過去
やわらかな陽光が降り注ぐ、広い庭園。
数代前の王妃のために王が造らせたそこは、今花の盛りを迎えていて一年のうちで最も美しいと賞賛される場所である。
いつもは静かな場所であるが、その日はフェイアン王妃がフェイアンに滞在するイーデン王妃を招き、さらに自身の子どもや他にも貴族のの子どもらを呼び、遊ばせていることもあって賑やかな場所となっていた。
フェイアン王妃であるレティシアは、イーデン王妃ローザと形式的な挨拶を済ませると、さっさと椅子に座るよう勧めた。
かつては恋敵ということもあり、レティシアの方が一方的に嫌っていたが、シルヴァンの正式な妃となった祝いを述べにローザがやってきた頃から交流は続いていた。
というのも交流を持ちたがるローザにレティシアが折れた、という形だが。
「ずっと私はレティシアさまとお話ししたいと思っていましたもの。こんな機会絶対に逃しませんよ」
ころころと笑いながらローザは言い、事実フェイアンに滞在する期間ローザは何かとレティシアと会いたがった。
レティシアとしては、仲良くなどしたくないが、ローザに『レティス』として振る舞っていたことが間違いなく知られていることもあり、ばらされたら少々困ると思ってなかなか強く出られない。
ふわふわとした話し方をする癖に押しが強いローザに始めはそれなりに丁寧に話をしていたが、とうとう鬱憤が爆発し、普段の態度や話し方で、
「もういい加減にしてよ! 僕はあなたとは仲良くする気なんてない!」
と叫んでしまった。
そのときのレティシアは見物であったと、その場に居たシルヴァンは後にしみじみと息子に語った。
というのもレティシアは無意識のうちに人を従わせる力を発揮し、誰をも傅かせるのを当然と思っているところがあるので、それが通じない人間が苦手だったのだ。
本人は否定するだろうがよくも悪くも貴族のお姫さまなのだ。
恐らくはシルヴァンにあそこまで執着したのも、自分の思い通りにならないのが無意識に腹立たしかったのではないかとシルヴァンは思っている。
ともあれ、爆発したときのレティシアはいつもの強気をどこかへ忘れ去り、若干涙目で右手を胸の前で握りしめている。
その姿は可愛らしいし見ていて面白いが―――――どう考えてもローザとは合わないようだし、ローザに諦めさせたほうが良いかとシルヴァンは思ったが、杞憂だったらしい。
素を出してすっきりしたのか、ふわふわしたローザにシルヴァンにするように強気な態度で接し始め、ローザもそれを喜んでいる節がある。
そうするうちにローザは帰国したが、ローザが熱心に手紙を送ってくるのでレティシアも口では色々言いながらもきちんと返信をしていた。
その後も二人の交流は続き、時を経てローザが子どもを連れてイーデンを訪れた。
最初の数日は公務のためなかなか時間を取れなかったが、今日はようやく私的な時間がお互いに取れたため、レティシアが花の盛りを迎えている庭園に招いた。
庭園の中央には大きな傘の形をした東屋が設けられているが、今日は敢えてそこを使わず、自身の私室に近い庭園の外れに大きな日笠を置かせ、その下にテーブルなどを広げて、子どもたちは好きに遊ばせていた。
二人で花茶を楽しみ、時には子どもたちの様子にも目を向ける。
非常に穏やかな時間をまさかローザと過ごせるとは思わなかった、とレティシアはしみじみと感じた。
そして、彼女が連れてきた一人娘に目を向け、
「……エリーザは、本当に君にそっくりだね」
と呟いた。
金色の髪も、緑色の瞳も、人形のように愛らしい顔立ちも何もかもローザのものだった。
それに対してローザは朗らかな笑顔で頷いた。
「ええ。陛下も私に似てるとおっしゃって、とても可愛がってくださるの」
「へえ」
当たり前のように惚気て見せるローザに噂に違わぬ夫婦だとレティシアは思った。
シルヴァンも娘をとても可愛がっているが、娘は特にレティシアに似ていない。
赤い髪も瞳も王家特有のもので、顔立ちもシルヴァンの母に似ている。
我侭一杯でレティシアの悩みの種でもあるその娘は、今日もお気に入りの子どもらを従えて遊び回っている。
目を向けた庭園で子どもらは追いかけっこをしているのか、きゃあきゃあと声を上げながら走り回っている。
そんな中、レティシアとローザは二人が座る場所から少しだけ離れた場所に一人だけ立っている子どもが居るのが見えた。
ローザが連れてきた、今年6歳になるエリーザだった。
「あの子、人見知りだし大人しいから……うまく混ざれないのね」
ローザは困ったように呟いた。
エリーザは顔をきょろきょろとさせている。
混ぜてもらいたいけれど、その方法が分からないという様子だ。
しばらく顔を巡らせた後、誰にも声を掛けられないでとうとう諦めたようにうつむく。
それからちらっと母たちの居る方を振り返る。
「戻ってきたいみたいだね。ここに居させようか」
レティシアが手招きをしようと手を上げかけたが、ふとぽつんと立ち尽くすエリーザに近づく人影に気付いた。
エリーザよりも大きな背丈の子どもは、レティシアの生家と肩を並べる名門公爵家の嫡男だった。
「――――追いかけっこは嫌い?」
彼は小さなエリーザの顔を覗き込むようにして尋ねた。
尋ねられたエリーザはびっくりしたように目を見開いたが、こくりと頷いた。
「じゃあ本でも読む?」
「……うん」
再び頷いたエリーザの手を取ると、彼はレティシアたちを振り返った。
心優しい気遣いにレティシアは微笑むと、彼らを手招きした。
「こちらへおいで――――フレイヴィアス、エリーザ」
ローザも嬉しそうににこにこと笑っている。
彼らが揃ってやってくると、二人に菓子を手渡した。
「フレイヴィアス、僕の部屋の場所は分かるだろう?」
「はい」
「あそこにある本はどれを読んでもいいから、行っておいで」
フレイヴィアスは頷くと、エリーザの顔を見た。
「あっちに本がいっぱいあるから、行こう」
「……うん!」
フレイヴィアスの声にエリーザが初めて元気よく頷く、嬉しそうに笑った。
二人は仲良く手を繋いで、レティシアの私室へと歩いていった。
見ていて微笑ましい二人にレティシアも自然と笑顔を浮かべていた。
それはローザも同じようで、
「彼は優しい子ね。エリーザも声をかけてもらってよほど嬉しかったみたい」
と微笑んだ。
それから二人は子どものことから国のことまで話をしながら、穏やかな時を過ごした。
30分ほど経っただろうか。
ふとレティシアが庭園を見ると、娘が何かを探すように顔を見回し始めた。
もしかしたらお気に入りのフレイヴィアスを探しているのかもしれない、と思っていると案の定、それからしばらくして娘がフレイヴィアスの手を引っ張って庭園に戻ってきた。
断りもなくいなくなり、しかも別の子どもと一緒に居たことがかなり許せないらしい。
怒っている娘を見ながら、レティシアはやれやれと腰を上げた。
「目敏い娘だ。エリーザは一人で泣いているかもしれないな」
「……ごめんなさい」
「いや、どう考えてもレイナが悪い」
優しいフレイヴィアスもレイナには逆らえない。
それにフレイヴィアスがもしエリーザを取れば、間違いなくレイナの矛先はエリーザに向いたことだろう。
それだけ娘の性格は強烈だった。
「エリーザ」
自室に入ると、部屋の中央にある長椅子の上に彼女は一人で座っていた。
うつむかせていた顔を上げたエリーザは、どこか呆然としている。
恐らくは突然現れたレイナにフレイヴィアスを連れていかれ、何が何だか分からなかったのだろう。
呆然とした様子にも悲しさが見て取れて、レティシアはため息をついた。
ローザがエリーザに近寄り、腕に抱き上げる。
「……っ」
するとエリーザは声もなく涙を零し始めた。
レティシアはそれを取り出した手巾で拭ってやり、
「後でレイナを叱っておくよ」
慰めるように頬を撫でた。
レティシアの嘆きにローザがくすりと笑うと、エリーザはますます涙を零した。
それを何度も拭ってやりながら、レティシアは、
「だけどね、エリーザも嫌なことは嫌だってちゃんと口に出さなきゃ駄目だよ」
言い聞かせた。
ローザもそうよ、と頷き娘の背中を撫でる。
エリーザは泣きながらもこくり、と素直に頷いたのだった。
その素直な様子に、
「エリーザは随分大人しいね。レイナなんてお転婆過ぎて困ってるのに」
レティシアは微笑んだのだった。