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四章「弟子」 1

1.

 まだ年端もいかない頃。飴細工を片手に友達と街道を駆け回っていた。大人たちの足元を縫って大通りに出る。

 大勢の人が集まって歓声を飛ばし、その賑やかさは祭事によく似ていた。スフィアは一人はぐれても人波をかき分け、先頭へと身を投げ出す。ばっと開けた視界には、列を成す魔法使いたち。丁度、賊殲滅戦の凱旋日だった。

 疲弊を隠さない者、何食わぬ顔で手を振る者、馬に跨って寝ている者とスフィアはぼーっと眺めていたが一人の魔法使いに目を奪われる。地面に付きそうなほど長い茶色の後髪と背丈ほどある古杖が印象的な魔法使いだ。歩きながら宙に光る文字を書いて、隣にいたエルフの女性と何か話しているようだった。

 魔法使いは呆れた様子のエルフの女性を無視して、書いていた文字を空へと飛ばす。空は暗雲に包まれ、唸りだしたかと思えば大雨が降りだした。

「アッハハハ! 失せろ失せろ! 雷で丸焦げになりたくなければなあ!」

 魔法使いの高笑いが、雨音を突き抜けて大通りに行き渡る。大通りは混乱に包まれ、列から人が離れていく。

 いつまでもそこにいたら風邪を引くぞ、とスフィアは知らない男の声を聞いたが、魔法使いから目を離せない。

 大通り一帯を覆いつくすほどの魔法。子どもの生活圏内では手ごろな魔法しか使われていなくとも、それでも想像すらしていなかった。

 魔法使いたちも雨に降られながら、速足で大通りを行く。茶髪の魔法使いのように頭上に遮蔽物を作り、雨を凌いでいる者もいたが、多くは魔法も使えないほど疲れていた。

 身体が冷える。滝のような雨で視界も悪い。

 くしゃみをして我に返れば、列の中にまだ若い子どもが何人か見つける。スフィアほどではないにしろ、賊と渡り合えるほどの者とは一見思えない。

 スフィアは元来た道に駆けだした。体の先から感覚がなくなっていく。けれど胸の辺りは熱い。高ぶりが抑えきれない。

 手にしていたはずの飴細工はどこかへ行ってしまったが、そんな些末なことなどどうでもよかった。

 魔法を使いたい。覚えたい。あの茶髪の魔法使いを知りたい。家に帰るなり父の書斎に引きこもり、手あたり次第魔法を試した。

 幸いなことにスフィアには才能があった。都でも有名な魔法学校に進学し、優秀な成績を収める。指導者にも恵まれ、研究者としての道を進んだ。

 都で魔法研究をしていれば、いずれは茶髪の魔法使いイスタルに会えるとそう信じて止まなかった、訃報を知らされるまでは。

 


 大振りの鎌を躱し、スフィアは勢い余って芝生を転がった。なによりも先に記憶の遡行から意識を引っ張り戻す。

 顔を上げて思考をめぐらす。それでもスフィアには理解できない。街の混乱、生贄、理由を上げたところで、イスタル復活に敵うものではないはずだった。

 二振り、三振りと怒涛の勢いで迫りくる刃を、後ろに跳んで避ける。地面が抉られ、空振った空間に吸い込まれそうになるような、そんな気さえ覚えた。

 校舎に背を打ち付け、魔法を放つ。圧縮された空気の玉が炸裂し、シンを吹き飛ばした。

「話を聞いてくださいシン・ライトニング様。イスタル様を復活させようとしているだけなのです。貴方様の行いに間違いはなかったと証明する時が来たのです」

 信者の中には弟子を嫌う者もいるがスフィアはそうではなく、むしろ同士として迎え入れるつもりですらいた。

 態勢を立て直したシンが口を開くことはない。黙ってスフィアを睨みつけ、ぐるんと鎌を回せば刃は消え、歪な杖の姿がその手に戻る。

 話に応じてくれる気にはなったのかと、胸を撫でおろした。師を思わない弟子がいるわけがなく、魔女と畏怖されていようと偉業を成し遂げてきた魔法使いの弟子ならば、尚のこと。そう確信した。

 空中に亀裂が走る。校舎のガラスでも割れたかのような音がすれば、鎌が振られた跡から這い出てくるのは肉の無い、蛇の骨。滝のように溢れ、地を這い、津波となってスフィアを襲う。

 白色の波を前にしてようやく気付く、シンがそれを望んでいないことに。

 後悔や諦めに胸が縛られ、同時に腹の中が熱く煮えたぎる。

「世界樹の杖やイスタルの魔導書を手放したくない、そう言いたいわけですか! いいでしょう! その我欲を打ち払い、目を覚まさせてあげます!」

 高らかに叫び、骨に呑み込まれた。



 スフィアが何か叫んだのを見届けてから、アンナのところまで跳んだ。まだ気を失ったままでいる少女を脇に抱え、さらに跳ぶ。

 校舎の屋根から骨の魔法の残骸を見下ろした。骨に埋もれたのか、スフィアの姿は見えない。

先手は撃ったがこのまま見なかったことにして立ち去りたい、そんな気分だった。魔女を蘇らせようとする信者の相手などしたくない。けれど無視できないのもまた事実。

「んん……」

 脇でうごめくアンナを離した。

 屋根に落ち、アンナはうめき声を漏らす。

「無事か」

「あぅえ……先生……? えっあ、ここは?」

「無事だな。お前はここから逃げて、街の中にいるルーギスと合流しろ」

「私眠って……そうだ、先生っ。イスタルさんを蘇らせようとしている人がいて、あぁリリィ、そう、友だちがまだ校舎に」

「落ち着け。いや友だちだと? あぁそうか。贄か」

 スフィアと話せば面倒ごとも避けられるかもしれなかった。そうしないのはシンが決めたことでもある。話すにしてもスフィアという魔法使いを見極めてからでも遅くはない。

 からりと乾いた音が耳を掠めた。骨の残骸の上に立つスフィアを視界に捉える。

 同時に、足場が揺れる。

 校舎に魔法が放たれていた。アンナを抱え、崩れていく足場から中庭に飛び降りる。

 スフィアを見れば、もうこれ以上なにか言うつもりもない様子で、手をかざして次の魔法の準備に取り掛かっていた。

 シンもアンナを後方に放り投げ、迎え撃つ。

 杖を構え直し、その目を見開く。飛んでくるのは火の魔法。点を正確に狙う、槍を模した火の塊が降り注がれた。

「先生っ」

 声に吊られてアンナを一瞥する。

「そこから動くなよ」

「校舎に、たぶん左手奥の校舎に友達がいるのでっ」

「巻き込みはしない。あいつも生贄が無くなっては本末転倒だろうしな」

 一本一本を打ち落とすように杖を振るい、水の魔法を使う。作り出した水の盾で火の槍を受け止めた。

 飛来する槍の隙間を縫うように、シンは水の槍も放つ。

 水の槍は届くことなく、空中で四散した。スフィアが風の魔法で防いで見せたのだ。

 多種の魔法を同時に使える者はそういない。

 シンは感心しながら、受け止めていた火の槍を侵食し始めた。別の魔法を同時に使えても、集中力はどちらかに割かなければならない。

 造りが単純な魔法なら主導権も奪いやすい。

 二種の槍をスフィアに放った。水の盾も形状を変え、球体にして槍の後を追わせる。

スフィアは顔色一つ変えず、足元の蛇の骨を思い切り踏みつぶす。目の前の地面を隆起させ、土の壁を作り、槍と玉を防いた。

 まだ若いのにも関わらず戦闘慣れしているのは何故か。シンは訝しんだ。元々騎士志望であったか、それとも抗争を想定した訓練を行っているのか、どちらにせよ、厄介この上ない。

「精霊の歯牙、汝の同胞集いし祭事。祈り猛り踊り狂う」

 壁の陰でスフィアは精霊術を唱えた。

 周囲の風の流れが乱れ、木々が撓るほど勢いを増していく。

「獄鎖の旋風!」

 三つの旋風が天に向かって巻き上がる。

 骨や瓦礫、窓ガラスも割って取り込み、不規則な軌道を描きながらシンへと迫る。

 杖を両手で握りしめて、再びその先端に白い刃を生やす。刃の正体は可視化できるほど密集させた魔法の種だ。切り裂いた跡に魔法を仕込むことも、魔法の種を吸収することも、精霊が介入している魔法を乱すことも容易い。

 一閃。鎌を横に振るえば刃は伸び、三本の旋風は上下に分断する。

 旋風は内包物を散らしながら消滅した。瞬間的に伸縮した刃は、旋風だけでなくその先の土の壁、そしてスフィアにまで達する。

 スフィアは胸から鮮血を流しながら、崩れた土の壁を跨いだ。

「杖を振るうのは初めてのように見受けられますが、こうも使い熟されるとは。やはり貴方様が学会から排斥されたのは間違っていますっ」

 傷は浅い。大きく胸を広げ、興奮している様子だった。

 シンも今の一振りで仕留めたとは思っておらず、維持の難しい刃を消し、杖を構える。決して話に応じるつもりはない。

 不意を打つようにして雷の魔法を放つ。

 一直線の雷をスフィアは身を翻して避け、同じように雷の魔法を放った。

 火の玉を飛ばして芝生を燃やし、水の剣が木を切り倒した。木の根が鞭になり、圧縮された空気が爆ぜる。

 炎上している地面を飛び越えて、金属のブレスレットを変形させた剣と杖とを打ち合い、距離を取る。

 互いに引かず攻防は続く。一歩も引かないスフィアに、シンは驚きを隠せずにいた。多種の魔法を使いこなし、なにより基礎に忠実で、刃での攻撃以外は全て対処しきれている。教職に就いているのも納得がいく。

 だが基礎に忠実だからこそ、つけ入る隙も見えてくる。

 頬がつり上がる。魔法を交えるのは久しく、才ある者を前に昂る。楽しもうとするのは悪い癖だと自覚はあってもやめられない。

 作り出すのは、複数の鳥を模した氷と犬を模した土。それはシンが散々相手にしてきた獣そのもの。人とは違う意思をも模している。

 それぞれ攻撃を掻い潜りながらスフィアの元にたどり着いた。

 魔法が展開し、土は足に、氷は腕にまとわりついて拘束する。

 スフィアが解除に取り掛かろうとしたところに、すかさず魔法を撃つ。粉々に散らばっていた蛇の骨を針にして飛ばした。

 避けることはかなわず、スフィアは無数の針に刺される。

手足を拘束されたまま膝を着いた。頭部や左胸部には刺さっていないものの、もはや針の山だ。指一つ動かすのも叶わない。

「うぐぁ……どうして、どうして分かって下さらないのです」

 血を吐きながら掻き消えそうな声を漏らす。

「どうして諦めたのですかっ。私には分からない、イスタルという魔法使いをなぜ諦められるのですか。あの御方の魔法は希望でした。僻み、疎む者など捨て置けばいいのです。あの御方がそうしてきたように……なのになぜ、共に暮らしていた貴方がそれを理解していない……! 老いぼれ共から叱咤されただけで、やめられるのですか!」

 シンは杖を手放した。次はどう捌くのか見ものだっただけに、あっけない幕引きに力が抜けた。手放した杖は何かに潰されたかのように小さくなり、やがて跡形も無くなる。

「先生、あの。スフィア先生は」

 アンナが恐る恐る近づいてくる。辺りの地面は捲れ上がり、炎上し、木々はなぎ倒され、中庭の原型はどこにもない。対人戦をその場で体験すれば足がすくんでしまうというもの。

 それでも他人の、しかも自分を生贄に使おうとした人間の名を口にするのだから、呆れてしまう。

「死んじゃいない。魔法書と情報だけは回収しておきたいからな」

「でもあのままじゃ」

「禁書を盗み、お前とお前の友だちとやらを贄にしようと企んでいた。やつのせいで街は今混乱の最中だ。それを許そうとお前は言うのか?」

「だからって、あんな……あんまりすぎます」

「狂信者の暴走に、俺が責任を持つのも道理。分かってくれとは言わんよ。俺も分かりたくはないがね」

 それ以上は黙ってしまったアンナだったが、口を半開きにして遠くを見つめる。

 アンナの見ている方にはスフィアがいた。決して動けるような状態にはなく、息を引き取るにしては早すぎる。

 そもそもがスフィア一人だけの犯行というのも考えにくく、狂信者の仲間が駆け付けたのかと思えば、そうでもない。

 体中から血を拭き出しながら、スフィアは何かを飲もうと仰いでいた。

「活性化、薬?」

 アンナが声を震わせながら言う。

「なに?」

「スフィア先生が配っていたって、さっきそう言って――」

 途中でシンはアンナを突き飛ばす。スフィアが腕を持ち上げたのを見てから、咄嗟の判断だった。

 一本の水の線が地面を割き、下から上へと薙ぎ払われる。

 その水圧は尋常ではなく、木製の校舎をも貫通した。

 伸ばされているシンの腕も同様である。

 アンナは起き上がって、ぼとりと空から降ってきたものに目を移した。

 腕だった。断面からは赤黒い液体が止めどなく溢れ出ている。今にも動き出しそうな生々しさにすっと胃の辺りが浮かぶ。

 それは紛れもなく、アンナを助けた右腕だった。

 シンの右肘から先が消えている。骨ごと綺麗に切断されたのだ。

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