水を差す
試合後の紀三井寺陸上競技場。帰路につくガリバサポーターは、揃って上機嫌だった。
結果は4−2。司令塔新藤の2ゴールなどで快勝し、ついにアガーラ和歌山の快進撃はストップしたのである。
「決して侮ったわけではなく、コンディションや練習試合での動きの良さを判断しての矢神、三上、米良を起用しました。それが裏目に出た。監督である私の責任です」
試合後の会見でバドマン監督は神妙な面持ちで、それでいて充実感を漂わせて答えた。
指揮官の言うように、起用された若い選手たちは散々な出来だった。
開始当初は物おじしないプレーを見せた米良だったが、先制点のPKを献上してから人が変わり、それを日本代表の司令塔・新藤に付け込まれた。
ミスを恐れてプレーが縮こまってしまった米良は、コンビを組んだ沼井の足を引っ張り、最終ラインの連携を乱した。結果、FW蔵田、MF三川、MF竹井らアタッカーたちの自由を許し、前半だけで実に19本のシュートを浴びて3点を失った。
そのハーフタイム、ロッカールームで一悶着。入るや否や、友成が米良に鉄拳制裁を食らわせたのだ。
「おい米良」
背後から声をかけて肩をつかんで振り向かせると、そのまま右頬に素手の拳を叩き込んだのだった。
「ふざけたプレーしやがって。てめえのせいで試合がぶち壊しだろうが」
「す、…すんません。俺のミスで点とられて…」
「バカッ。PKの失点は俺の責任だ。俺が腹立ってんのはびびったまんまプレーしてることだよ。ただでさえ小さいくせに、へっぴり腰でピッチに立ってんじゃねえよ。てめえはユースで今石監督から『赤紙上等』の気構えを叩き込まれてんじゃねえのかよ」
「…ぅす、そうです」
「だったら空元気でもいいから気持ち出せ。腑抜けたままピッチに立つな。後半は違いを見せろ」
友成の眼光は鋭いが、その奥底からは後輩への励ましも篭っている。殴られる前は戦意喪失気味だった米良の表情に、「後半は頑張るぞ」と気迫が戻っていた。
「さすがに鉄拳は良くない。友成、君らしくないね」
一部始終を見守っていたバドマン監督は口を開いた。その表情は、就任後最もと言っていいくらい険しかった。
「今日の君達、前半の出来に関しては失望を覚えずにはいられない。まさか、連勝を止めてしまうのが恐いのかね?」
指揮官の言葉は的を得ていた。抜擢された若手はもちろん、選手たちは失点を重ねる度に、初黒星のプレッシャーに襲われていた。
だが、バドマン監督は険しい表情から一転、弾けるような満面の笑みを浮かべた。
「ハッハッハッハ。気にすることはないよ。いっそのこと今日で止めてしまえばいいさ」
予期せぬ指揮官の言葉に、誰もが呆気に取られた。
「連勝が続くことは喜ばしいことに違いない。だが我々は勝ち続けることに関しては、まだまだビギナーだ。勝ちながら課題を消化する芸当はできっこない。それに、勝ちが続きすぎて原点を見失うこともあるからね」
「まあ…一理あるか」
眉間にシワを寄せていた友成も、説明を聞いて納得した。
「こういう状況で敗れることを『水を差す』とよく言うが、私は決してマイナスではないと思う。そうめんを茹でつづければ、いつかは吹きこぼれてしまうからね」
「はっ。俺達は茹でっぱなしのそうめんってか。図太い奴らばっかだと思いますけど?」
さすがの友成も、バドマンの比喩に苦笑い。それ以外の選手たちも肩の荷が下りたような安堵の表情を見せていた。
「リラックスできたようだね。安心したまえ諸君。たとえこのまま敗れたとしても、責めを受けるべきは指揮官である私の役目だ。後半は魂のこもったプレーを見せてくれ」
「見せるだけじゃダメでしょ」
バドマン監督に、剣崎が意見した。
「そこまで言ってくれる監督に、そのまま泥を塗る真似はしちゃならねえ。真也っ!後半は点取るぞ。絶対に」
「…当然っすよ」
矢神もまた、先輩に言われるまでもなく、ギラギラした目をしていた。
後半の和歌山は、前半とはまるで別人だった。守備ではいくらファウルをとられても、なおもアグレッシブに奪いにかかる。全く違った迫力に、ガリバの選手たちはたじろいだ。
「なんだってんだよ。こいつら立ち直り早すぎったろ」
気圧されていたガリバのDF岩代が、攻撃を組み立てようと、ボランチの行神にパスを出した時だった。
「いただきっ!」
真っ先に反応した矢神がこれをかっさらい、高い位置でカウンターを仕掛けた。
「決めてくださいよっ!」
前を向いた瞬間、日本代表のDF今田を背負う剣崎が視界に入る。自力で仕掛ける気持ちもあったが、ここは先輩に華を持たせた。結果、これは吉と出た。
185センチで80キロ近い、まるで格闘家のような体格でありながら俊敏な動きも出来る剣崎。現役の日本代表で、しかも1対1の強さで名を馳せる今田をまるで相手にしない。たった一歩の踏ん張りで振り切ると、ダイレクトで右足を降り抜く。豪快にネットを揺らした。
「あの野郎、相変わらず目立ちやがって」
ベンチで戦況を見ていた西谷は、剣崎の活躍に羨望の思いを隠さなかった。竹内がポンと肩を叩く。
「まあいいじゃん。だったらお前も決めりゃいいだけの話さ」
「ふん。…まあな」
語る二人は第4の審判を挟んでピッチサイドにいた。交代を示す二枚のボードには、「3622」「3216」と表示されている。歓喜の輪が解けて、矢神と三上が先輩二人に近づいてきた。
「あんたもついでに点取って下さい」
「ぬかせ。言われなくても分かってらい」
後輩からのトゲのあるエールに、笑みを浮かべて頭をはたく西谷。
「トシさん、後は頼んます」
「おうおつかれ。しっかり休んでな」
対して竹内は、ハイタッチとハグで後輩を労った。二人はそのまま、矢神と三上がいたポジションに入った。
一気呵成に反撃に出てきた和歌山だが直後にアクシデント。米良がペナルティーエリア内で相手FWを倒して再びPKを献上した上に二枚目のイエローカードで退場となってしまう。
「…はは。やっちゃいましたね。すんません」
肩を落としてベンチに戻ってきた米良を、バドマン監督は手を差し出し、米良と握手を交わしながらこう言った。
「前半の45分よりも、後半からの23分に感動した。退場という結果を反省しつつ、ここで見せたプレーを次に活かすことを期待しているよ」
その言葉を聞いた米良は、タオルで顔を覆いながらロッカールームへと引き揚げて行った。
再び3点ビハインドとなったが、和歌山の戦意はむしろ高まっていた。「いくらでも取られてしまえ」と完全に開き直り、攻撃はますます激しくなる。特に途中出場の竹内と西谷は、猛禽の如くバイタルエリアを荒らし回り、積極的にシュートを打っていった。
結実したのは後半のロスタイム。目安の3分を前に和歌山はフリーキックを獲得。栗栖のクロスに対して、まずはニヤの剣崎がヘディング、クロスバーに跳ね返されたボールを竹内がシュート。今度は相手DFの背中に当たる。
それを西谷が、ゴール前に密集する選手たちの間に生まれたわずかな切れ目に、糸を引くようなミドルを突き刺したのだった。それで試合終了のホイッスルが鳴ったが、選手たちの表情は前半とまるで違っていた。
「連勝も無敗も止まってしまった。ただ、こういった敗北は必ずどこかで経験するはめになる。それが今日だったということです。ただ、選手たちの表情を見るかぎり、仮にリズムが崩れて連敗となったとても、必ず立ち直ることが出来るでしょう」
バドマン監督は会見をそう締めくくった。
その言葉は残念ながら的中してしまう。
和歌山は連勝の反動からか、続く千葉、東京戦と連敗を重ねてしまったのだった。
文中の猛禽とは、ハゲタカやコンドルなど、肉食の鳥のことを言います。




