぁなんだ、死者に固執してもろくな事にならないのは確かだな」

「ははっ、死霊術師が言うと説得力が違います、ね……」

「巡り巡って、お前の魔法がお前を助けている。お前が憧れる魔女の魔法を打ち破ってな。それだけは努々忘れるな」

 気を失っており、返事はない。

 シンは杖を突いて、血を失っている分集中する。

「ヨトゥンヘイムよ、現世の土を捧ぐ」

 呼応して杖が鳴いた。

 地響きのような唸りから、蝙蝠の鳴き声に似た音へと変化した。それに伴い、校舎を覆っていた土も、突き刺さった岩さえも溶けて地中へと沈んでいく。

 どっと体が重くなり、膝から崩れてその場に倒れた。どうにも血が足りないようで、片腕もないから起き上がろうにも勝手が違う。

 霞んでいく視界の中でも思考だけは明瞭だった。先ほど矢を防ごうとした土の壁は、スフィアの魔法ではない。一度破られた魔法を使うほど、スフィアという魔法使いはおろかでないと踏んでいた。

 この場にいては危険である。すぐに立ち去るべきなのだが手を伸ばしても杖はどこかへと消えていて、アンナは耳元で喚くばかり。

 書物を読み、まどろむ――そんないつもの夜とは程遠い。


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