J1レベル
「だあこんちくしょうめぇっ!」
ハーフタイムとなり、ピッチからロッカールームに引き上げてくるなり、剣崎は汗だくのユニフォームを脱ぎ捨てて長椅子に腰を落とした。前半ラストプレーのシュートをフカした、自分への怒りが込み上げてきたからだ。
「くそったれっ!あれ決めてりゃリードできたのに…。モンテーロの野郎マジうぜえ」
同じように、コンビを組む竹内も苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべていた。橋本の執拗なディフェンスに手を焼いていたからだ。自分達フィニッシャーの働きが、和歌山にとってどれほど影響力があるかを、二人は自覚している。故に先手を取られ、同点に追いつきながら突き放せなかったことへの責任をひしひしと感じていた。
「くそっ!いつまでもあんなデカブツに構ってられっか。後半は絶対どっかでぶち抜いてやるっ」
握り拳に力を込めて呟くと、そのままシャワー室に駆け込んだ。
「…港さんとは違ったやりにくさがあるな。やっぱ高いってのは武器だな…」
達観したように竹内はぼやきながら、用意された予備のユニフォームに着替える。
「しかし、上で戦うにはああいうマークに苦労してばかりじゃだめだ。なんとか俺が突破口作らないと」
「クックック…」
「…なんだよ、栗栖。俺おかしいこと言ったか?」
後半への意気込みを呟いていると、傍らで着替えていた栗栖が吹き出した。顔をしかめる竹内に、栗栖は詫びながら答えた。
「悪い。お前が変わったなあって思ってよ」
「…そうか?」
「変わったよ、ずいぶんな。いろんなプレーをこなせても、お前は結局はストライカーだったってことだな。ゴールに対して貪欲になってきたここんとこは特にな」
栗栖はとにかく勘の鋭い選手だ。試合中、わずかにできた隙間に極めて正確にパスを出す技術を持っている。味方の心境の変化に気づくことぐらいは朝飯前だった。
「まあ、フォワードでプレーするようになってから、よりゴールへの意識は高まったな。剣崎が点取ってるのを隣で見てて、嬉しいけど悔しくなってきたな。…チームが勝つことが一番なのにな」
「まあな。でもJ1でプレーするなら、それくらい得点に対して貪欲であってもいいと思うぜ。あんまり偉そうなこと言えねえけど、チームを第一に考えすぎたら、かえって器用貧乏になっちまうからな」
そこにシャワーを浴び終えた剣崎と、後半に向けた指示を伝えにきたバドマン監督が、ほぼ同時にロッカールームに入ってきた。
「前半の1−1は私が予測した展望で、最も確率の高かった結果だ。だが、この試合を勝利するためには、今の状況をひっくり返す必要がある。正直言って、形勢は不利だ」
ため息を一つ着くと、バドマン監督は剣崎と竹内を自分の前に呼び出す。そして意外な行動に出た。
「君達はいつまであの二人に手こずっているつもりかね。確かに尾道のセンターバックは実力者だ。しかし、我々がJ1で戦うには、いつまでも抑えこまれたままでは話にならん。特に剣崎、君はもうモンテーロと三試合は戦ったのだ。同じ相手に捩じ伏せられたままでは、背番号9は錆び付くだけだ」
珍しく、いや就任後初とも言える指揮官の叱責に、剣崎は歯を食いしばるもぐうの音が出なかった。
「竹内君。君のポテンシャルならば、あの橋本に抑えられたままでは駄目だ。それとも、あのロングシュートでもう満足かね?」
竹内もまた、目線を下に落として神妙な面持ちで指揮官の言葉を受け止めている。
「確かに君達があの二人をマークさせているおかげで栗栖や佐久間、久岡がゴール前でプレーできるスペースを生んでいる。だが、フォワードはゴールに最も近い位置でプレーしており、それを奪うことが本来の仕事だ。我々のスタイルならば尚更その意味は重い」
叱責をする指揮官。この行動は彼の本意ではない。ましてバドマン監督は他人を見下す真似は絶対にしない。あえてそんな言葉をぶつけているのは、二人に対しての期待の大きさである。
「後半、必ず点をとりたまえ。自分達の実力を見せ付けたまえ!」
「ウスッ!!ぜってぇゴールきめてやらぁ!」
指揮官のゲキに剣崎は吠え、竹内は力強く頷いた。その目に輝きが戻ったのを見て、バドマン監督は笑みを浮かべた。しかし、すぐに引き締めてホワイトボードに作戦を書きはじめた。
「ではこれより後半の指示を伝える。前もって言っておくが、尾道はより手強いチームになっている。今一度気を引き締めて戦いたまえ」
一方の尾道サイドも、水沢監督が全員に作戦を伝えた後、個々の意志疎通を再確認させていた。その中で荒川は、フィジカルコーチの神田にテーピングを受けていた。
「全く、無茶をするなとあれほど言ってるのに…どうしてストライカーってのは無茶が好きなのかね」
「そう言わないでくれ、神さん。この試合は、それだけの価値がある」
「痛み止めを打って、ガチガチのテーピングを巻いてまでもか?…本音を言えば、プレーオフに備えてあと二試合は休んでほしかったけどね」
今シーズン、尾道が安定した戦いを続けていられるのは、J1の川崎から移籍してきた神田コーチの辣腕も要因の一つである。指導日早々、神田コーチは選手に対してコンディションと練習量のコントロールを意識させることに腐心した。
「お前さんを初め、このクラブの選手たちは自分の身体を過信しすぎだ。自分を追い込む自主練の効果は、『やり切った』という達成感による精神的な充足に過ぎん。若い連中はともかく、手術歴のある玄馬やお前の練習量を知ったときはがっかりしたよ」
「そこまで言わなくてもいいだろ。誰だってそういうことをして成長してきたんだから」
愚痴ばかりこぼす神田コーチに、さすがの荒川も苦笑いだ。だが神田はさらに言葉を続けた。
「人間の身体は脆いんだ。それに攻撃は自分から動かにゃならんから守備よりも負担がかかるんだ。自分の身体の弱さをもっと知れ。世界でも指折りの多湿という環境で戦うJリーガーなら尚更な。少しでも走りがおかしいと感じたら、監督に交代を進言するからな」
「…じゃあ、なるべくばれないように走ろうかな」
「ハハ。できるものならやってみな。すぐ見抜いてやる」




