次元の違い
アガーラ和歌山の3月6戦全勝を止めるか否かの注目の一戦は、前半36分に尾道のエース荒川が膠着を打破する先制点を挙げた。
「よしっ!まずは前半をゼロで乗り切るぞ。全員集中しろよっ」
最終ラインでキャプテンの港が、盛り上げムードを引き締めるように喝を入れる。その最中、センターバックのコンビを組むモンテーロが、拙い日本語で話しかけてきた。
「シゲサン。きょうアイツ、オトナシイネ」
あいつとは剣崎のことである。規格外のストライカーである剣崎に対して、マンマークでまともに渡り合えるのは、このモンテーロをおいて他にいない。しかし、任された本人はやや消化不良気味だった。前半のカウンターのシーンで驚かされはしたが、それ以外に特に苦労することもなかったからだ。
「だからといって、気を抜くなよ。あいつは和歌山で一番点をとるからな。もっとも、開幕戦以来点をとれていないから、流れに乗れてないのかな」
「…デモ、アイツ。ワラッテタ」
「何?」
モンテーロが見たという笑み。港は何か予感した。
「…しっかりついてろ、モンテーロ。それこそ潰すくらいにな」
表情を引き締めた港の指示に、モンテーロは頷いた。
その頃バドマン監督は、ベンチ前のテクニカルエリアにマルコス・ソウザと猪口を呼び寄せた。その様子は少し変わっていた。猪口は監督からだけでなく、マルコス・ソウザからも説明を受けていた。
そしてホイッスル後、和歌山はポジションを入れ替えた。マルコス・ソウザはチョンとダブルボランチを組み、猪口はそのまま右サイドハーフに入った。
尾道のマルコス・イデは安堵の表情を猪口に見せた。
『助かったあ。あのおじさん手強かったからなあ。キミは俺の相手になるのかな』
猪口は、その表情に憮然とした。少なくとも格下に見られていることはわかった。
(まあいいや。前半は弱点を見つけられればいいか)
このポジションチェンジは、後半に大きな意味をなすが、より意味あるものとするには、同点に追いつくことが大前提なのだが。
サポーターの応援のボルテージが高まる一方で、剣崎はじっと息を潜めていた。その剣崎の雰囲気を竹内は敏感に感じ取り、悟った。
(チャンスを一つ、剣崎につなげれば大丈夫だ)
そのワンチャンスはすぐにきた。前半も41分となったころに、尾道が御野のドリブル突破からチャンスを作ったが、荒川に繋がる前に友成がボールを奪ったところだった。
(さてどこに蹴ろうか…)
そう考えた時に、遥か前線に立つ竹内と目があった。しかもこの時、風は追い風だった。
(高く蹴れば…届けよっ!)
友成はゆっくりとモーションに入ると、ボールを高く蹴り上げた。果たしてボールは目論見通り、上空の風に乗って相手のバイタルエリア手前まで届き、竹内はそれをキープした。
そのタイミングと、剣崎が自分の魂にスイッチを入れたタイミングは合致していた。剣崎と竹内の目が会う。
(よこせっ!!)
モンテーロ、さらには深田の二人にマークされていたが、竹内に迷いはなかった。
その瞬間、剣崎は次元が違った。
『!?』
「嘘やろっ?」
二人でサンドしていたはずだったが、剣崎は踏み出した右足に力を込めると、一気に二人を振り切り竹内のボールをゴールを背にして受けると、そのまま反転した勢いで右足を振り抜くとゴールネットを貫かんばかりのシュートを叩き込んだ。
「ぅぃいよおぉっしやあぁっ!!!」
貯めていたエネルギーを発散させるかのように、ゴール前で両拳を突き上げて仁王立ちする剣崎。その姿にキーパー宇佐野はもちろん、マークを振り切られたディフェンダー二人も呆然とするしかなかった。
最前線に立つ荒川も無言で剣崎を見つめた後、背をむけた。
『なんだよ、まだ同点じゃないか』
試合再開後、意気消沈の尾道に喝を入れたのが、マークマンが変わったマルコス・イデだった。
『すぐに前線に繋げますよっと』
笑みを浮かべながら猪口を振り切ると、そのまま逆サイドの桂城にロングパスを送った。
「そういうこと。まだまだ時間はあるんだからさ」
和歌山はこの試合、自陣左サイドは主導権を失っており、ここは桂城にやられたままだった。桐嶋は懸命にプレーしたが、格の違いを見せ付けられている状態だ。
それでいて得点を荒川のゴールに止められていたのは、ひとえにセンターバックの奮闘が大きかった。沼井が次第にシュヴァルツの対応のコツを掴んだようで、先制点のシーン以降はまともなポストプレーすら許していない。荒川をマークする大森も、失点シーン以外は自由を許していないのだ。これに相変わらず好セーブを連発する友成がいるのだから、なかなか得点ができない。そうこうしているうちに残り時間は過ぎていき、前半は1−1で折り返しとなった。
「松本コーチ。関原のアップはすんでいるかね」
「バッチリあったまってるそうです」
「よろしい。すぐにロッカールームに来るよう伝えてくれ。後半の頭から行くので、策を伝えたい」
引き上げながらバドマン監督は松本コーチに指示を出す。
「糸口は掴めたんですか」
この松本コーチの問いに、バドマン監督は不敵に笑い、ささやいた。
「十分過ぎる程にね」




