実務作業と忘れてたこと
「道が塞がれていたら? 帰りますよ。私には対応できませんから早期に報告して対応していただかねばなりませんから」
トエカ夫人は家事の手を休めずにこやかに答える。
「私にできることは困り事をそのままにせず、解決してくださる方に告げ、事態が解決されるようできる限りの根回しをするだけですわ。この辺りの方々がどうかは存じませんが、どう、なのでしょうね」
甘やかな蜜の香り意味深に浮かべられた笑みに私は橋が復活するまで一カ月しかないことにじわりと焦りを感じた。
じっとりと絡みつく湿度。ねとつく足場。青臭くよくわからないお香の匂い。
雨こそ降っていないもののじっとりと水分をため込んだ空気が低地に澱んでいる。木の根、草やシダの葉が土泥の日傘となり水分の蒸発を防いでいる。一歩踏み込めばずぶりとひざ下までたやすく埋まる恐怖感。何度おっさんとノンカンさんに引き上げられたことか!
物理伐採で境界となる吊り橋から街近辺までのルート確保に努める魔王軍、ってーのも侵攻目指してるみたいでアレな感じだけど、侵攻は目指していない。魔王様としても末端の個人としても。
でも、侵入者がこずにダンコアちゃんがおなかすかせるのは好ましくないので、胡散臭くも来やすいルート確保は必要だと考えるのです!
「暑い! 臭い! うっとおしいって叫びたい!!」
「叫んでんじゃねーか」とおっさんがその辺の木を軽々折りながらツッコんでくる。
『魔除けの香は魔力の特性が周囲に残ることを阻害しますから有用ですよ』
不快ですが、領主さまの防衛には必要であり盲点でした。とノンカンさんが追加する。
お香はマシュポゥや小さな魔獣(子蜘蛛やねずみ)たちを追い払う効果を持っていた。ノンカンさんも忌避感を堪えてそばにいてくれている状況で、私的にはあまり好ましくないしカモン、遠巻きなもふもふぅ。つまり、さみしい。
地上部分(しかも領域外)で肉体作業をしてると普段忘れていたこととかが過ったりもする。
雑務や必須の急務に追われて忘却の沼に沈む情報は多いのだ。
つまり、私は、地下迷宮と境界の吊り橋の外の地上は知っているが気のせいでなければ自分の領地の地上部分をほとんど知らないという現実とか。
たとえば、広さ。
リア獣上司あぎゃ様の直管理区間は何処からなのかとか、隣接している土地の管理者は誰なのかとかこれっぽっちも私は知らないのである。
もうじきこの立場について六カ月。勢いと妥協とトラブルで転がってきたと思うけれど、アレ? これ良くないんじゃないかと木に魔力を叩き込んで折りながら気がついちゃったりするのは考える余力が生まれたんだと思う。
余力と言っても一発で木を切り折ることはできないけれど、数回叩き込んだら折れるようにはなったくらいではある。
「集中してねーだろ」
おっさんにぐしゃりと髪をまぜっかえされた。
「あー、いまさらなんだけどさ。領地の地上部分とか、お隣さんとか全然知らないなって気がついて」
「本当にいまさらだな。地上部分はともかくお隣さんというか、周囲はあぎゃ管轄。実質支配者ひよだから気にすることはないぞ。魔王の南方領はかなりぐだぐだ管理地だからな」
ひよ様、苦労してそう。
「だから手先が入り込んでいるだろう?」
表情を読んだのかおっさんが解説を付け足す。
「あ、ピヨット君?」
ぐしゃぐしゃの髪をなおそうとして泥まみれの手が見えた。これで髪を触ってはいけない。諦めてひとつ息を吐く。
あとでピヨット君に話を振ってみよう。
「ここって人里からどのくらいなの?」
『街に住み、吊り橋を渡ろうとするヒトが朝に街から出て昼前のお茶時間にたどり着ける距離ですね。マシュポゥや野獣を狩るのでなければ。整備なさるのならこの辺りまでで良いと思いますよ』
ノンカンさんの答えに頷きつつ、蛇行(早々に諦めた)して拓けた森の伐採痕を振り返る。
沼のような場所に陽がさしこみ、倒木が他の木の根によって日陰に引き込まれていく実に能動的な光景が広がっていた。道をつくりたいという私の希望が叶えられてるということだろう。遠巻きにフレンドリーなマシュポゥがその触手を振っている。
ぬかるみは明日には乾いた草地になるだろう。ここ数日の伐採の日々でそれはわかっている。
これ以上ヒトの住む場所に近づけばバレる境界かもしれない。最後に道を塞ぐように木を倒しておく。回収しないようにも頼んでおく。
「吊り橋への道を塞ぐ偽装か?」
おっさんが意味ないだろって顔で言うから頷く。
「そう。来るなら来て。というお誘い。塞がれてる方がきっと興味持つんじゃないかなって思って」
効果なんかわからない。
私が知る外のヒトは少ないし、代表は変態勇者だ。
外のヒト……いる。いた。あとで話をするヒトが増えた!
よっし!
帰って水浴びしたら聞きに行く!