名前と今
私は気がついた時には一人で寝起きしていた。
私の部屋に私はなんの疑問も持たず過ごしていた。
食事の時にだけやってくる世話役が私の教師でもあった。
私の所属する家は『フルクカラノカクシキ』を重要視する家で『ハズレタ』私にもそれ相応が求められた。『オクサマ』と『ダンナサマ』そして私を『オネエサマ』と呼ぶ『イモウト』、年上の『イイナヅケ』私は彼らの機嫌を損ねないように息をいつだって潜めてた。普段、彼らが私を呼ぶことはなく、『ねぇ』『あなた』『ちょっと』『ほら』あたりが私を指す言葉だった。私は自分の名前を十五の年までちゃんと理解していなかった。
「……さん!」
幾度となく呼ばれようやく反応する私をいらだたしげに見る教師に私は申し訳ない気分になる。十五になって私ははじめて家の外に出たのだ。多すぎる人間。あたり前を要望されても私はそれを知らない。
毎日がひどく疲れた。
『イモウトサンハスバラシイノニ』
私は『オネエサマ』と私を呼んで笑っているあの子がコワイ。
祖母に会ったのは祖父の葬儀の時。
「あなたが次の当主なのですからしっかりなさいね」
その日、私はオトウサマとオカアサマが叔父様と叔母様だと知った。
私の様子にお祖母様はオトウサマオカアサマイモウトという三人を家から追い出した。謝罪されてもよくわからない。
そう。私には理解できなかったのだ。ただただ日常を破壊した祖母がおそろしかった。
学び舎はなにも変わらない。
変わらずイモウトは通っているし、彼らにとって非道を行ったのは私だった。なにをしてもしなくても悪いのは、罪があるのは私だと声の強い人は告げていた。
私はよくわからず、否定もしなかった。
そして祖母も私を持て余し、次第に疎んだ。
だから、イイナヅケがイモウトと抱き合っていても気には留めなかったし、見られていないと思ってるのか、見せるためにやってるのかどちらかだろうとちらりと思うだけだった。
気にはなったの。彼は私と婚儀後に私を殺して本当に愛しているイモウトを迎えると妹に言い聞かせていたのだから。
だから、イモウトはこわくなくなった。
純粋な善意と好意を向けてきてくれてるんじゃないかと思うと得体が知れなくて怖かったから。
彼の言葉に嬉しそうに笑っていたから。
その状況に私は安堵していた。
それでもそれがオカシイ感覚だろうなと本を読んでいるうちに感じる。安心を感じる状況を否定する情報がとても多い。
私にとって世界は不安しかないのかなと思う。
あの頃の私は望まれているのなら、そのまま死んでもいいかなと思っていた。
「それでも、わけのわからない場所でわけのわからないモノから逃げていた時は間違いなく死にたくなかった。そこで死ぬのが嫌だったの」
私に生きる目的も生きる意義も何もないとわかっているのに。望まれていないし、期待に応えられないと知っているのに。
「だから、ここが居心地よく感じるのはここが私の場所じゃないからだと思っているの。やっぱりここでも、役に立ちそうにない私はいらないかしら?」
ハッとリア充上司様が息をわざとらしく吐き出すから、私は彼に注視したのに、リア充上司様は手元から目を離すことなくナイフを小刻みに動かしている。
「役にたてなんて思ってねーよ。言ったろ。面白いから拾ってみただけだ。居てもいいし、逃げてのたれ死んでも俺にとっちゃ娯楽の枠だ」
なんというか、『図々しい』と言われた気分だ。
「ぶっちゃけ過ぎだと思うの」
「めんどくせぇだろうが」
「私、今を手放したくない。今、名前を捨てればいいのかも知れない。でも、違う名前も選べない。今のままだと同じままで、よくわからないからまだ変われない。ただ、そう、ただそのまま変われないの、嫌なの」
まとまらないこぼれていく言葉をリア充上司様は黙って聞いてくれる。
そうか。私は『嫌』で『変わりたい』んだ。なにか欲しいのに欲しいモノがなにかわからないんだ。
「それで?」
「名乗りたくも、呼ばれたくもないです」
呆れられたり、拒否されて当然だと思えた。自分ばかり都合がいい。
「っそ。了解。まーぁ実際問題はないだろ。侵入者の前にさえ出ないならな。ただちゃんと考えとけよー」
けろりとしたリア充上司様の発言に驚く。
「ん? 拾いものの面倒くらいはみるぞ?」
「私、役に立たないし」
「あ? 不都合ないぞ。俺の庭荒らす訳じゃないし」
誰が魔王の庭を荒らすというのか!?
顔に出ていたのか、苦笑い付きで「結構いるぞ。これがまた」と教えてくれた。
そうか。
まだ、今のままで許してもらえるんだ。
「軌道にのるのは三年くらいかかるって言ってたろ? 少なくともそこまではかまわないさ。まぁ、がんばって生き延びろ?」