獅子迫兎(ししはくと)
ダービー当日。紀三井寺陸上競技場は好転に恵まれた。しかも心地好い風も吹いていて観戦には絶好のコンディションである。しかも近隣のクラブとの試合で選手たちが自らPR活動をした。大勢の来場者を期待しない訳がない。
にも関わらず、来場者は前回の尾道戦よりもむしろ少なかった。現実は案外非情である。
「あーあ…せっかくチラシ配ったのになあ」
「寺さんとか瀬川さんとかも敵としてだけど来てんのに、なんかもったいないよな」
整列中、スタンドを見渡しながら和歌山の選手たちは本音をこぼす。
「ぼやいたって仕方ねえだろ。だったら来なかったやつらを後悔させるようなプレーをすりゃいいだけの話だ」
キャプテンマークを付けた友成が、そう言って選手を引き締めた。
「てことは、俺がハットトリック決めりゃいいってことだよな」
「まあ、ありえないがそうだ」
「チェッ、決めつけんなよ」
「はは、剣崎は相変わらずだね。…まあ、ハットトリックを狙っているのは俺達もなんすけどね、鶴さん」
「ま、そういうことだな。俊也」
スタメンは次の通り
和歌山
GK20友成哲也
DF11佐久間翔
DF6川久保隆平
DF5大森優作
DF14関原慶治
MF27久岡孝介
MF10小西直樹
MF8栗栖将人
FW16竹内俊也
FW9剣崎龍一
FW18鶴岡智之
奈良
GK14瀬川良一
DF25野上康生
DF5太田盛安
DF27平野一樹
DF28藤川克己
MF2アンドレ
MF6加藤秀行
MF10近藤一樹
MF16高橋祐輔
FW9石倉健太郎
FW19寺島信文
今シーズンの奈良は昨年17位と低迷したウサを晴らそうと戦力を大幅に入れ替えた。DFとFWのポジションに実力者や曽我部監督のサッカーを知る選手を多数揃えた。だがその戦果は芳しくなく、開幕から7試合で1勝1分け5敗と苦戦。現在3連敗中という状況でダービーを迎えることとなった。
ただし、ダービーというものは、時としてチーム状態を超越した力が出るものである。それだけにバドマン監督も試合前ミーティングで選手に注意を促していた。
「今の奈良の成績は決して良くない。しかし、ダービーという舞台は両者の力を対等にする。常にイニシアチブを取ることを意識しよう。そして主導権を取っているうちに得点しよう」
試合は始まった。
立ち上がりから和歌山はボールを持てば丁寧に鋭いパスを繋ぎ、奪われれば全員が果敢にプレスを仕掛けた。だが、奈良の選手たちは、和歌山の運動量を前面に押し出したプレーに冷静に対応した。奈良の曽我部監督は、得意げに語った。
「やはり力任せか。確かに馬力はあるに越したことはないが、あったからといって自分達のサッカーが出来るとは限らないのだよ」
この試合、曽我部監督は背水の陣の気持ちで臨んでいた。昇格を目指す上でこれ以上序盤でつまずけないというのもあるが、彼自身の進退もかかっていた。
前節、ホームで徳島を迎え撃ち、0−3で敗れた後、クラブの社長及び取締役数人と会談。その席上で通告された。
「昨シーズン、我々はあなたに大いに期待をかけて裏切られた。それでもあなたを信じて続投させ、求められた補強をした。それでいてこの体たらく…どう申し開くつもりで」
「…申し訳ありません。社長」
「こちらとしては、これ以上あなたにチームを預けられません。次のダービー、勝ち点3を取れなければあなたを解任します。よろしいですね」
「…はい」
(ここで解任なんて結果を招けば、クラブに対して「じゃあなぜ続投させたんだ」と非難が集まる。私の力不足で迷惑をかけるわけにはいかない)
指揮官の思いは、選手たちも同じである。最も解任の可能性に驚いたのは、元和歌山の面々ではなく、チーム最年長のキャプテン加藤であった。
(去年チームの調子が悪いのは、結局のところ俺達選手にも責任がある。『今年こそ』と意気込んでいる曽我部さんを、こんな早々と解任させてたまるかよ)
そんな奈良の選手たちの気概を、バドマン監督も感じ取っていた。
「ふむ。奈良の選手たちはいい動きをしている。こういうプレーを、ダービー以外の…例えは悪いが鳥取や群馬のようなボトムの常連に対してもしていたのか。それが疑問だね」
「まあ、してなかったからこうなってるんでしょうね」
「その通りだ松本コーチ。試合は常に獅子迫兎の気構えで臨まねばならないのだからね。それをこの窮地でようやく気づくことができたから、なかなかの対応をしてきているのだ。しかし…」
バドマン監督は笑みを浮かべて言った。
「だからといって、必ず猫に噛み付けられるわけでもない。まずは主導権を維持することだよ、諸君」
確かに奈良の選手は、昨シーズンの2戦と比較しても動きが良く、何より目の色が違った。どのプレーにも気迫がこもっていて、主導権を和歌山に握られながら粘りを見せていた。
変わった要因をあげるならば、やはり今年加入した元和歌山勢の存在か。特にFWの寺島は、普段物静かな人となりとは裏腹に、常に味方を鼓舞して自身も前線から献身的な守備を見せた。去年1年間、攻撃的サッカーを指向した今石前監督の元でメンタリティーが鍛えられたのが生きているのだろうか。
「まずいな…。こりゃ前と同じじゃんか」
ボランチの久岡は、今のゲームの流れを感じていた。主導権を握りながら試合を動かせないのは、先の尾道戦と同じである。
「せっかく前節完勝したんだ。同じ連勝なら、内容も求めないとな。…てなわけで、慶治。よろしく」
そうつぶやいて、久岡は攻め上がってきた関原にボールを繋いだ。ボールを受けた関原は、そのままドリブルを仕掛ける。
「ウオォッ」
これを阻止しようと、奈良のボランチアンドレが迫ってくる。
「とりあえず頼むわ」
奪わまいと関原はボールを右にはたく。そこには栗栖がいた。
「いっちょ勝負仕掛けっか!」
そのボールを、栗栖は前線に蹴り飛ばす。左足から放たれた正確なロングパス、剣崎の射程圏に入った。これに、奈良のセンターバックの太田が体を寄せて対応。簡単にヘディングはさせまいという考えだ。だが、この対応にキーパーの瀬川は叫んだ。
「寄せるだけじゃ駄目だっ!そいつは…」
「遅えよ瀬川さん!」
ゴールを背にしている剣崎は、そのまま飛び上がると、伝家の宝刀を振り抜いた。だが、事はなかなかうまく運ばない。ボールはクロスバーを直撃してペナルティーアークに跳ね返る。このセカンドボールを先に拾ったのは、「一陣の風」がキャッチフレーズの、背番号16のストライカーだった。
「せいっ!」
走り込んできた竹内は、ダイレクトで左足を振り抜く。ボールは地を這って瀬川の左脇をくぐってネットを揺らした。




