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王と王妃  作者: くま
2章
5/19

関係ない

『シルヴァンさま』


 澄んだその声で呼ばれるのが、何よりも好きだった。

 彼女と会い、話をした回数はそう多くはない。

 けれど幼い頃から変わらない、誰にでも優しくて穏やかな彼女を愛しく思うのに、過ごした時間など関係ない。

 ただただ傍にいて、笑顔を向けられるだけでよかった。

 それだけで、幸せだったのだ―――――。



「………」

 胸が苦しい。

 心地よい目覚めとはほど遠い、苦しさにシルヴァンは夢うつつもがいた。

 それは失った彼女を思うときの苦しさとは違う、何か物理的な苦しさだった。

 胸の上に何かに押し潰されている。

 呻きながらようやく瞼を開け――――すぐに閉じた。

 目の前に見てはいけないものを見た気がしたからだ。

 それは、


「ようやくお目覚めですか、王子さま」


 今最も会いたくない、側近候補だった。

 いつも通りのシルヴァンをからかう声色に、どうやら夢ではないことを思い知り、諦めて目を開けた。

 やはりそこには先ほどと変わらず、自分の胸の上に優雅に腰掛けるレティスの姿があった。

 今日は、宰相が開いている勉強会の日ではなかったはず、と眉をひそめながら、

「曲者め、どこから入ったんだ」

 少年を睨んだ。

 睨まれた少年は、けろりとして、

「そこの扉から普通に入ったけど。何か文句でもあるの、怠け者」

 言い返してくる始末だった。

 怠け者、という言葉に米噛みを引きつらせる。

 確かに今日は、起床が遅かった。

 けれどそれも昨日遅くまで重要な執務を行っていたからであって、怠けたわけでは決してない。

 だがそれをいちいち言い訳するのも腹立たしく、代わりにあっさりと少年の進入を許した家臣に舌打ちをした。

「侍従や近衛兵は何をしているんだ」

「彼らにこの僕を止められるとでも?」

「………」

 確かに名門アリアーデ公爵家の跡取りを前に逆らえる人間は、悲しいことに少ない。

 だがいくらなんでも警備上問題がある、と顔をしかめると、

「というか、王妃さまから『起こしてきてちょうだい』と言われて、それをそのまま皆に伝えたら通してくれただけだよ」

 彼があっさりと進入手口を披露した。

「母上……」

 あの母なら言いそうなことだった。

 がっくりと片手で顔を覆い、ため息をつく。

 それからいい加減自分の上から彼を退かせようとしたときだった。

 相変わらず胸の上に乗ったままのレティスが、口を開いた。


「僕がわざわざ君を起こしに来た理由、王妃さまから言われただけじゃないのは、分かるよね」


 その声に手を顔から外して見上げる。

 そこにはいつもの意地悪い笑みはなかった。

 いつになく真剣な表情は、逃げることは許さないと言っているようだった。

 何を考えているのか分からない深い闇色の瞳が、自分の一挙一動を見逃さないとでもいうかのように見下ろしていた。


「答えは決まった?」


 予想通りの言葉だった。

 いつ聞きにくるか、と最初のうちは気を張っていたのだが、2、3日を過ぎても来ないので油断していた。

 だからこそ今日のような奇襲は、ある意味レティスにとっては成功だと言えた。

 すべてを見通す瞳から目を逸らすと、一つため息をつき、吐き捨てた。


「……出るさ。夜会には、な」


 それ以外のことは知らん、という内心で付け加えたことはお見通しだろう。

 黒い瞳が細めらる。

 案の定、

「それで済むと思ってるの?」

 シルヴァンの心を読み取ったかのような問いだった。

「………」 

 まさかそれで済むとはさすがに思ってはいない。

 誰か一人を選ばない限り、両親や臣下はあの手この手でシルヴァンを誰かと娶わせようとするだろう。

 もちろん、シルヴァン自身も独身を貫くつもりはないし、今後は誰かを妃として娶らなければならないことは十分分かっている。

 それでも今は、考えられないのだ。

 自分の隣に彼女以外の誰かが並ぶことが。

 気持ちの整理が少しもついていない。

 何せあれからまだ一月も経っていないのだから。

 今はただ、放っておいて欲しかった。

 だから現実を見させようとするレティスから目を逸らし、さあな、と投槍に呟くと胸の上から退かせる。

 退かせたレティスを寝台の脇に追いやると、立ち上がり背を向けた。

 その背中に未だ眼差しが注がれていることを理解しながらも、無視をして寝室から出ようと扉に足を向けた。

 しかし、


「彼女を忘れる気はないの」


 その背に投げかけられた声に、いつもの調子はなかった。

 静かな、けれど何かを切り裂くかのように鋭いそれに、瞬間的に頭が沸騰する。

 占めた感情は―――――怒り。

 自分でも持て余すそれに戸惑いながらも、どうにか押し殺す。

 今振り返れば、彼に何をするか分からない、それほどまでに強い感情がシルヴァンを覆っていた。

 瞬間的に爆発した怒りをどうにか少し押し込めると、振り返りもせずに唇を開いた。


「……忘れる必要があるのか?」


 怒りを押し殺した声は、低く唸るようなものだった。

 その声にさすがにレティスも沈黙した。

 シルヴァンは何度か呼吸することで自身を落ち着かせると、努めて平静を装った。

「俺なりに妃のことは考えてはいる」

「………」

「だから今後は夜会のことや彼女のことに口出ししないで欲しい―――――レティには関係ないのだから」 

 最後の一言は、少し言いすぎだったかもしれない。

 それでもこれが自分の偽りない気持ちだった。

 理解して欲しいとも、自分が正しいとも思わない。

 好きなように解釈をすればいいし、腹を立ててもいい。

 だがまさか、あのレティスが自分の言葉に対して、


「……そうだね、僕には関係がないことだ」


 素直に頷くとは思っていなかった。

 今までのように反論して、自分をやり込めて。

 彼は変わらないものだと思っていたのだ。

 だから一瞬耳を疑い、思わず振り返ったほどだった。

 15歳にしては頼りないほど細い足を寝台に投げ出した彼は、その顔に薄っすらと笑みを浮かべていた。

 いつもの人を馬鹿にしたようなものでも、からかうようなものでもない、笑み。

 美しく、けれどどこか儚くも見えるそれに目を奪われる。


「だから、今後はもう……何も言わないよ」


 囁くような静かな声には、いつもの余裕も自信も見えない。

 ただ淡々と紡がれたそれに込められた感情を、シルヴァンには読み取れなかった。

 レティスは軽やかに寝台から立ち上がり、呆然と立ち尽くすシルヴァンの傍をすり抜けて寝室から出て行った。

 拗ねている風でもない様子に、ただただ戸惑う。

 幼い頃から知っている彼が、こんな態度を取ったのは初めてのことだった。

 去り行く背中に何か声をかけようかとも思ったが、結局は何も思いつかずにやめた。

 どうせまた数日もすれば、いつも通りけろりとした態度で顔を見せるだろうと思って。

 そのときは、その程度にしか考えていなかった。

 だから、まさか。

 考えもしなかったのだ。


 シルヴァンの知っている、『レティス・アリアーデ』その人が―――――二度と目の前に姿を現すことがないことを。





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