二章「魔法学校」 6
6.
「頼みごとを聞くとは言った。言ったが」
袖を引かれてみれば森を歩く羽目になった。シンは口元をひん曲げながら、フードの下で心底嫌そうな顔をする。
「もうそんな言い訳通じませんからね。ちゃんと街まで付いてきてもらいますっ」
「俺は街から追い出されたんだ。キミも見ていたはずだろう」
「みんなだって、ほんとは先生に出ていってほしいだなんて思ってなかったですよ。おかしいじゃないですか。先生はイスタルさんに会いたかっただけなのに」
「そうだとしても事情が事情だ。世の理や人の尊厳を侵害するものは等しく、禁忌とされている。禁忌に触れたものを迎え入れる街など、あってはならん」
「そういう話、よく分からないですから。それにバレなければ大丈夫ですって」
ぐんぐんと進むアンナに引っ張られた。
約束した手前、それ以上口出しも出来ず、ローブのフードを深くかぶり直す。ローブで全身を隠し、人種も分からない。蓄えた髭のおかげもあってか、街で見かけてもルーギス以外は正体に気づきはしないだろう。
アンナが躓き、よろけたところに手を伸ばし、襟を掴んで引き戻す。
「ありがとう、ございます」
掴みながらアンナを見る。普段の修練時は動きやすそうな布着だが、今日は薄いピンクの服の上に白のカーディガン、スカートまで穿いている。
なぜ、街に連れて行こうとするのか。この年頃にはよくある好意に薄々感づいているが、それにつけても執着がすぎる。
「あ、あの……先生?」
何も考えて無さそうな眼が刺さる。
シンは手を放し、アンナの脇を抜けた。
「マメはどうだ」
「マメ?」
「手のマメだ。痛むのだろう。療養も兼ねて、一日だけだぞ」
森を抜けて、平らにならされた道に出た。
日の光が眩しく、瞬きを繰り返す。見晴らしのいい平地を行き、街を目指す。何度も通った街だ。足が覚えている。
以前、土の巨人を出した場所を通り過ぎたところで足を止め、建ち並ぶ家々を眺めた。
白色の角ばった家並みと、教会がよく見える。お世辞にも賑わいのある街だとは言えないが、のどかな空気が漂う。
いつのまにか前にいたアンナに呼ばれて、足を踏み入れた。
「……帰るか」
「まだ来たばかりですよ。一緒に回って、お昼になったらうちでご飯食べましょう。お母さんに紹介しないといけませんし」
「さすがにそこまで付き合うつもりはないぞ」
路地を進み、代わり映えのない街並みにそっと息を吐く。街に通っていたのも数年ほどだが覚えているものだ。
「アンナちゃん、買い物かい? 丁度新作のパンを試していたところなんだけど、味見していってくれないかな」
「わーい。ありがとおじさん」
パン屋の店主に呼ばれ、アンナは店の方に走っていった。似たような調子で花屋や通行人にも話しかけられる。
シンはそれを遠巻きに眺め、師匠だと紹介される度に軽い会釈を返す。見覚えのあるような顔もあったが、髭とフードで正体を悟られはしなかった。
師ではないと言って聞かせるのも面倒になり、もはや黙ってついていく。昼になれば街の中央にある広場で昼食を摂り、日が傾き始めた頃、街の中でも古風な木製の建築物に案内された。
「私も通っているハスミの魔法学校なんですけど、先生、ご存知ですよね」
「外からならな。随分、昔からあるとは聞いている」
「見ていきます? 先生たちも何人かはいると思うんですけど、たぶん大丈夫です」
「興味はある。しかし見知らぬ者が入れるものなのか。会ったことはないが、ここの校長はルーギスにも引けを取らない魔法使いらしいじゃないか。妙な罠を仕掛けていても可笑しくはない」
「そんなわけないじゃないですか。校舎をジャングルにしたり、大量のうさぎを校舎に放ったり、なんか愉快なだけの人ですって」
袖を掴まれ、意気揚々と連れていかれる。
古びた様相にしては小ぎれいな校内だ。ほこりの一つもない。
「だいたいは移動教室なんですけど、学年学級ごとに教室も要されているんです。で、ここが私が通ってる教室です。と言っても、どの教室も同じ造りなんですけどね」
シンは教室の壁の木目をなぞり、それから机の並ぶ教室を見渡す。
「十六か。多くはないな」
「他所の街から通ってくる子もいるんですけどね。田舎街ですし」
「普段はどんなことを習っている?」
「五行からなる基礎魔法や、実践訓練や魔法史も。先生からすれば大したことのないものばかりだと思います」
「そういう場所だろう。魔法を見せびらかすだけでは話にならん。思えばあれも、教室とは名ばかりのデタラメ具合だったな」
「イスタルさんの魔法教室はなんというか、夢を見せてくれました。魔法使いの夢を。私の他の子たちも、だからみんな」
話の途中でシンは廊下の方を見やる。足音が近づいてきていた。
アンナがいるのだからそこまで警戒することもないが、用心に越したことはない。ローブを引き締め、姿勢を正す。
凛とした獣耳のシャルロットが廊下から顔を出した。
「アンナさん? 今日はお休みですけどなぜ学校に……そちらの方は?」
「ん。ちょっと師匠に学校を案内してたの」
「師匠?」と怪訝な表情を浮かべながらでにじり寄る。薄汚れたローブにくまなく目を這わせた。
「お嬢さんなにか」
「随分その、みすぼらしい……いえ失敬。貴方の名は? どこの出? 専門は?」
「なんだね急に。田舎の出の名もない魔術師だが」
「アンナさんの師と聞きましたが、本当に彼女を弟子に? 外見で決めつけたくはありませんが、魔術師なら魔術師なりの立ち振る舞いというものがですね。人の上に立つなら尚さら気を使うべきではなくて?」
イヤに突っかかってくる様に、呆気にとられた。体格の違う相手に強気の気迫は、相当な自信があってこそだ。
そもそもが事実の指摘であり、シンも同意であった。アンナのいる方を見れば、何度も頭を下げている。
アンナはばたばたと駆け寄って傍に着いた。
「先生はこれでいいんですっ。というかシャルこそ何やってんの」
「私は教頭とお話をしていただけです。それよりアナタ。こんなよく分からない魔術師に魔法を習っているんですか? 弟子にしてもらうなら、もう少しこう、あるでしょう?」
「よく分からなくないもん。先生よりすごい魔法使いなんていないんだからっ」
「へぇ。そうなのですか? 名もない魔術師さん」
「天地がひっくり返ってもありえん」
「だそうですけど?」
「先生どっちの味方なんですか! シャルに先生の凄さを見せてやってください!」
「何をもってして凄いんだ……そういうのは自分でやりたまえ。そら行くぞ。ここはもう見飽きた」
シャルロットの脇を抜けた先に、火の玉が現れる。否応なしに足を止めた。
一つではなく、二つ三つと火の玉は増殖していく。燃え盛る火の魔法は、すぐにシンを取り囲んだ。
「シャルっ」
「アンナさんすいません。別にアナタが心配だとか、騙されているのではだとかそんなことは毛ほども、微塵も考えてはいませんが試させていただきます。最近は特に薬だのなんだのと不審な事件も起きてますから」
シンは鋭い視線にひるむことなく、火の玉の一つに手を伸ばす。
熱を一切感じない。球体の表面で熱が留められており、感嘆の息を漏らす。
「発火維持と熱操作が完璧だ。ここまで美しいのは中々お目にかかれない」
「……見る目はあるみたいですが、随分と余裕がおありで」
「所詮は基礎の基礎。火遊びも止められず、何が魔術師か」
火の玉が変色を始める。シャルは異変に気付いたが、火の主導権はすでにない。
赤色から青色に変わり激しく燃えると、ひとつ残らず萎んで消え失せる。
「浸食……死霊術の一つですわね。すでに発現させた魔法のコントロールを奪う。実際に見るのは初めてですが」
「術師は少ないはずだが、よく知っているな」
「ますます怪しくなりましたわ。なぜ死霊術師がアンナさんの師匠を? 彼女にそんな適性はないはずです」
「彼女には体内の魔法の種のバランスを整える訓練をさせている。死霊術師にしようなどとは思っていない」
「なるほど」
「キミの綺麗な魔法に比べたら芸のないモノだったが、今日はこの辺で見逃してはくれまいか。騒ぎとなれば何分面倒なのでな」
「……死霊術師への風当たりはお察しします。よくよく考えれば、アンナさんが満足しているのなら私が介入する話でもありませんし」
肩から力を抜いて、シャルロットは隣にいたアンナの背中を押した。
「ではまたどこかで。アンナさんは学校、遅刻しないように」
シャルロットに見送られ、二人は教室から出て、そのまま校門へ向かい路地に着く。次の目的地への道中、シンが口を開いた。
「あのシャルとかいうのは学友か?」
アンナは目を見開いて、まじまじとフードに隠れた顔を見つめた。
「なんだ?」
「い、いえ。学友というか、腐れ縁というか。よく衝突はします、はい」
「ケンカにもならんだろう。そういえば少し前に怪我をしていたときがあったな。あれがそうか」
「先生はやっぱり魔法が上手に使える子の方が、いいんでしょうか」
シンが震えた声の方を見る。アンナはもう前を向いていて表情が分からない。
「いいも何も弟子を取るつもりなどないんだ。キミにだって必要なことを必要な分だけ教えたらそれで終わりだ」
「ですよねー。あはは」
威勢のない笑いが、路地の奥へと飛んでいく。
校舎から出てからアンナの様子はおかしく、ぶらりぶらりと街を散歩した。
「今日はありがとうございました。それでは」
最後だけはいつもの調子で、満面の笑みを浮かべて別れる。
シンが小首をかしげたのも束の間、街を出ようとした足を止めて、逆方向に歩き出す。アンナが帰っていった方とも違う、街の外れにある場所だ。歩けば歩くほど人の影は減り、そこに着くころには周りには誰もいなくなっていた。
街の家々と造形は同じだが、木造の建築物で小屋のようにも見える。戸は締め切られ、雨風にやられ誰も整備していないのか、いつ崩れてもおかしくはない様相である。
日が暮れていくのもお構いなしに、ぼうっと突っ立っていた。
目の前にあるのはイスタルの開いていた魔法教室だ。ここでシンはイスタルの手伝いをして子どもたちに魔法を見せ、教えていた。
「ここは、魔女と呼ばれた御方が開いていた寺子屋。その残滓からは儚くも魔女の力強さを感じる……そう思いませんか」
隣を見れば、男が一人立っている。
「失礼。この家を前に、なにか憂いているようなご様子でしたから、つい声をかけたくなりまして。私、ハスミの学校で教師をしているスフィアという者です」
スフィアは礼儀正しく会釈をしてみせた。