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無気力の跳ねっ返り

 8月21日。J2第30節。ホームゲームのナイターであるが、前節から中2日という過酷なコンディションである。その前日、クールダウンに氷水でなみなみとなっている子供用ビニールプールに浸かりながら、剣崎たちがぼやいていた。


「夏のこの時期に中2日なんて鬼畜だろ…」

 ナイターであるのが救いか。しかし、夜は夜で蒸し暑いので微妙なところだ。

「この氷水プール小せえよなぁ。俺と大森が入ったら水があふれやがるぜ」

「まあ、おまえらが指折りのデカブツっていうのもあるけどな」

 端を歩いていた友成がそれを見てつぶやいた。

「いつまでつかってんだよ。まだ順番があるのわかってんのか?」

「堅えこと言うなよ。まだ俺たちゃ熱篭ってんだよ。なあ、大森」

「いや、剣崎はそろそろ出ろよ。もう20分ぐらいつかってんじゃないか?」

「こんな気持ちいいもんなかなか出れねえよ」

 ごねてなおもどっぷり浸かる剣崎。その背後に栗栖が立った。

「そんじゃ、頭までどっぷりつかりやがれっと」

 そのまま剣崎の頭を押さえ付けて沈めた。しばらくあぶくを浮かせたあと、勢いよく水面から剣崎ははい上がった。

「ブホっ、バフォっ、やいクリっ!てめぇ鼻に入っちまったじゃねえかぁ」


 まるで子供のようにじゃれ合う選手たち。そこに首位クラブとしての変な気負いはない。中2日という悪条件をホームゲームで戦えることも、精神的な余裕を生んでいるのだろう。

 一方で、乗り込んでくるアウェーの東京ヴィクトリーの面々は、崖っぷちの表情を隠せないでいた。


 試合前日、空路にて関西空港に降り立った遠征メンバー。その表情は険しいものばかりだ。ここ3試合は松本、富山、愛媛と比較的カードに恵まれながら1勝2分と勝ち点を伸ばせず、順位は現在8位。6位との勝ち点差は5で、これ以上の負けはJ2残留という彼ら(少なくともサポーターにとっての)死亡フラグが立ちかねない。強張るのも無理はない。一人を除いて。


「…はぁ。なんでいまこんな順位なんだろな」

 背番号10を背負う若き司令塔、小宮榮秦は誰にも聞こえないように呟いた。

 東京がここまで苦戦している要因はいくつかあるが、その一つが小宮の不振であると言っても過言ではない。ジュニアユースの頃から至宝として崇められ、ユース年代の代表の司令塔に君臨し「新藤の後継者」と多くの期待を受けていた。

 その風向きが変わったのはロンドン五輪本大会のメンバー落ちだった。難産の予選突破に対し、自分が不在の代表は本大会ベスト4と大躍進。元々傲慢さが問題視されていたが、この結果が小宮の価値を暴落させた。また、リーグ戦においても開幕から結果を残していたクラブOBの時任氏の後を受けたクレイチコフ監督は、プレーオフ出場すら逃すていたらく。若手発掘の手腕を評価する一方、続投には疑問符が付きまとった。案の定、捲土重来を目論んだ今シーズンは連敗も連勝も長続きしない戦いが続き低迷。特に軸として重用されていた小宮は、指揮官ともども非難の矢面に立ちっぱなしだった。

 そして小宮自身もシーズン折り返し近辺で極度の不振に陥った。体調は万全。練習でも別格のプレーを見せながら、試合ではまるで別人と化す。初めのうちは気力でカバーしていたものの、いつまでも覚醒しない身体に次第に失望し、無気力になっていった。結果の残せない跳ねっ返りへの風当たりが悪意に満ちているのは世の常で、小宮はいま出口の見えないトンネルを歩いているようなものだった。


『しかし、いくら故障者が出ているからといって、今の小宮は使い物になりませんよ』

 バスでの移動中、上の空で誰とも口を聞かない小宮を見て、長年の腹心でもあるオレッグコーチが進言する。

『わかっている。だが、次に対戦するのは、あのバドマンが率いる首位和歌山だ。開幕以来一度もその座を明け渡していないクラブに対して、地力のある人間は一人でも欲しい。だから小宮を手札に置くのさ』

『…今の小宮が切り札になるとは思えませんがね』

 期待する指揮官とは対照的にオレッグコーチは冷ややかだった。




 そして試合の日。キックオフ前に、両チームのスタメンがアナウンスされている。そこでのある現象に、剣崎たちは驚いた。東京サポーターは選手名がアナウンスされるたびにそれをコールするのだが、「背番号10。MF、小宮榮秦」のコールは掻き消すようにブーイングが起きた。


「な、なんだよ。味方にブーイングって何考えてんだ?」

 ピッチ周辺でウォーミングアップ中にそれを見た剣崎は、真っ先に憤りを口にしたが、栗栖は冷静な分析を口にした。

「今のあいつはそれだけの選手ってことさ。お前みたいな選手にとっちゃ、明日は我が身だぜ」

「明日は我が身?」

「でかい事を言う奴や自分を曲げない奴は、結果が出なきゃ簡単に手の平を返されるってわけさ」

「…やっぱ、そんなもんかよ」

「プロである以上、だれもが通る道さ。お前や友成だって、一歩間違えりゃこうなるさ」

「はっ。間違えねえよ。俺は何があっても自分を変えねえよ。自分を信じてっからな」


 強気にそう言い切った剣崎は笑みを浮かべた。しかし、内心では小宮を思った。

(あいつほど勝ちてえって思ってる奴はいねえのにな…)


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