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王と王妃  作者: くま
番外編
17/19

あなたが幸せなら

 屋敷の中で最も美しく庭園が見渡せる部屋の扉を、レティスは静かに叩いた。

 返事を待って扉を開ける。


「姉様」


 この世の何よりも貴く、美しい姉は、室内の中央に設置されたテーブルについてくつろいでいたようだ。

 眩しい朝日の中、優雅にお茶を飲んでいた彼女は、朝早くから訪ねてきたレティスに不思議そうな顔をする。

 レティスは、姉に近づきながら声を潜めた。

「姉様、明け方大変なことがあったよ」

「大変なこと?」

 椅子に腰をかけたままの姉は、小首を傾げた。

 美しい姉がするとどこか可憐に見えて、思わず頬が緩みそうになったがレティスは敢えて顔をしかめた。


「―――――この屋敷に侵入者があった」


 そう告げながら、レティスは姉の顔色を窺った。

 姉は侵入者という言葉に僅かに眉をひそめた。

「見つけたのは、庭に放っていた犬たちだ。夜番が犬の吠える声に気づいて駆け付けたときには、誰の姿もなかったらしい。逃げた先も全く分かっていない」

「……それなら、犬たちが吠えていたからって、誰か居たとは限らないんじゃないの?」

「それが、痕跡があったんだよ」

 夜が明けて、陽の光の下で屋敷の者たちと庭園を確認した。

 そこにはくっきりと誰かがこの屋敷に入り込んだことを示す跡があった。

 レティスはそのときのことを思い浮かべて、笑みが零れた。


「足跡と、血が残っていた」


 もちろん、この屋敷のものではない。

 血、その言葉を耳にした姉の顔色が一瞬変わった。

 それは本当に一瞬のことでレティスでなければ気づかなかっただろう。

 だが確かに姉は、顔色を変えた。

 ――――――侵入者の身を心配して。


「犬が侵入者を噛んだみたい。血痕はいくらか残っていたけど、それほど深い傷じゃなかったみたいだから、すぐに分からなくなった」


 深い傷じゃなさそうで安心した?と姉に問いかけたいのをレティスは堪えた。

 けれどそんなことはせず、

「まあ侵入者があったとは言っても盗まれたものは何もないし、何よりも姉様に何もなくてよかったよ」

 と微笑んだ。

 レティシアは目を数度瞬かせた後、首を振った。

「そんなことがあったなんて、全然気づかなかったよ」

「……まあ明け方のことだしね。気づかなくても仕方ないよ」

「それにしても、うちに忍び込む命知らずが居たとはね」

 理解できない、とレティシアは首を振った。

 アリアーデ公爵家は古いだけあって、数々の侵入者を防ぐための罠や警備措置が取られている。

 それからさらにレティスが犬や警備を増やしたので、この屋敷に忍び込むのは至難の業と言える。

 それでもしてみせた輩が居ることには違いなく、それにはレティスですら無謀だと呆れた。

 危険を冒してでも手に入れたい、と思うところには同意するが。

「まあ、見つけられるかどうか分からないけど、追えるところまで追ってみるよ」

 見つけたらただではおかない、と笑うと姉は一瞬視線を揺らした後、ただ頷いた。

 それからまるでこの話は終わりだと言わんばかりに、姉は部屋に入ってから立ったままだったレティスに向かいの椅子を勧めると、侍女を呼んだ。

 ありがとう、とレティスが腰をかけ、侍女がレティスのための茶を用意する間、見つめた姉は沈黙したまま目を伏せていた。

 その様子から、自分に椅子を勧めたのはあの話を打ち切る目的だけではなく、たぶん自分にとってよくないことを言われるだろうな、と思う。

 まあそれは明け方、侵入者があったと聞いたときから、覚悟をしていたが。

 給仕された茶を一口、口に含むと、まるで見計らったかのように姉が顔を上げた。


「レティス」


 何の気負いもない、静かな呼びかけ。

 この後、自分にとってよくないことを告げられるのは分かっていたのに、それなのに返事をする自分の声はいつだって喜色が滲む。

 初めて自分の存在が姉に認められ、呼ばれた日から変わらない、癖。


「なに」

「……そろそろ、戻るよ」


 どこに、とも誰が、とも省かれた言葉だったが、レティスはそれを正しく理解した。

 ああやっぱりな――――と内心ため息をつきながら。

「もう?」

 姉の決意は揺らがないと分かってていも、それでも足掻かずにはいられない。

 ここを出て行けば、恐らくはもう二度と一緒に暮らすことなど叶わないだろう。

 今までも屋敷の東翼と西翼に分けられ、父が退いたことでようやく同じ東翼で暮らせることになったのに。

 本当に、いつだってあの男は自分の邪魔をして奪っていくと心の中で毒づいた。

「これでも側妃だからね、いつまでも実家に籠ってるなんて許されないよ」

「それはそうだけど……」

 あの日、レティスが持っているものを差し出さなければ、姉は自分を見てくれることはなかった。

 だがあの男は、苦労せずしてそれを手に入れ、一番で在り続けた。

 そのくせ、自分は姉ではない誰かに目を向け、失った恋に縋り続けた愚か者だ。

 本当はあんな男に姉を渡すのは業腹で仕方がないけれど、本当に嫌だけれど。


「そんな顔しないで。王宮でまた会えるんだから」


 微笑む彼女がそれを望むのだから、仕方がない。

 自分にできるのは、いつまでも彼女に利用価値のある存在として在り続けることだけ。

 もちろん、昔とは違い今の姉は自分に価値がなくなったとしても見捨てることなんて有り得ないだろうが。

 それでもレティスは、自分でそう課していた――――――姉の役に立つ存在になることを。

「……でもやっぱり嫌だな」 

 誰よりも愛しい愛しい姉。

 初めて会ったときから彼女は、誰よりも美しくて誇り高くて。

 女性らしい脆さを抱えているけれど―――――でも誰よりも強かな人。

 本当は、今回『父の見舞い』という名目などで里帰りしてみせずとも、姉はあの男の正妃という立場を手に入れることができる切り札をその身に宿していた。

 きっとその存在を明らかにすれば、あの男とていつまでも姉から目を背けることも、あの姫への想いの残骸を抱え続けることもできなかっただろう。

 だがそれでは意味がない。

 自らあの男が自覚して、追い求めなければ。

 そしてまんまと誘われ、あの男は姉の望む答えを出したのだろう。

 そうでなければ姉は戻るとは言い出さなかったに違いないのだから。

「……戻るのは明後日以降にして。それまでに覚悟を決めるから」

「覚悟って、そんなに大それたものが必要? しかもそんなに時間がかかるの?」

 もう、とすべてを手に入れた彼女は、呆れたように笑う。

 だって、と口では姉に言い訳をしながら、レティスは心の中で呟く。


 ―――――今回は、身を引いてやろう、と。


 姉が望んで後宮を出て、そして望んで後宮に戻るのだから。

 今回はすべてに目を瞑り、水に流してやる。

 だが再び姉がここに戻るようなことがあれば、どれだけ彼女が望んでも出してはやらない。

 姉を蔑にするならば、自分の持てる力をすべて使って、必ず、必ず制裁を加えてやろう。

 本人だけでなく、大切にする者もすべて壊してやる。


「だって僕は姉様とずっとずっと一緒に居たいんだよ? でもちゃんと我慢するから、だから戻るのは明後日以降にしてね。僕の願いを叶えて? 姉様」


 だけど今は、誰よりもあなたが幸せそうに微笑むから。

 自分一人が我慢しよう。

 いつだって、自分が望むのはこのことだけ。



 ―――――――あなたが幸せなら、それでいいのです。



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