痛みと許容の雨
「お、橋守りのじょーちゃんじゃねぇか。ウチのやつらじゃ物足らんかね」
ガドヴィンのオジサマが火炎をポッポと燃えたてるキセルを吹かせながら声をかけてきた。
「お弟子がきたから工具や見本が必要なの」
根本的な工具はないし。
「あと、どんなものが必要か私が知りたいの」
知りたい。そう言った。
そう確かに言った。
暑い。連れ込まれた工房はひどく暑かった。
炉からこぼれる炎はキラキラの多色。説明によると魔力が付与された精霊炎だからだそうだ。暑い。
バテて店舗部分に出てきた私にギースが笑いながらさっぱりめの果汁をくれた。常温のそれはすごく美味しかった。
工房には金床や金槌、耐熱板によくわからない金属の棒白い乳鉢。先端が平べったい黒い棒に箒。黒い塊はじっくりつくった炭だとか。つまり理解不能なものがたくさん必要だとわかった。
「とりあえず工房の旦那に一般的な工具一式揃えて包んでもらったからねー。財布はまだ重いから次に行こうか」
ギースがサラッと笑う。
「工房の旦那?」
「ガドヴィンたちは地底の工房以では客分でしかないしね。ガドヴィンの工房の工具じゃ使い悪いんだろ? だから、正規の工房主に一般的工具を頼んだんだよ。なんならそこから自作するようなものらしいしさ」
一般的でないと複製できないからそれは正解なんだろうなと思うのだけど、妙にもやもやする。
「しょうがないと思うよ。だって生きて馴染んできた期間が違うからね。ハッシーはまだ馴染んでないところから、んーっと迷い込んで一巡り経ってない感じかな?」
ギースは楽しそうにひらひらと手首で手を前後させる。
「あと、元の世界でも世間知らずの箱庭さんかなって思ってるんだ。周りが全部してくれるタイプか、何もしてくれないけど、関わらせてもらえないタイプかどっちかのさ」
あたってる? とばかりに首を傾げられて言葉が出ない。
「だから今すごく頑張ってるんだろ?」
ぽんと肩を軽く叩かれる。
「苦手だと、こわいと思ってるのに頑張って好きな相手を守りたいんだろ? それはとても素敵で良いことだと思うんだ。そういう頑張りって可愛いし」
頭撫でちゃう? 撫でちゃおう。なんてギースは笑っているのだ。
「普段側にいないわけだから甘やかしてしまうのも無責任なんだけど、どーせそばにいないんだからたまにぐらい甘やかしてもいいよねー」
「えーい、なにか反応しろっ」
「頑張っていたのかな?」
だって全然足りてないんだ。出来てないんだ。それはわかってるんだ。私はいつだって何にもできない成し遂げられない。
「頑張ってるでしょ」
でも、だって、できてないんだよ。なにもできてはいない。なにひとつ。繰り返される私の中の言葉に逆らえず絡め取られていく。
「結果も大事だけどさぁ、できるって人によって物差し違うんだよ。個人のあたりまえの基準次第でね。できないなら、ひとつできるだけでひとつ頑張ったの。ハッシーの場合、自分から話しかけたりするのは頑張ってでないとできないことだったのを頑張った結果でしょ?」
ほら、頑張っている。と笑ってくれる。
「それに、自覚するって大事だから。できてないももっと先をもちゃんと考えているでしょ。できなかったことができるようになっているでしょ?」
「あんまりちょろいと騙されちゃうぞ」
反応できないでいる私にギースがそんなことを言う。
「騙す気はないけどさ、ハッシーは愛情不足な環境で育ったんだねぇ。まぁアイツは身内を簡単に見捨てたりしないから、ゆっくり覚えればいいさ。たまにはワガママも試してみるとかさ」
ぽんぽんと撫でられた。
雨のようにふってくる痛くない言葉に心が動けない。この世界に来てから、そう、痛くない視線と痛くない言葉が満ちている。後でてのひらを返されて痛みに変わったことも忘れられない。だから、いまでも身構えている。痛くない言葉は殻を弱くする毒だから。
与えられる優しさは、甘さはそれまでの不足を際立たせてとても深い傷が穿たられる。痛いことを気がつきたくない。痛いことを見たくない。優しさが痛くてしかたない。
「さぁハッシー、次は薬屋と武器屋どっちに行く?」
手を引いて移動を促される。握られる温度が、心を筒抜けにするとわかっていても嬉しいと思う。こわいと思ってるのにぎゅっと握られる手がただ嬉しい。