01.『アリス』
頬杖をついたまま、彼女は窓の外を眺めながら溜め息をついた
ここはフローリア王国の首都、カルリにある国立魔法高等学校
国内でも数少ない高度な魔法を主に実戦と座学で教える学校である
一応、他に高等魔術を教える学校がないわけではない・・・のだが
溜め息をついた少女---アリスはあまりにも平々凡々としていた
平々凡々と言っても同じ歳くらいの者の平均からしてみれば一応高いレベルではあるのだが、あくまでも全体の平均から見て「高い」か「低い」かで分けた場合での話である
故に辛うじて落第を免れているという有様であった
溜め息をついた直後、いつの間にか背後に立っていた教科担任に紙の束---教科書で頭をはたかれていた
「痛ッ!」
「全く、いつも黄昏てやがって
そんなんじゃ本当に落第するぞ!」
力なく「ハイ・・・」と返事をするのとほぼ同時に周りからは失笑が起こる
こんな風景も日常茶飯事であった
アリス-アリス・ソル・メイディアはブロンドの髪に灰色の瞳という、この辺りではごく一般的な容姿である
加えて、勉強は人並み、魔法能力に至ってはやや劣るという代わり映えも見栄えもしない少女であった
そんな彼女が高等魔法学校に通えていられるのは両親の力と数少ない親友の存在であった
父親は著名魔術研究者の一人であるアルベルト・エルガルド・メイディア、母親は国内における魔法教育の最高機関の構成員であるメイヴィス・アンナ・フローリア・メイディア、唯一と言ってもいい親友は学年トップの成績を誇る、いわばエリートなのだ
周囲を取り巻く環境がこれでは、アリスでなくとも大抵の人間は溜め息をつきたくもなるだろう
加えて、両親ともにエリートと言って差し支えがないような家庭の一人娘がこの始末である
周囲からの冷やかしが殆どないのがある意味奇跡でもあった
終業の鐘が鳴ると、担任の教師は僅かな荷物を持って教室から出て行き、自分の荷物を纏めた生徒達も口々に別れの挨拶をしながら帰路に就くため、教室から出て行く
それを横目に見ながらアリスも帰宅のため、荷物を纏めていると親友-ジャスミン・ルーナ・カーマインに声を掛けられる
「今日はこれから用事があって、一緒に帰れないんだ・・・ごめん」
「ううん、いいよ
最近忙しいんでしょ?」
「まあね
色々手伝いとかあるから」
『手伝い』がなんの事かは知らないが、親友とはいえ他人の家庭の事情に口を出すのはお節介というより藪蛇だろう
そう考えたアリスは、「早く帰った方がいいんじゃない?」とだけ言う
その考えを汲み取ったのか、ジャスミンは「じゃあ、また明日」とだけ口にし、駆け足で去っていった
短いやりとりの間に支度を終えたアリスも帰路につく
徒歩にて帰宅したアリスは、自宅につくなり、すぐに自室に向かう
両親が揃って家にいないことが当たり前な家庭のため、居間に向かっても何もすることがないのだ
そんな彼女は荷物を置くなり本棚から1冊の本を引っ張り出し、机に向かう
それは『大陸側』の人間---それどころか、魔法を扱う事の出来る知能生物では半ば常識となる内容の本である
則ち、魔法と特殊能力を含む能力に関しての本である
前々から彼女が感じていた事であるが、幾ら何でも魔法能力が低すぎるのである
決して下手だとかそういう訳ではない
一応、魔法を放ってコントロールする技術は人並みにある
問題は、魔力量の少なさである
いくら高等魔術を教える学校だからとはいえ、同級生の平均魔力量と比較すると明らかに劣っている
尤も、その分コントロールの技術が付いたため、落第の心配はないのだが
もう一つ、彼女が気にしていること・・・それは、未だに特殊能力が発現していないのである
同級生はその殆どが発現しており、そうでないのはアリスとジャスミン、その他2,3名といった具合である
この歳ともなれば、時間操作クラスの特殊能力であっても、大抵発現する
ジャスミンは「気にする事じゃないよ」と言っていたが、はっきり言って遅すぎである
これで発現した特殊能力が操火などであったら、目も当てられない
・・・と、そんないつもの不毛な思考はやめて本を閉じ、魔力コントロールの精度を上げるための訓練を始める
他の家ではあまり出来ないことであるが、この家では幸いな事に魔法に関しては両親がエリートである
つまるところ、一つの部屋の家具やら建具やら小物やらに攻撃的な術に対する影響を一切受けない対魔法障壁を張ることなど、造作もないのである
いつも通り術式に従って魔力を練り上げ、指先からそれなりのサイズの炎ーーー元素魔法の火属性では基礎の魔法である灯火ーーーを出現させる
そこから、徐々に炎に供給する魔力を減らしていく
一見、至極単純でこんなのが訓練になるのか、と思われるかもしれない
だが、これは魔法を使用する際の基本であり、重要な事でもある「効率」のトレーニングなのである
効率と言っても、別に集中力がどうだとかいう話ではなく、魔力を魔法に変換する際の効率である
これが良くなければ、幾ら膨大な魔力量を誇っていても、マッチ1本擦った火を短時間起こすことが出来る程度である
逆に鍛え上げれば、僅かな魔力で大規模な蒼い火焔を起こし続ける事も可能であり、その話を父親から聞いた際、アリスが食いついたのは言うまでもない
そしてしばらく指先に灯火を発現させ続けていたアリスは基本式とは別の制御を行う術式である『拡大』を灯火に被せ、術式を変化させていく
被せた拡大式は『射出』、これもさほど難しい物ではなくむしろ初歩的な術式ではあるが、更にアリスはもう一つ、『圧縮』の拡大式も組み合わせた
金属の塊同士が擦れ合うような、独特の甲高い音を確認した彼女は腕をほぼ水平になるまで上げ、直後に射出を命じられた灯火は小さくはあるものの、鮮やかな緋色の尾を引いて飛翔したのちに障壁に当たり消滅する
既に高等魔法学校に通っているアリスには復習する必要も無いのであるが、彼女のみならずこの世界の知的生命体が認識・使用する魔法には大別して2種類のものが存在し、一つは自らの魔力を術式に従って構築し、魔法を発現させる『詠唱魔法』、もう一つは自然界に存在する知覚外の存在に力を借りて魔法を発現させる『精霊魔法』である
現在主力となっているのは詠唱魔法であり、こちらは俗に『属性魔法』や『元素魔法』と呼ばれることもある通り、火属性・水属性・風属性・地属性の4つと、そのどれにも属さない無属性の組み合わせからなる
ところで、詠唱魔法の術者は多数いるにも関わらず詠唱が行われることは滅多にないが、これは古の賢者が術式の構築に詠唱を用いずとも魔法を発現させられることを発見し、世に広めた為であるが、太古より使われていた『詠唱魔法』の名のみが後世に残り、このようなある種の歪さが存在している訳である
しかし、詠唱をせずとも魔法の発現が行えることを発見した賢者が後の世でも忘却されることがないようにと周りの者に伝えた結果、後世でもこの歪さに納得する者が多いのは彼の功績によるものである
一方で精霊魔法は術者が極端に少ないのかと問われればそうでもなく、例えば魔草(魔力の影響を受けて独自に変質した植物、それ単体では魔草ではない植物とあまり変わらない)などを媒体とする魔法も精霊魔法に分類されているため、実質的な術者の数は詠唱魔法と大差がないのが特徴である
いつもと変わらず続いていく彼女の日常、そんな日々に小さな変化が起こったのはそれから数日後のことだった