浅くない因縁
「では、このへんで紀三井寺陸上競技場から失礼します」
サカナクションが歌うテーマソング、AOIが流れる中でNHKの中継が終わり、男はテレビを切った。
「やれやれ。相変わらず、和歌山は手強いなぁ。春先にやった時とはまた違うな」
男、ジェミルダート尾道の水沢威志監督は、苦笑いを浮かべながら、右腕の佐藤コーチに語りかけた。
「アマチュアとは言え実質プロの集団。それをあそこまでコテンパンにしましたからね。やっぱ首位のクラブですよ。リーグ戦も19試合負けてませんからね。勝ち運を分けてほしいくらいですよ」
「だがそれでも、来週には対戦しなければならない。怪我人も戻ってきたし、ベテランや出場が続くメンバーも十分休養を取れた。天翔杯を犠牲にしてまでこの試合に備えたんだ」
「…負けるわけにはいきませんね」
天翔杯二回戦が各地で行われたこの日、ジェミルダート尾道は主力を温存してJ1広島と対戦。結果は0−3の完敗だった。ベンチ入りさせていた主力は、結局最後まで使わなかった。この和歌山戦に備えるために。
というかそれ以上に、リーグ戦が崖っぷちだったからだ。ここ三試合は1分け2敗と失速気味で、中には愛媛とのしまなみダービーや、プレーオフ圏争いのライバル福岡との直接対決も含む。特に30節の福岡戦ではホームで逆転負けをきっし、順位を入れ替えられてしまっていた。この33節を終えるといよいよ残り10試合。現在8位まで順位を落とした尾道にとって、天翔杯でも結果を残す余裕はなかった。
(監督になって5年…。戦力も揃い、やっとJ1に挑めるチームになった。ここまできて昇格のチャンスを逃すわけにはいかない。次の試合、必ず勝たなければ…)
水沢監督の表情には、悲壮にも似た次節への決意がこもっていた。
9月15日。かつての敬老の日。備後運動公園陸上競技場は、物々しい雰囲気だった。
特に尾道のコアサポーターグループは、赤の生地に緑の文字をプリントしたオリジナルのシャツを身につけていた。背中の文字はこうプリントされていた。
「NO MORE 3・26」
和歌山に対して単なる同期という以外に大きな因縁をつけたきっかけとなった、昨年3月26日。いわゆる「備後の沈黙」である(詳しくは前作オーバーヘッドの「もぎとれ勝ち点3」から数話参照)。J1昇格を前に、恐らく来年も戦うであろう相手にリベンジしたいという意気込みが伝わってきた。
「おい、選手のバス着たぞ!」
サポーターの一人が叫び、それを合図に太鼓を鳴らしながら「ジェミールダートっ!」と連呼しながら段幕を広げた。そこには激励の言葉が綴られていた。
「『今こそ試練の時、今日勝って乗り越えろ!』…か」
ベテランエースFWの荒川が、段幕を読み上げた。その相棒を務める若手成長株FW野口が語りかけた。
「ありがたいですね。ああやってハッパかけてくれますから、何とか勝ちたいですね」
「…あれがサポーターの精一杯の援護だ。本当はもっとやりたいことがあるだろうが、実際問題サポーターができることは少ないんだ」
「…応えなきゃダメですよね」
「当たり前だ」
それから数刻して、今度は和歌山のバスが到着する。通り掛かりに、サポーターはブーイングを浴びせた。
「嫌われてんな、俺達」
「当然だろ」
剣崎のつぶやきに栗栖が続ける。
「我が故郷、ブーイングで迎えられんのは、ちと寂しいな」
「お前はな。俺はどうも思わねえけどな」
凱旋となる長山は苦笑いを浮かべる一方、佐久間は素っ気なかった。
試合開始一時間弱前。アウェーゴール裏席にて、和歌山サポーターも段幕準備に勤しんでいた。遠距離である分集まりも少なく、せいぜい50人ほどしかいなかった。それでも空席を埋めるように横断幕を広げ、気合いだけは負けないという意志表示は見せた。
「さぁて臨戦体勢は整った。昇格前に景気づけで尾道にも引導渡してやるぜ」
コールリーダーのケンジの気合いも並々ならなかった。
やがてスタメン発表の時間になると、5千人以上の尾道サポーターが一斉にブーイングを放つ。アウェーチームのスタメンはウグイス嬢が淡々と読み上げるのだが、ホームチームの関係者である以上やっている方はいい気はしない。相手のスタメンを読むのはある種の不可抗力なので、「何でわたしがブーイングされなきゃいけないの?」と理不尽な気持ちになっているかもしれない。
ただ、尾道サポーターも、頭に血が上りきっているわけではない。昨年までクラブにいた長山、王の名前がコールされると、拍手と声援を送っていた。(逆に佐久間には一層大きなブーイングが飛んでいた)
「私は去年いなかった。だから君達と尾道の因縁はよく知らないが、それが浅くないものであることは実感できた。…だからこそ、勝たねばならん」
試合前のロッカールーム。バドマン監督は、選手たちに試合前の指示を伝えていた。
「今シーズンの尾道は特に梅雨明け以降、若手の台頭や守備陣の故障で攻撃的な戦術にシフトした。元々攻撃力も潜在的に持ってはいたが、それが目に見えて結果をだしてきた。打ち合いになれば恐らく互角、あるいは後手に回るかもしれない」
珍しく悲観的な指揮官の展望に、選手たちの表情が引き締まる。指揮官は続けた。
「この試合に限って順位は関係ない。ルールの範囲内であらゆる手を尽くし、最後のホイッスルを歓喜と共に迎えよう。そのために、絶対に止まってはならない。それを胆に銘じて戦いたまえ」
指揮官の言葉に、誰もが力強く頷いた。




