蜘蛛のこころ
「おまえ、そろそろ出ておゆき」
母から告げられた言葉に動揺する。
いつか来る日だとは思ってはいたけれど、隅で笑う妹たちの姿が苛だたしい。
「はい。お母様」
母のようになりたいと思いつつ力を蓄える手法を模索した。
世界は簡単に崩れ落ちる。姉妹たちはバラバラと消えていった。
お母様もわたくしも結局のところ弱く小さないきものにすぎず、種を蒔いて自ら残ることに心を尽くすのだ。力足りずともより多くの時をより多くの同胞とと。
お母様が巣立てとおっしゃるならわたくしには生き延びる力があると言うこと。それはわたくしが生き延びるための種として選ばれたということでとても名誉。
ああ、それでも。どうしても消えはしないほんの少し心細さは伴いますけれどね。
わたくしは糸を張り糸を通してお母様の庇護の世界から飛び立つ。
雪溶けの始まる頃に告げられたのですし、秋の終わりまでにわたくしが集めた保存肉にはほんの少しわたくしの麻痺毒を混ぜておきました。
お母様も妹たちも楽しんでくださると幸いだと思うのです。
飛び交う鳥に糸を絡めふわり移動して辿り着いたのはどこかの結界の内側。
ぞわりとカラダの内から泡立つ恐怖。
それは水上を渡ったがゆえの冷えではなく、支配者のいる土地特有の圧迫感。
その急激な波はあっという間に押し寄せてあっという間に流れてまいります。刻み込まれたのは逆らってはいけないという本能。
わたくしはその意志に逆らわず生きようと心に定めて見晴らしの良さそうな崖にぽっかりあいた真新しそうな穴。そこにわたくしは誘われるように侵入いたしました。
そこで出会ったのは頼りなくも元気な領主の少女でした。
未だ馴染みきらぬ異界の風を纏う少女は強き種の残り香を身に纏い穏やかな無知を晒す。
なんと稚いのでしょうか。
強き種の残り香を無視し傀儡へと化すような手段は下策。わたくしは住まいを得るために少女に取りいりました。
少女は弱かった。無知だった。甘かった。
それが不快かと尋ねられれば『否』と答えるでしょう。
少女が弱いならばわたくしがより強くなり、強く導きましょう。
間違いなく、それこそわたくしが生き延びる選択肢でしょうから。少女を導き、わたくしも力をつけていく。確実に。
運命などという曖昧な言葉は詐称の道具でしょう。個の利と打算妥協を包む糖衣。
少女の成長はひどく緩やかでもどかしく、しかし、わたくしはそれを急かすべきでないと知っているのです。
わたくしが、わたくしたちが守ればいいことなのです。
わたくしたちは弱き生き物。弱くあるが故に守りたい対象にも強くあってもらわなければいけないのです。
ええ。
ですからわたくしたちの間にあるのは共通の利益を前にした打算の関係性なのです。
早々に見つけた夫にわたくしは微笑みかけます。
まずは、領主様の領内を知らなくてはいけないでしょう。
ええ。
旦那様。
いただきます。
子供達のことはお任せになってくださいね。




