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夕子 ― 夕暮れの子 ―  作者: りん
episode1 レッスン
10/42

012 心配性

 重苦しい空気が漂う。コンドルは押し黙ったまま顔を上げようとしなかった。丸まった背中。きつく閉じられたまぶた。膝の上で固く握りしめられた拳。時折、荒い呼吸に合わせてスーツの肩が上下する。


 夕子は視線を足元に戻すと、すこし迷ってから、おもいきって口を開いた。





「ねえコンド――」

「あーやめやめ! 暗い話やめ! こんなんオレらしくねえ!」





 突然、苛立った声とともにコンドルが立ち上がる。赤い髪をがしがしとかき乱し、悪態をつきながら乱暴な足取りでベッドから離れていく。とくに目的はないらしい。ドアとベッドの中間地点で、大きな円を描くようにぐるぐると大股で行ったり来たりしている。――とふいに足が止まる。





「つーかお前!」

「な、なに!」





 びしっと振り向きざまに人差し指を向けられ、夕子の口から裏返った声が出る。いつもだったら小バカにしたように笑うコンドルは真剣な表情を崩さなかった。ドキッとするほど鋭い眼光。眼差し。なまじ美しいだけあって迫力がある。



 コンドルの口から飛び出たのは、耳を疑うような言葉だった。





「思ったんだけどよ……」

「う、うん」

「やっぱさっきの話ナシな」




 後頭部に手を添えてへらっと笑う。

 夕子は目をパチクリさせた。




「まあアレだな。オレが悪かった。全部忘れろ」

「は……?」

「んじゃあ、そろそろ本来の目的に入って――」

「いやいやいやいや!」





 大慌てで夕子が立ち上がる。口をパクパクさせて近づこうとするのを、すっと前に伸びてきたコンドルの手のひらが待ったをかける。決まりの悪い顔とでもいうのか。顔はこちらを向いているものの目は泳いでいるし、締りのない口端はピクピクし、鼻の穴は膨らんでる。夕子がじーっと見上げても、頑なに目を合わせようとしなかった。


 夕子は深く息を吐いてまたベッドに腰を下ろした。





「説明してよ。なんで忘れなきゃなの?」

「なんでって……そりゃあ、アレだしよ……」

「アレって?」

「だから――わかるだろ?」





 なっ、と不器用にウインクをされたところで夕子には思い当たる節がない。もしかして仕事上の秘密だったのかとも一瞬疑ったが、それだったら初めから話していないはずだ。コンドルだって地獄行きは避けたいに決まっている。だとしたら、忘れてほしい理由なんて夕子にはまったく思いつかない。


 考えるよりも直接尋ねたほうが早いだろうと、夕子は早々と首を横に振った。





「わからないよ」

「だからお前がさ……」

「私?」





 夕子は首をひねる。自分が関係しているのだろうか。ますます想像がつかない。


 コンドルは続きを言うのを渋った。もったいぶっているのかと思ったらそうではないらしい。微かに赤い頬を指の外側で掻きながら「あーあー」と喉元に引っかかった言葉を出そうか出すまいか、どうやら迷っているようだ。よっぽど言いにくいことなのだろう。


 それでも、しばらくしたら腹を括ったのか、それとも自棄になったのか、たぶん後者だが勢いだけで言い切った。





「っだからさ! お前泣くだろ!」

「……は?」

「『吸血鬼なんて最低! やめる! 無理? だったら死んでやる!』とか言って泣かれたらこま――迷惑なんだよ!」





 下手な声真似とともに一息で言い放つ。言ってやったぜと顔を真赤にしながらも満足げに胸を張るコンドルとは裏腹に、夕子の目は点になった。


 ひどい濡れ衣だ。





「きも……」

「ああっ?」




 噛み付くように、コンドルが歯をむき出しにする。まだ顔に赤みが残っているせいでまったく怖くない。むしろ、おかしいぐらいだ。――ぜんぜんコンドルらしくない。




「きもいよ!」

「んだとっ!」

「きもすぎる! そんなのコンドルじゃない! 気色悪っ!」





 夕子は自分の両肩を抱え込むようにして身をよじった。笑いがこみ上げてきて、お腹が痙攣したようにぶるぶる振動する。コンドルは何か言いたそうに口をひらいたが、自分でも思うところがあったらしく、俯いて、やがて肩を震わせた。誤魔化すように、下を向いたまま小さく「……悪いかよ」と床を蹴る。


 夕子は目元に溜まった涙を拭って顔を上げた。





「変な心配しないでよ」

「別に心配なんて……してねーよ……」

「そう? なら忘れる必要ないね」

「ああもう勝手にしろ」




 コンドルは腕を組んでそっぽを向く。しかし、いくらもしないうちにちらっと視線だけ戻して



「……ほんとにもう平気なのかよ」




 これには夕子も口をあんぐりさせた。いつからそんなに心配性になったのだろう。

 夕子の考えを見透かしたのか、コンドルは「くそっ」と悪態をついて自分の額を抑えた。





「じゃあ吸血鬼嫌いだとか死に――やめたいとか、思ってないのか?」

「自分だって吸血鬼だしねえ。今さらでしょ」

「そういうことじゃねーよ」

「それにコンドルのこと好きだし」

「はああっ?」





 驚いた声を上げてコンドルが顔を向ける。夕子がにやっと笑うと、ぶつくさ言いながら頭をかき、だるそうにベッドに戻ってくる。

 拳一つ分の距離を開けて、コンドルは隣に腰かけた。





「なるほどな。つまり、心配はいらないんだな?」

「そうだよ」

「当然遠慮もいらないってことだよな」

「遠慮?」





 夕子は首を傾げる。

 コンドルはふんっと鼻を小さく鳴らし、エメラルドの瞳を意地悪そうに細めた。しまったと夕子が気づいたときには遅かった。長い腕が夕子の腰を引き寄せ、気づいたら、コンドルの胸の中でムカつくほど端正な顔を見上げていた。はだけたシャツから白い首筋が覗いている。





「お前吸血鬼だって今言ったな?」

「それは言葉のあやというか……」

「証明してみろ」




 どくん、と心臓が強く鳴った。




「――こいよ」




 どくん、どくん、と夕子の中で夕子じゃない誰かが、目覚めようとしている――。



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