三章「死霊術師」 3
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魔法活性化薬は使用者の魔法の種への干渉力を飛躍的に向上させる。ただし過敏なあまり体内の魔法の種にも乱れが生じ、意識の混濁、情緒の乱れ、筋組織の損傷、複数回にわたる服用では動脈の破裂を確認。
薬の項目を目で追う。りんごが表紙に描かれた本もまたイスタルが研究内容をまとめた書物であった。魔法薬関連の研究は全てこのりんごの本にまとめられている。
読んでいてあまり気分のいいものではない。まとめられている研究のすべては、イスタルが実際に行ってきたものばかりだ。助手となっていたシンは、その被験者の末路を余すことなく目に焼き付けている。
背筋に寒気を覚え、逃げるように本へ目を落とす。
活性化薬は戦時に多く用いられ、まだ賊が撲滅されるまでは西の大陸全土で生成されていた。生成自体難しくはないが、量産には労力を要する。材料が材料だ。マンドラゴラは希少植物で取れるまで年単位の時間がかかる。
大抵の魔獣は気性が荒く、生かしたまま材料である骨を取り出すのは不可能。変質した血肉に触れれば毒素にやられ、無事では済まない。かと言って息の根を止めれば過剰に取り込まれていた魔法の種が暴走し、骨は粉々に砕けて血肉と混ざり合い材料として使い物にならなくなってしまう。
騎士隊の派遣も考慮すれば、相当数の技術に長けた人間が集団となって薬を製造していることは推測できた。
屋敷に引きこもっている間に世間は面倒な事態になっているようだった。俗世から離れた身としてとやかく言う資格はない。
イスタルが健在のときには賊撲滅に駆り出されたがもうその心配もなく、好きな時に起き飯を食い、狩りに出て、書物を読み、好きな時に寝る暮らしを満喫していた。
ルーギスには犠牲だのなんだの言われたが、気に入っていた。いまだ戦中にある東の大陸を思えば、ようやく手にした平穏なのだから当たり前だ。憎悪と怨念の渦巻き飢えと渇きに悩む生活から連れ出され、イスタルの横暴にも振り回されない。
もはや天国に等しい。シンはりんごの本を置いて、屋敷から出た。
再び安寧を手にするには、早くアンナに魔法の術を教えなければならない。なかなかやってこないアンナにしびれを切らして、森を見に行く。いまさら迷うようなこともないだろうが先日仕掛けを施している。日も暮れいつもなら屋敷の戸を叩いているはずだ。
森を一周して、シンは倒れている木の幹に腰を下ろした。
「……俺も焼きが回ったか」
肘をついて漏れ出たぼやきは、森の暗闇に呑まれる。
念のため二層に降りるが見当たらず、面倒になって屋敷に戻ることにした。
一日すっぽかしたくらいで何か変わるわけでもない。以降来なくなっても、シンにはどうでもいい話だ。
森かられば屋敷の前に人が立っていた。
気づかないふりをしてまた森の中へ後ずさる、
「あ、おい待て。なんで逃げる」
屋敷の前にいたルーギスは駆け足で寄ってきた。
肩を掴んで放そうとしない。細い腕からは想像もできないほどの力だ。シンは巨人にでもつままれている気分だった。
「忘れてないぞ。お前のせいで危うく牢屋にぶち込まれるかもしれなかったんだ」
昨夜の出来事には肝が冷える。地の利が無ければまず間違いなく捕まっていた。
「おかげで森に近づかせずにすんだんだ。余計な負傷者を出さないためだと思ってほしいものだよ」
「そのために森に細工を施していたんだがな」
「より確実にしたかったんだ。それにキミなら逃げ切れると踏んでのことさ。今度差し入れを持ってくるから、それで許してもらえないかい」
なら今持ってこい、と悪態を吐こうとした口を閉じる。
ルーギスの神妙な面持ちに合わせ、尋ねた。
「なにがあった」
「しばらくここを離れられる? 異常事態だ。手を貸してほしい」
シンはルーギスと共に森の中に飛び込んだ。
移動手段に箒を提案したが断られる。
「距離はそんなにない。アレは街に近づいているところだからな」
「アレってのはなんだ」
「粘土人形、クレイマンだ。それも巨人並のデカさ」
「クレイマン? なんだ、大道芸人でも来ているのか」
森を出た直後に異様な光景を目にする。人の形をした白い粘土の塊が五体、その巨体に見合った重量を感じさせるように、ゆったりと歩みを進めていた。
その爪先はハスミの街を差す。
クレイマンは、大人十人が肩車すればようやく頭部に届くほどの背丈だ。遠隔操作か自立式を組んでいるのか、はたまたクレイマンの中で操作しているのか、見分けは付かない。
「あれほどのものは初めて見る」
「幸いなことに騎士が来ている。一体ずつ潰していくのに、キミの手も借りたいわけだ。出来るか?」
「焼いて固めて砕くのだろ? ルーギス一人でも出来るんじゃないか」
「出来なくはないだろうけど。何度も魔法を使うハメになって手間がかかっちゃうでしょ。あの大きさで、しかも五体もいるんじゃ私も一撃で機能停止させられるか不安でね。それじゃ私砕く役、キミ燃やす役ね」
ルーギスは空へと飛び出した。見えない階段でもあるかのように、空中を駆け上がる。
エルフの得意とする精霊術の一種だ。本来声帯を用い精霊と呼応し使用するのが精霊術であるが、ルーギスほどの長寿にもなれば、念じるだけで精霊に意思を伝えられる。
巨大なクレイマンと大差ないほど異様な術には感嘆の息が漏れた。
シンは足を止めて、標的を定める。一体のクレイマンの足元ではすでに騎士が集まり火の魔法をこれでもかとぶつけていた。クレイマンの水分が抜けて動きは鈍っている。
それを加速させればいい。効率よく一体ずつ倒すのなら、数さえそろっていれば単純なものだ。シンは中腰になって物を下から放り投げるような構えを取った。
些細なズレがないよう目を見開き、クレイマンの背中を睨みつける。火力は騎士の魔法を利用すればいい。使うのは火種と風だ。
肩が外れるほどの勢いで、腕を振った。一拍の間をおいて火の線が前方に放たれる。線はとぐろを巻いて、クレイマンの足元に到達し、進行方向を九十度曲げて撃ち上がった。
造られた火の渦は、騎士の放つ火の玉を飲み込み、クレイマンの胴を飲み込むほど膨れ上がる。
干からび、ヒビの入ったタイミングでルーギスがクレイマンの頭上を捉えた。
「精霊の苗、汝の眠りを妨げる。昇天せよ!」
念じるだけで精霊術を扱える者が言葉で精霊と繋がれば、魔法も強力な状態で発現する。天を突きさす指先が、金星のように煌めいた。
「雷霆の槌!」
クレイマンを中心に閃光が辺りを包む。遅れて空気を揺らす爆裂音が響いた。
光が引いたときにはクレイマンの膝から上が消失していた。
「次行くよ次っ」
歯を食いしばりながら自力で肩を嵌め直していると、空から声が降ってくる。
久しぶりに思い切り身体を動かすものだから調子が悪い。生み出した火の渦も思ったよりも小ぶりだった。
直った肩を回し、異常がないことを確認するや否や四散しているクレイマンの欠片を飛び越えてルーギスを追いかけた。
街を囲むように弓状に立ち並ぶクレイマンのもう一体を目指す。それぞれ騎士たちが足止め出来ているようだった。
クレイマンの術者を探すがここは見晴らしのいい荒野だ。怪しい輩が隠れる場所などどこにもない。構造上脆いとされているクレイマンの中に隠れるのも得策ではなく、まず一体目を潰されたときに脱出しているはずだ。
自立型の線が濃厚であった。進行するという単純な命令をあらかじめ術式に組み込んでおけばいい。現にクレイマンが反撃してくる素振りを見せていない。
五体全て潰しきることを優先する。なにが目的かは知れないが、街への進行を止めれば姿を現すのもまた道理。
シンは二体目のクレイマンの背後に立ち、同じ要領で火と風の魔法を放つ。
クレイマンは火に渦巻かれ、そして頭上からの雷によって爆発した。
破壊作業は順調だ。残り三体程度ならルーギスの魔法で破壊しきれる。
今度は外れなかった肩を回し、三体目の方へ足を向けて土を蹴った時、女性の声が耳を掠める。
「ルーギスさん! あちらを!」
通りのいい澄んだ声だ。
声の主を探せばすぐに見つかる。遠目だが立ち位置的にも部隊長のカーナだと分かる。分隊の間の中心に立ち、指示を出していたわけだ。
カーナはルーギスの浮かぶ上空を見上げ、手にした剣で既に壊した一体目のクレイマンの方向を指し示している。
シンも釣られて壊れた一体目のクレイマンの方を向く。反射的に足を止めた。
ばらばらに飛散した欠片が地面を這い、残った足に集まって取り込まれていっている。騎士たちは這いずる欠片に火の魔法を放つがさらに分裂するだけで、クレイマンの再生は止まらない。こわれた膝上が泡立ちながら膨れ上がって足を模っていった。
「修復、しているのか?」
「なにあれ。クレイマンが自己修復できるなんて聞いた試しがないよ。出来て機能維持のために土中や大気中の水分を吸収するくらいだが、あんなの、あんなの無茶苦茶だ」
隣に降りてきたルーギスも、自己修復していくクレイマンに目を凝らし観察した。再生速度はクレイマンの鈍重な動きに反し、三体目を壊しに向かう間には修復を終えてしまうように見えた。
シンは自身の使える魔法で該当するものを言葉にする。
「不死の巨人……」
「土の巨人と粘土の巨人じゃ材質からして違うんだ。キミもよく知ってるでしょ」
「自己修復式は粘土の方が複雑になるだけで、組めないわけではない」
「どっかから操ってるとか」
「騎士の中に紛れ込んでいる可能性も考えられる。だがそうなると再生だけさせて歩行という単純な行動しかしないのが妙だ。もっと派手に暴れればいいものを」
「街の中からでもそうってわけね。目的が街への侵略なら、修復させながらもっと攻撃的になってもおかしくはない。持久戦がお望みか?」
「……以前、俺の本が盗まれたと言っていたな」
「なんの話、いや、いやそんなまさか」
「聞けば分かる」
騎士一人一人の能力と集団での練度が高いおかげで、進行そのものは食い止められている。それでもシンとルーギスは急いで、カーナの下へ駆けた。
「ルーギスさん、とそちらは」
剣を収め、ルーギスがさきほどしていたような険しい表情を顔に張り付けている。どうにか策を考えているようだった。現状維持は出来るものの、騎士たちの体力も限りある。
壊れても直るクレイマンを前にして、平静を保ったまま戦い続けられる人間などいくら騎士と言えど数えられるほどだろう。部隊長の顔がそれを物語る。
ルーギスが一歩前に出た。
「さっき火の渦を作った私の頼れる連れだ。それよりカーナくん、あの巨人はなにか分かるかね?」
「なにかと言われましても。あんなものと対峙するのは初めてで、対処のしようが」
「あぁ違う違う。そうじゃない。自己修復する巨人は分かるかと聞いたんだ」
「それは、その」
眉間のしわがなくなり、うろたえる。
そこでシンも聞いてみた。確かな武力を備えた騎士団の一部隊が、薬の手がかりを得るために、それから土の巨人の調査にわざわざ田舎街まで出向くのに疑問を抱いてはいた。
「ルーギスから、都の図書館の書物が盗まれたと聞いている。その中に魔女イスタルの執筆した書物があったのではないか?」
カーナは額に冷や汗をかきながら静かに頷く。固く結んでいたその唇を緩めた。
「状況が状況なのでお話させてください」
健闘する兵士たちを見回し、険しい表情を取り戻した。
「私たちの部隊が命じられたのは薬物を売りさばく者の特定と、それから土の巨人の調査です。その際、盗まれた書物とその内容の一部を知り、魔女との関連性から厳重体制で臨むよう指示を受けました」
「なるほど。でも対策が間に合っていなかったと」
「何度も蘇る巨人を事前に知らされてはいたのですが対策など取りようもなく、土の巨人とは似て非なる粘土人形が出てきたものですから、とっさに火の魔法で動きを止めることくらいしか出来ず……情けない限りです」
「なにが厳重体制だ。酒場でこれでもかと騒いでいたではないか」
「おいシン」
「それは、度重なる遠征で彼らもストレスをため込んでいてその……うぅ」
「うちのバカがすまない。ハスミの街はイスタルと関りが深いんだ。余計ないざこざを起こさず、出来るだけ自然体で悟られないようしてたんだろ? キミも二十になったばかりなのに部隊長を任され、無茶を言われたもんだ。むしろよく咄嗟に火の魔法を使うよう指示できた。えらいぞー」
「うううぅ」
慰めを受け今にも泣き出しそうなカーナを他所に、シンはクレイマンの一体へと視線を飛ばす。
イスタルの魔法のほとんどは再現不可能な状態にある。だが、イスタルがどうでもいいと思った魔法は本となり都の書庫に収められていた。あくまでイスタル基準でどうでもいいとなっているのが、実に厄介である。
それでも魔女の本。持ち出しは固く禁じられ、閲覧できる者も限られていた。
盗まれ、こうして利用されている光景を目の当たりにし、ほとほと呆れるばかりだ。
「おいカーナくんとやら。魔女との関連性がどうとか言っていたな。それは魔法活性化薬も該当しているのか」
「は、はい。書物を盗んだのも、薬を製造しているのも同じ魔女信者の集団だと推察しています」
「それでなにか手掛かりは見つかったのか?」
「街に到着したのもつい先日のことで、こうして粘土人形と対峙している所存で……あやしいローブの男は見つけたのですが取り逃がしてしまい」
「ちっ」
シンが何気なく舌打ちをすればカーナは押し黙ってしまう。
すかさずルーギスの蹴りが鞭のようにしなり、シンの脛を打つ。悶絶しその場にうずくまる。
「しかし目的。目的だ。クレイマンはこのまま留めておくとして、術者をあぶり出さなきゃいけない」
「あの、このハスミの街になにか魔女が残したものでもあるんでしょうか。それを奪いに来たとか」
「残留物もなにもない、廃屋くらいなものだよ。イスタルと関係があった街だけど、それならなおさら襲う意味なんて信者どもにはないはず」
「魔女には弟子がいると、伺っておりますがそちらの線は」
「あーそれはうん。確かに追い出し、というか排斥はしたがそれに憤怒しているのなら破壊活動でもしかけてくるだろう。しかも数年前の話だ。小さな街ごときにそんなねちっこくなるもんかね……なるのかなぁあいつの信者だし」
「えぇ……」
「後手後手だがカーナくん、キミたちにはこの場を任せたい。大方、私がいるから大丈夫だろうと老いぼれ共に言われたんだろ? 術者捜しは私たちに任せて」
「はっ。市民を守るのは騎士の務め。これ以上、あの粘土人形を街へは近づけさせません」
カーナは細剣を高くつき上げる。青い炎を帯び、狙いを定めて振り下ろした。
青い炎は前方のクレイマンの一体に命中する。
「戦線維持! さきほど伝えた通りローテーションを崩さず、攻撃の手を緩めるな!」
甲高い掛け声に応じて、野太い声と破裂音が返ってきた。それに押されるようにしてルーギスとシンは街へと戻った。
街へ近づくにつれて、ルーギスは顔をしかめた。
「まったく次から次へと」
「不死のクレイマンといい、俺への当てつけか何かか」
街道に立ち、眼前の光景にお互い目を疑う。
夜の闇に白い影が浮かぶ――何体もの骸骨が、足元のおどろおどろしい薄紫の瘴気を割いて、行く当てもなく彷徨っていた。
これにはルーギスも見覚えがある。賊撲滅戦においてイスタルが使用した死霊術だ。
街の奥で火の気が上がり、すでに街の魔法使いが対処している様子ではあった。
「まさか骸骨一体一体が改造されていたりなんかしないよね?」
「知らん。が、性質自体は弄れないはずだ。触れれば生気を吸い取られても、潰して呪術が返ってくるなんてありえない。それはもうすでに別の魔法だ」
「わざわざ本を盗む意味もない、か。でもこれも、半永久的に土の中から湧いて出てくるやつだよねぇ。用意周到なことで」
「ついでに発動さえしてしまえば、土の中の核を取り除いても意味はないからな」
シンは近づいてきた骸骨の眼窩に手を突っ込み、身体を捻って放り投げた。別の骸骨にぶつけて粉砕する。
「怒ってる?」
「コケにされてる気分だ」
「怒ってる~」
無視して前方を睨みつける。
砕けたはずの骨が人の形を取り戻しているところだった。ルーギスが指先から電気を放つが、骸骨は壊れても立ち上がる。
「術者次第で骸骨どもが暴走するやもしれん。湧き潰しに専念していてくれ」
「どこにいるか分かったのかい?」
「発動している間は、術式の中心部からは離れられない。街の端までこの様子じゃ、おそらく街の中全てが術式の範囲内だ。街の中心もしくは中心近くを探す」
「中心部で立てこもれそうなのは、街長の屋敷と、あとは校舎くらいなものだけど」
クレイマンと骸骨の術者はその特性を知っていて使う。シンは逆に炙り出されている状況に苛立ちを覚えていたが、途端に頭が冷えた。
道すがら骸骨を砕き、他の魔法使いたちが奮闘している横を抜けていく。骸骨は手練れの魔法使いたちに任せて向かうのは校舎だ。
盗まれていた黄泉帰りの本はシンが書いたもの。内容はよく覚えている。
一人の人間を蘇らせるには所縁ある人間二人の命を犠牲にすると記述した。
魔女を蘇らせようとすれば、魔女の森で生活していたアンナは打ってつけである。