三章「死霊術師」 2
2.
肩を落としながら、アンナは家に戻った。授業で魔法を暴発し、廊下に立たされた時よりもずっと落ち込んで、椅子に腰かけ背中を丸める。
包帯の巻かれた両手の平で顔を覆って、溜め息一つ。恥じらいとそれから後悔。シンに取った態度が露骨すぎたのだ。
「はああああああ~~……」
魔法使いなのだから、魔法がうまく使えるに越したことはない。シンの弟子であろうとなかろうと、今現在魔法のその術の教えを受けているわけである。他人を羨んで、嫉妬している暇があれば寝る間も惜しんで勉強に励めばいい。
分かっていても、胸中に靄が張る。
きっと森の闇よりも黒い靄が全身に回る前に、顔を叩いて机に向かう。本を開いて、一歩でも進むべきだ。窓からは燃えるような日の光が差す。
光の先に、手紙を見つけた。すっと手に取り、封を開ける。
都に進学した友人からの手紙だ。友人はアンナとは正反対の性格で、常に淡々としているが手紙を送ってくれている。
内容は近況の報告だったり、祭事の内容だったりと単に話し相手がほしいだけなのかもしれない。今回はどんなことが書かれているのか、三つ折りの手紙を素早く開く。
なんでもない挨拶から始まり、学校で行われた中間考査や学友と食事をした話が整った字で書かれている。そこまではいつもの調子で、アンナは頬が緩む。
空行を置いてから改めて書き出されていたのは、土の巨人の話。都では土の巨人の噂話がちょっとした騒ぎを起こしていたようだ。
一人の信者が暴れたきりで大事にはならなかったが、こちらを心配している旨が手紙には綴られていた。
すぐに筆を取った。
シンに魔法を習っている――そう書ければどれだけよかったか。シンは裏切ったのだと、見限ったのだと当時イスタルの教室に通っていた子どもたちは嘆いた。友人もまた失望し、自分の魔法だけを信じて都へ進学した。
アンナは自分の手が震えていることに嫌気がさし、筆をそっと置いた。
友人の手紙を見ながら机に伏す。
友人は優秀な魔法使いだ。シャルロットと同程度、もしくはそれ以上のセンスを持っている。イスタルから直接指導されているところを、アンナは何度も目にしていた。
例え友人が望まなくとも、シンが手放しで褒めるだろうことは想像に難くない。
「はあ…………」
手当てしてもらった手のマメが、傷むような気がした。
ペンを取り、途中でやめてまた書き始める。そんなことを繰り返しているうちに眠りにつき朝を迎えた。
急いで家を出れば、街中には蒼い服の人を何人も見かける。腰に剣を差し、甲冑を着ている者までいる。
何事かと思い、道端でパンをかじっている蒼い服の男に近づいた。
男は慌てて残りのパンを口に放って乱暴に咀嚼すると、さっと姿勢を整える。
「騎士さんですよね? なにかあったんですか?」
「昨晩、薬物を所持する怪しいローブの男を見かけ、現在街の警護に当たっている所存。お嬢さんも怪しい人物を見かけましたら我々にご連絡ください」
「ローブ……」
「心当たりでも?」
「い、いえ。薬物ってこの前、学校でも話題になったので。ほんと何もないところですけど、ご飯はおいしいのでよかったらゆっくりしていってください」
大方、アンナと別れた後に街の中を散策していたのだろうと予想は付く。
悟られないよう深くお辞儀をして、そそくさと立ち去った。
シンが何かしたか考えるよりも直接聞いた方が早い。ひとまずは学校に遅刻しないことだ。速足からランニングになり、校門を抜ける生徒たちに追いついた。
教室の机に付こうとすれば躓き、机が大きく揺れる。
すると机の中から小物が出てきた。既視感のある、小瓶だ。
アンナは小瓶を詳細に確認するよりも早く、手に取りポケットにつっこんだ。中身は少量だったが、一見確かに屋敷でルーギスが見せてくれた薬と同じものに違いなかった。
「おはよう。アンナ」
背後からリリィに話しかけられ、振り返る。
よほど変な顔をしていて、リリィもぎょっと驚いた。
「どうしたの?」
「あー、おはよっ。ちょっと腰が痛くてびっくりしちゃって」
平静を装い、いつものようにふるまう。
上手くできているかは不満だったが、リリィも一度首をひねった切り、アンナの隣の席についた。
「えなに、おばあちゃん? どこかにぶつけたの?」
「今朝机の角にぶつけちゃってさー」
「本当ドジなんだから。そうだ。街中に騎士様方が来ているみたいだけど、アンナはなにか知ってる?」
「なんか薬物がどうとかで来てくれたって、ルーギスさんに聞いたよ」
「うーん……そうよね。ルーギスさんが言うなら、そうなのかしら」
「教会でなにかあったの?」
「そういうわけじゃないのだけれど。教会からすれば取り締まりを強化してくれるのは大変助かることでもあるし。でも街の中どこを歩いても見かけるほどの騎士様が来てくれるなんて珍しいことだから、なにか他にもあるのかなって」
考え過ぎだとアンナは茶化して、教室の外から呼び出されたリリィを見送る。
土の巨人の話を口にするか迷った末に、やめた。込み入った話になれば勘の鋭いリリィのことだ。自力でたどり着くこともあり得る。
アンナは小瓶の入ったポケットに手を添えた。それはシンと接触していることをしってのことか、それともただアンナの魔法の実力を知ってのことかは分からない。
何か良からぬことが起きている。せめて廊下で談笑しているリリィは巻き込まないよう、する他なかった。
夕焼けに染まった教室で一人、机の上で瓶を転がしていた。
授業には集中できたが、終わってからは体調がすぐれないふりをして悶々と寝たふりをする。シンにも話すべきなのだろうが、昨日のことが途端に恥ずかしくなって動けず。
小瓶をつまんで傾ければ、燃えるような夕日の光を散乱させながら、数ミリの白い砂のようなものが小瓶の中を流れた。
行った試しはないがまるで海の砂のようだとアンナは思う。これを飲み込むだけで魔法の技術が向上するのだから不思議な話だ。
シンから指導を受けてはいるものの、一向に魔法が上達しているようには思えない。疑っているわけでもなく、むしろ崇拝の域まで行っている自覚がある。けれど結果が伴っていないのもまた事実。
小瓶を握り、手の平に痛みを覚える。マメが潰れたのかもしれない。
飲んでもシンは喜びも悲しみもせず、ましてやアンナの体がどうなろうと知ったことではない。そう断言できた。しばらく一緒にいてシンのことは分かったつもりでいる。
泥の味や植物の青臭さに包まれ、獣を探すために暗闇の中で目を凝らして弓を引く。それこそ骨を埋める気で、今日もまた森に向かう。
シンはそうしろと言う。必死になるなと言う。
そのとき視界から色が失せた気がした。夕日の赤も、小瓶の白も、胸の中も、すべてが魔法で吹き飛ばされたかのような錯覚に陥る。
それも一瞬の出来事で、正気を取り戻せば目をこすり、胸に手を置いた。心臓は鼓動し絶え間なく体に血をめぐらせる。
「ずっと前から好きでした! 付き合ってください!」
外から聞こえてきた声に、意識が引っ張られた。
色の失せた感覚の余韻に浸ることもなく、そろりそろりと窓際に近づいて顔をのぞかせる。見間違いでなければ、誰かが誰かに告白しているようだった。
夕日を背景に色恋の雰囲気を醸し出し、二人の学生が向かい合っている。男子の方は知らないが女子の方はよく知っている。
夕日の光にも負けないほどきらびやかな銀色の髪をしていた。リリィだ。修道服ではなくまだ学生服を着ているあたり、まだ学校を出ていなかったようだ。図書室かどこかで時間を潰してから、事前に約束していた場所に向かったと言ったところ。
なにも珍しい光景ではない。リリィは容姿端麗で何より人当りがいい。よく人のことを観察し、気に掛ける。おまけに精霊術を使う学生は珍しく、目を引くものだ。
アンナが見て確認しているだけでも十数回だ。故にこの後の展開も読める。
「ごめんなさい。私は学生である前に、一人のシスターです。残念ですがあなたの願いを叶えられそうにありません」
拳を強く握りしめた男子に、まっすぐとはっきり言いきって見せた。
「ほら、シスターだって隠れてでも会えるだろ。俺はいくらでも我慢できるからさ」
「ごめんなさい」
「付き合ってみないと分からないこともあるんじゃないの? ねぇ少しだけでも、三日だけでもいいからさ。いいだろ? 俺魔法だって学年じゃあ上位なんだぜ?」
「……」
男子の方はなかなか食い下がっていた。
それ以上は野次馬根性で見るのも申し訳なくなり、アンナは窓際の壁から手を放す。
「なんで……なんでだよ。なにが、気に食わないんだっ。俺じゃいけない理由を、言ってみろォ!」
男子の様子がおかしい。
拳を開いて何かを口に含み、体を震わせ、腕を掻きむしりだす。
リリィも不審がって恐る恐る近づく。
そっと伸ばされた腕を男子が力強く掴んだ。その目は真っ赤に充血し、口端からは涎を垂らして息を荒げていた。
異常な光景と友人の危機を察知して、アンナは窓から飛び出した。足が地に付くのとほぼ同時に火の玉を生成する。リリィが射線上に入らないよう、射出した。
しかし男には当たらない。男はなにも気にかけることなく、掻きむしって血まみれの手でリリィの首を掴んだ。
火の玉では駄目だ。考えるよりも早く体が反応する。
もっと使い慣れて、もっと手になじむ物がほしい。体が欲し、思考が追いつたときにはそれを握りしめていた。
弓と一本の矢だ。火で作り出された一組の武器は、ごうごうと今この場にあるどの赤よりも強い光を帯びる。
引き絞り放つまでものの数秒。集中する時間はいらない。
矢は男子の頭蓋を捉え、弾ける。
男子が吹き飛んだのを確認してから、無我夢中でリリィの傍に寄る。むせてせき込むリリィの背中をさすった。
「平気っ? あぁ首に痣が、なんてひどい」
「ごほっ……ア、アンナ……? どうしてここに?」
「そんなの今はいいから。動ける? とにかくここから逃げよう」
「えぇ。でも、あの人をどうにかしないと」
リリィの目線を追い、男子の方を向く。
男子は何事もなかったかのように起き上がる。手を地につけて低く獣のように唸ると、その背後の土がめくれて浮かび上がり、二つの巨大な棘を形作る。
「リリィさん認めてくれよぉ。俺はヘボじゃない。凄い魔法使いなんだ。こんなに難しい魔法だって使いこなせる。だからあんたを幸せにできる、あんたがほしい。あんたがあんた。いいだろォ! あっぁ!」
アンナはリリィの前に出て再度、弓を引き絞る。
飛んできた棘の一つを打ち落としてみせた。だがもう一つを止められはしない。避けるわけにもいかず、腹で受け止める。
刺さるほど営利ではなかったものの、勢いに押されて宙を舞う。地面に打ち付けられて腹部の痛みに耐えきれず体を丸めた。
「アンナ!?」
激痛に苦しむ中でもリリィの声はよく届く。リリィに逃げろと言いたかったが声が出ない。代わりに吐しゃ物を出して、呼吸が止まる。
咳込み、詰まったものを吐き出してから起き上がった。体は痛むが動ける。
「アンナあなた」
「逃げて、逃げなきゃ。せめてリリィだけでもっ」
「無茶はだめよ。私ならもう大丈夫だから」
男子は土の棘を新たに作り出す。
それに合わせるようにリリィも呪文を唱えた。
「精霊の加護、汝の翼かく語りき。清浄の光は差す」
アンナも弓を構えようとするが、腕が上がらなかった。折れているわけではないが痺れて動かせない。なにより弓を作り出そうと思っても、出来なかった。
リリィの盾の魔法でもどれだけ耐えられるか分からない。
一体何が起きているのか。アンナは落ち着いて呼吸を整えた。頭に血が回り、男子の方を見やる。
もはや焦点のあってない目は、意思も宿していないようでもあった。
男が狂ったのは告白後、手を口に押し当てたときだ。なにかを食べる様な仕草に、思い当たる伏がある。言動がおかしくなるのも副作用の一つなのかも知れない。
男子は薬を飲んだのだ。
「あんなになってまで、なんで」
思わず目をそらしたくなるような様に、友を傷つけられてもアンナは責めきれずにいた。その心中は知れないが、姿を重ねてしまう。
――シンが断固拒否していれば、自分も。
土の棘が一向に飛んでこないことに気づけば、男子は前のめりになって地面に倒れた。ぼろぼろと土の棘も崩れて、元あった地面へと帰る。
男子の倒れ、その後ろには教師のスフィアが立っていた。
「お二人とも、ケガは……ケガだらけみたいですね。でも間に合ってよかった」
安堵の息を漏らすスフィアを前に、二人はぽかんと口を開ける。
あたりは静けさを取り戻し、夜の準備を始めていた。




