去りゆく者
10月19日。J1の戦いが佳境を迎えたこの日、アガーラ和歌山の生き字引が一つの決断をクラブハウスにて発表した。多くの記者に囲まれながら、滅多に着ることのないスーツに身を包んで。
「えーと、わたくし。村主文博は、今シーズン限りでスパイクを脱ぐということを、皆さまにご報告致します」
川久保と共に、JFL時代から和歌山のディフェンスラインを支えたサイドバック村主が、この日現役引退を発表した。
「まあ今シーズン、完全にポジションを取られたっていうのもあるんですけど、それ以上に普段の練習で、自分のプレイヤーとしての質が周りに追いつけなくなったって感じたのが一番ですね」
長きにわたり和歌山の左サイドを支えてきた村主だったが、今シーズンは僅かどころか全く出番なし。
ルーキー関原のお釣りがくる活躍。加えて栗栖、桐嶋で固まった陣容に今の自分が食い込める要素、隙間がなかった。さらに決定的だったのが先週の横浜戦。90分通してテレビの向こうのピッチに、自分の存在を描けなかった。これで腹が決まった。
「やっぱり足手まといはいないほうがいいんでね。奈良戦の前になったのは偶然ですけど…。まあ、あとは『あとは頑張れ』ってとこです」
迎えた翌日。奈良ユナイテッドとのダービーマッチ。この試合が終わると、少なくとも一年間は戦いがない。一旦中断する因縁を一目見ようと、スタジアムは8割方が埋まる盛況となった。
「まさかここまで差が開くとはなあ。信じられるか瀬川。俺達去年はあっちにいたんだぜ」
ウォーミングアップ中、奈良のベテランフォワード、寺島信文は守護神の瀬川良一に呟いた。二人は昨年まで和歌山に在籍。瀬川は村主、川久保と同期でもある。
「グリやん。今日もベンチにいませんね。自分を卑下しない奴が、自分自身を『足手まとい』なんて言ったの、分かる気しますね」
「ああ。引退するんだってな。あいつ、まだまだ出来ると思ってたが」
「幸せな奴ですよ。プロとして過ごしたクラブで現役を全うしたんですから。…それに、今の俺達は旧友に構う時間ないでしょ」
「…だな」
開幕当初、奈良も同じようにJ1昇格を目標に戦ったが、現在はリーグ戦21位と、J2残留すら危うくなっている。
春先の第8節で和歌山に敗れた後に監督を交代したものの、就任したブラジル人セホは初陣こそ勝利したものの、その後は8月の公式戦で全敗するなど16試合未勝利の結果を受けて二度目の解任に踏み切り、クラブOBの山部三郎氏が9月から率いている。20位岐阜との勝ち点差は4、対して最下位鳥取とは2。今節は岐阜と鳥取が直接対決となり、結果いかんでは最下位転落の危機にあった。瀬川の言うように、かつての盟友を偲ぶ余裕はなかった。
「今の奈良はどこよりも勝利に貪欲で、とにかく勝ち点を欲しがっている。が、それを血肉にできない。だから空回りが多い。となると、なにが考えられるかね?」
試合前の和歌山のロッカールーム。バドマン監督は選手に答えを求める。
「空回りしやすい…ってことは、プレーが荒々しくなる。というとこですか」
「さっすが猪口君。満点回答だ」
いつものように大袈裟に選手をほめたあと、バドマン監督は釘を刺すように指示した。
「むこうの熱には決して付き合うな。『うちはうち。よそはよそ』の精神で冷静に戦おう。おもしろいようにスキが見つかるよ」
スタメン
GK1天野大輔
DF31マルコス・ソウザ
DF5大森優作
DF17チョン・スンファン
DF14関原慶治
MF2猪口太一
MF3内村宏一
MF10小西直樹
MF8栗栖将人
FW9剣崎龍一
FW16竹内俊也
奈良は初っ端から攻めてきた。レンジ関係なしにコースが開けば積極的にシュートを打ち、ボールを奪われればアグレッシブに取り返す。中には危険なスライディングやタックルもあってカードをもらうも怯まない。何かにとりつかれたかのような迫力だった。
本来、こういうケンカ上等的なサッカーは和歌山の十八番だ。普段ならば受けて立っていただろう。
しかし、今日の和歌山は一切付き合わない。無理にプレスをかけずゾーンディフェンスで守り、ボールを奪ったあとは、ただ愚直に前線に放り込むだけの「芸のないサッカー」に徹した。
「なんかやだねえ。相手がなかなかがっつりきてるのに、付き合わないっつーのは」
ボランチで先発した内村は、ボールをキープしながらふとつぶやく。
「ま、俺はそんな状況でも最高のパスが出せるんだよな・・・。頼むぜコニたん」
右サイドに流したパスに反応した小西。ゴール前を見るが、奈良の選手のほうが多い。
(このままいくにはちょっときついか・・・。一回ためてから)
「いや、一気に行こうぜ。小西」
「マルさん」
出し所を迷っていた小西は、フォローに駆けつけたマルコスに預ける。マルコスは独特のテンポでバイタルエリアにドリブルを仕掛ける。それに奈良のセンターバックが一人つり出された。
「よし。開いた」
その背後に、ポンと浮かせたボールを放り込むマルコス。オフサイドぎりぎりのタイミングで竹内が動き出していた。すぐに反転し、ゴールを背にして胸でボールをトラップする。
「豪快なゴールは俺だってできんだよっ!!」
そして再び反転して左足を振りぬく。至近距離の正確なボレーは、誰にも触られること無くゴールに突き刺さった。




