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幼なじみの移籍話

「うっす」

 練習場に、久々に背の低い守護神が現れた。大阪戦で肋骨にヒビを入れた友成が、3週間ぶりに練習に復帰した。

「友さん。もう戻って大丈夫なんすか?」

「俺はそんなやわじゃねえよ。たかだか骨一本ヒビ入ったぐらいどうってことねえ」

 後輩の本田の心配を、友成は一笑に付す。ただ、眼光は普段と変わらずぎらついていた。昇格への高揚感もあるだろうが、それ以上に天野の活躍に対する危機感の方が強かった。ただでさえ身長というハンデを背負っている以上、そうそう休んではいられない。シーズンが終われば、ゆっくり休めるのだから。


「まあ、監督の目が節穴じゃなけりゃ、次のゴールマウスは俺が守ってるだろうよ」


 その頃のクラブハウス。歓喜の時が近づくに連れて祝福ムードが沸いてきた世間に対して、重苦しい会議が続いていた。

 来シーズンへの編成会議だ。

 リーグの規定で来シーズンJ1で戦うためには、年俸上限なしのA契約を15人に締結しなければならない。すでに資金の調達は済んでいるとは言え、それでも若干名に非契約を通知する必要があった。


「うーん…だれにするかだよな」

「ほぼ全員活躍してますから…。難しいですよね」

 編成スタッフも、例年以上に頭を悩ませる。なるべく全員と契約したいところだが、そんな甘いことは言えない。何より、J1で戦うためのチーム力をつけるには、頭数でどうにかできる話でもない。かといって、温情抜きにしても、退団選手をすぐにリストアップできない事情もある。それは他クラブからの引き抜き対策だ。

 若くて実力のある選手を抱えているために、和歌山はシーズンオフの絶好の草刈り場として狙われる可能性が高い。有力株に好条件を提示する予定だが、資金力に勝る他クラブからそれを上回る条件を出されては太刀打ちできない。代理人を雇っている選手がいないので直接誠意を訴えることもできるが、プロスポーツにおいて「愛着」が決め手になることは案外多くなく、剣崎のように生涯一クラブの意志を持つ選手はむしろまれだ。海外思考、上昇思考が強ければ、より良い環境を求めて欧州への移籍も視野に入ってくる。



「まあ、うじうじ言ってもしょうがねえや。腹括って決めていかねえとな」

 今石GMの一声で、再び作業に取り掛かった。



「そうりぃやっ!!」

 剣崎の右足から放たれたシュートが無人のゴールに突き刺さる。誰もいない練習場で、いつもどおりにシュート練習に打ち込む剣崎。その光景は昔から変わっていない。変わったとすればバテなくなったことだ。

 全身汗だくで湯気も立っているが、剣崎は仁王立ちで息を整える。

「いよいよJ1…。明日でサクッと決めるぜ」

「相変わらずね。その歳になってもバカみたいにシュート練習なんかして」

 その練習場に意外な人物が現れた。幼なじみで女子サッカー選手の相川だ。

「あん?玲奈じゃねえか。なんでこんなとこ来てんだよ」

「あたしはもうシーズン終わってるからね。ちょっと激励がてら、冷やかしにね」


 照明を背にしていたので逆光で見えにくかったが、近づくと相川の格好に剣崎は驚く。ミニスカートに黒タイツ、ブーツという女の子らしい姿だった。

「おいおい、スカートなんて珍しいな。つーか初めて見たな」

「いいじゃん。あたしだってオフぐらいはおしゃれしなきゃ。サッカー漬けで女の子でいられる時間ってあんまないんだもん」


 互いに笑い、少しの沈黙のあとに、玲奈がつぶやいた。

「あんたすごい成長したね」

「あん?なんだよ突然」

「だってこないだのゴールすごいじゃん。バカみたいなゴールしかできなかったあんたが、あんなまともにすごいプレーするなんてさ」

「なんか傷つくぜ…。ようは成長してるってことなのによ、まるでガキみたいな褒め方じゃねえか」

「ゴメンゴメン。でもびっくりだよ。いくら才能あってもあそこまで急に伸びないからね」


 そこでまた沈黙。今度は剣崎から口を開いた。相川の表情が雲っていったからだ。


「なんか今日お前変だな。俺頭悪いけど、悩みのはけ口にゃなれるぜ」

「はけ口…ねぇ。まさか龍一からそんな言葉が出るとはね」

「…おめえ俺バカにしてね?」



「移籍っ!!?」

 ところ変わって相川の運転する軽自動車。その助手席で、剣崎は驚きの声を上げ、対して相川は頭を抱える。

「何もないピッチで叫んでたら大事になってたわね」

「んなこと言ってもよ…。俺でなくても驚くぜ、なんせ今日本で一番すげえクラブからオファー来てんだからよ」

 相川は今、女子サッカーの頂点、なでしこリーグの名門アイザック神戸シレーナからオファーを受けている。レジェンド的存在の日本代表MF三澤、同FW香澄、守護神貝森ら質量ともにワールドクラス。2部の中堅クラブ唯一のプロ契約選手としては、間違いなくヘッドハンティングである。それでいて迷っていたのは、故郷のクラブをもっと上のステージに連れていきたいという使命感と、チームメイトに対する愛着だった。そこに、はっきり言って底辺レベルの環境で爆発的な成長を続ける剣崎の存在が、より大きな迷いとなっているのだった。

 一通り話を聞いて、剣崎は窓を見たまま口を開いた。

「別にいいんじゃね?移籍しても」

「えっ?」

 剣崎の言葉は意外なものだった。人一倍クラブ愛、地元愛の強い剣崎は移籍を反対すると思っていただけに、相川は目を見開いた。

「別に俺に合わせる必要ねえだろ。玲奈の人生は玲奈のもんだからな」

「そう…か。意外ね。ガリバーのオファーをクラブ愛の一言で蹴ったあんたがそんなこと言うなんて」

「俺は『このクラブで死ぬっ』っつう俺の本能にしたがってるだけだ。くたばる寸前で笑えるって自信もあるしな。それにサッカー選手って、やっぱいいとこでやりてえだろ。うやむやにしちまったら全員迷惑するんじゃねえか」



 相川は頷きながら、静かな表情のままハンドルを動かしていた。



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