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夕子 ― 夕暮れの子 ―  作者: りん
episode1 レッスン
7/42

4 鬼化

「いかがなさいましたかお嬢様」

「あのーですね……リンドウサン」


 夕子は内心びくびくしていたが、それを感じ取られたらおしまいだからと余裕たっぷりに笑おうとして、かなり引きつった笑顔をつくった。緊張で吐きそうだ。今度こそリンドウの腰の短剣が抜かれるところを拝むかもしれない。

 しかし、いざ覚悟を決めて口を開けた時、それに待ったをかける声が上がった。


「先によろしいですか」


 僅かながらも生き長らえたことに夕子はほっとする。不思議に思いながら相手の言葉の続きを待った。

 リンドウは、なんだか仰々しい口振りでこう言った。


「お嬢様は吸血鬼になられてからまだ日が浅い。僅か半年前のことです。さすれば、お嬢様は生まれたての赤ん坊となんら変わりなく、ゆえに学ぶことは多く、教育的指導を必要としておられます」

「それは前にも聞いた気がするけど……」

「つまるところ、吸血鬼になるのは阿呆あほうでもできるのです」

「はあ?」


 おもわず大きな声が出た。しまったと夕子は急いで自分の口を覆い、そろりと目の前のリンドウの様子を窺う。いつも通りだ。見た目からでは何もわからない。これで実は内心では不快に思っていましたなどと言われたら、たまったものではないなと夕子は思った。

 なにやら講義を始めようとしているリンドウを前にして、身の危険を感じた夕子はベッドに腰掛けたまま、ふらつく身体に鞭打ってすっと背筋を伸ばした。


「吸血鬼になるには鬼化きかと呼ばれる儀式を行う必要があります。方法は簡単です。吸血鬼の血液を人間の体内に取り入れればよいのです。お嬢様もグイド様の血を直々に口に含み、そして吸血鬼になられたはずです」

「記憶にないけどね」


 死にかけていたし、と夕子は頭の中で付け加える。

 リンドウは夕子の言葉には構わず続けた。


「誰もが通る道です。吸血鬼とはいわば、鬼化によって人間としての生を手放した者の集まりなのです。もちろん例外はありますが、当屋敷の使用人も、それに、当主であられるグイド様もその点は同じです」

「それなのに人間が嫌いだって言うんでしょ? それってどうなの?」


 夕子が苦々しく言うと、リンドウは落ち着き払って反論した。


「いいえ、必ずしもそうとは限りません。吸血鬼の誰もが人間を嫌い、憎み、また疎んでいるわけではありません。やはり個人によるところのものが大きいかと。とはいえ、先の戦いを顧みれば、吸血鬼の一定数以上が人類の滅亡を望んでいたのも事実でございます」


 ふうん、と低く相槌を打った夕子は、ふと疑問に思って質問を重ねてみる。


「やっぱりグイドって人間が嫌いなのかな?」


 すぐにバカな質問をしたものだと夕子は悔やんだ。これまでのグイドの行いを思い返せば尋ねるまでもなく、なによりグイドは英雄ひでおを殺した張本人であり、日本を滅ぼそうとした一味の親玉でもある。しかもそれだけはない。主人公の英雄が死んでしまった今、必ずしも漫画と同じ展開になるかは確証がないものの、かなりの確率でグイドはまた人間と殺し合うことになるはずだ。そして、ひょっとするとその時グイド自身も命を落とすことになる。


 そのことを、目の前の教育係は何も知らない。ここが漫画の世界だと告げてもどうせ信じてくれないだろうし、それ以前にグイドにも口止めされている。全てを知っているのは、夕子とグイドの二人だけだ。


「私にはわかりかねますので、どうぞ本人に直接お尋ねください」

「絶対はぐらかすよ。でも聞くまでもないね。どう見てもグイドは人間嫌いでしょ? だからひどいことできるんだよ。元人間のくせに偉そうに」

「……グイド様は」


 僅かに言い淀んだような間があったので、物珍しさに夕子は片眉を上げた。続けられたリンドウの声は、元の抑揚のない声に戻っていた。


「吸血鬼になられてから、二百年もの時が経過しておられます」


 それだけ告げるとリンドウは沈黙を守った。彼女なりのフォローだったのだと、夕子が気づいたのはすこし経ってからだ。言葉はだいぶ足りないが言いたいことはなんとなく伝わってきた。


「ふうん……庇うんだ?」

「あれでも主人でございます」


 その言い草におもわず噴き出しかけ、しかし夕子はふっと真顔に戻った。――二百年。それは途方もなく長い。人間として生きていた時間より、吸血鬼として生きてきた時のほうがずっとずっと長いということだ。もはや人間だったのは前世だと呼べるほど遥か昔の記憶。だからかもしれない。元は人間だった吸血鬼が、かつては同族だった人間に非道な行いを躊躇わないのは。もしそうだとしら――夕子はぶるっと震えた――いずれ、自分もそうなってしまったら?


 立ち上がろうとして眩暈がした。貧血だ。夕子はベッドに腰を戻し、髪の下から額を押さえ、リンドウに質問を投げかけた。


「リンドウは? リンドウは吸血鬼になってどれくらい?」

「少なくともベビーではありません」

「ベビー?」


 リンドウは小さく頷いてみせた。


「鬼化した時点で吸血鬼となります。しかし通常、人間だった者が吸血鬼としての体に慣れるまで、百年はかかると言われております」

「ひゃくっ――?」

「百年でございます」


 人間だったらおばあちゃんだ。いや、とっくにお墓に入っているかもしれない。気も遠くなるような数字に、夕子はどう反応すればいいかわからなかった。

 夕子の戸惑いに気づいているのかいないのか、リンドウはさらに説明を続ける。


「それまでは、どんなに優秀な血を受け継いだ吸血鬼も半鬼はんき、またはベビーと呼ばれます。つまり半人前の吸血鬼、赤ん坊。よって、必要となるのが教育的指導でございます」

「それって具体的になんなの?」

「食事です」


 けっきょくその話になってしまうのか。嫌そうな顔をした夕子を無視して、リンドウは続ける。


「一人前の吸血鬼になるためにまず覚えなくてはならないことは食事――つまり吸血行為です。それが私達にとってどれほど大切かは説明するまでもないでしょう。お嬢様はもう、他者の血なしでは生きてゆくことができないのです」

「でもなんで直接なの? べつに間接的だって――」

「直接食事が摂れない者の大半は死にます」


 大げさだと笑いかけた夕子ははっと口をつぐんだ。感情のない瞳が真っ直ぐ夕子を捕らえている。なぜかは知らないが、まるで悪いことをしてそれを見咎められたかのような気がして、夕子は相手から目を逸らしてしまった。

 リンドウは強調するように「死ぬのです」と繰り返した。そして、なんとか言い返そうとした夕子にその理由をおもむろに説明してみせた。


 リンドウの話をまとめるこうだ。人間よりも多方面で優れた吸血鬼だが圧倒的に数の差で劣り、闇に生きることを長らく余儀なくされた。その際、食事は命懸けであった。吸血行為を苦手とする吸血鬼は、時に手間取り、あるいは失敗し、その場で人間の返り討ちに遭うことも珍しくなかったのだ。だからこそ、平時の今のうちにしっかりと吸血行為に慣れておく必要がある――と。


 説明を聞き終えた夕子は納得した一方、やはりどうしても腑に落ちない点があった。


「わからないよ。だって上手いとか下手とか謎だよ……。吸われた方はどっちにしろ痛いんだし、とにかく直接血が吸えればそれでいんでしょ?」

「どうやら大馬鹿者と阿呆はそう思い違いするようです」

「どっちも意味同じだよ……」


 リンドウは平然とした様子で、しかしとんでもないことを言い放った。


「ベッドインと同じです」

「ベッドイン?」

「アレが下手な男とまた寝たいと思いますか。また寝たいと思うのは上手い男のはずです」

「あ、アレって……!」


 夕子の顔全体が見る見る真っ赤になっていく。熱帯びた頬を押さえてドキドキしながら、夕子はリンドウの顔を盗み見た。――ここまでくるとさすがだ。こんな時でもこの教育係は恥じらう様子もなく無表情を貫いている。本気なのか冗談なのかいまいちわからない。しかし――。


 夕子は上目遣いでもう一度相手を見上げ、今度は耳まで赤くした。改めてじっくり見ると、リンドウの見た目はけして悪くはない。腰の厳つい短剣に似合わず華奢な体つきをしているし、小さな顔はうまいこと整い、髪と同じ薄い青紫色の瞳は涼しげだ。これで人並みに笑ったりしたものなら、男ならクラっとくるだろう。それに、リンドウは夕子の何倍もの時も生きている。今までにそういうことがあってもなんら不思議ではない。

 夕子の考えを知ってか知らずか、リンドウは変わらぬ調子で話を続けた。


「稚拙な吸血鬼が与えるのは苦痛のみです。しかし巧妙な吸血鬼は苦痛を軽減することも、あるいは、快楽を与えることだってできます」

「か、かいっ――?」

「いいえ、それだけではございません。他にも吸血行為によって相手を洗脳することや、催眠状態に陥らせることもできるのです。つまり、自ら血を提供するようにと暗示をかけることも可能です。しかし、誰でも気軽にできるというわけではありません。優秀な血を受け継いでいるか、個々の素質、時には対象との相性も重要になります。その点、グイド様は特に才能があったかと記憶しております。もしかすると、グイド様に鬼化されたお嬢様も訓練次第では相手に快楽を――」

「わかったよ、わかったから! 選べばいいんでしょ選べば!」

「わかっていただけたようで助かります」

「今回だけだからね。明日はカップだからね!」


 夕子の叫びを無視してリンドウが改めて選択を迫る。


「それでは、どの者をご所望ですか」

「……吸血鬼」


 ぷいっと顔を逸らして夕子が答える。数秒の間があった。わかってはいたことだと、沈默に心が折れそうになりながら、夕子はリンドウの反応をちらりと窺う。最初から予想できていた。それでも、ほかの人と違ってため息をついてくれない分、いくらか心臓に悪い。


「またですか」

「だって人間でも吸血鬼でもどっちでもいんでしょ?」

「確かに、吸血鬼も人間も流れているのは同じ赤い血です。種族間の差はほとんどなく、優劣もありません。不味い血は不味く、美味しい血は美味しい。しかしながら――」

「わかってるよ」


 と、夕子は言葉と一緒に視線を落とす。本当にわかっているのだ。もう何度も聞いている。人間の血のほうがいいことなど夕子だって百も承知だ。

 リンドウもきっとわかってはいたが、教育係としての責務なのか、もう何回目かになる言葉を繰り返した。


「血を奪う行為は暴力に等しいです。同意の上とはいえ、そのようなことを同族にするのは通常憚れるものです」

「そう思うならなんで吸血鬼を選択肢にいれたの? 人間はかわいそうだよ。吸血鬼と違って血を失っても簡単に補給できないし」

「お嬢様は――」

「ん? 優しいって?」

「いえ、とことん大馬鹿者ですね」

「なんで!」

「メニューからお選びしますか」


 夕子は軽く息をついて首を横に振り、手元のカタログをリンドウに突き返した。勘のいい教育係のことだから気づいただろう。リンドウは納得のいかないように僅かにその眉を動かした。

 夕子は笑いながら肩をすくめてリンドウに頼んだ。


「決めたよ。悪いんだけどさ、またコンドル呼んでくれない?」


 またですか、というリンドウの心の声が聞こえてくるようだった。



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