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王と王妃  作者: くま
3章
15/19

夜も日も明けない

 ――――――いつ、戻ってくる。


 そう尋ねた彼の声が、耳にまだ残っている。

 尋ねておきながら答えを聞くのが怖い、けれど聞きたいという苦悩が混じったような、低い声。

 その声にレティシアは首を振ることしかしなかった。

 自分でも分からなかったからだ。

 体調を崩した父親の見舞い、という理由での里帰り、それが一時的なものになるかどうか。

 それは今となっても分からなかった。



「姉様」


 窓辺に寄せた椅子に腰を掛け、眼下に広がる庭園を眺めていたレティシアは振り返った。

 いつの間にか弟が自室の扉から顔を覗かせていた。

「……なに」

「これから王宮に出てくるよ。帰りは遅くなると思う」

 分かった、と返すと弟は覗かせていた顔を引っ込めて扉を閉めた。

 弟の足音が完全に自室から離れると、レティシアは再び庭園に目を向けた。

 アリアーデ家が誇る、庭園は美しい花々で彩られている。

 これまで西翼に自室を持っていた、レティシアは自宅の庭園がこれほど美しいものだとは知らなかった。

 つい1週間前に自室が屋敷の東翼に移されるまでは。

 移すよう指示したのは、他でもない弟だった。

 その弟は体調を崩した父から爵位を譲られる予定であり、そのように王家にも届を出している。

 形式的には王家が許可を出さなければ爵位を継ぐことはできないことになっているが、まず間違いなく許可は出ることだろう。

 父が体調を崩していると聞いたとき、レティシアはまさかこんなことになるとは思わなかった。

 そう、父の体調不良が弟の手によるものだとは。


「ちょっと薬を盛っただけだよ? それにお酒だって好きで飲んでたんだし」


 父を見舞ったレティシアがおかしいと思い、弟を問い詰めると彼はけろりとそう答えた。

 別に毒を盛ったわけではなく、ちょっと腹を下したりするぐらいだよ、と。

 さらに父に飲酒を勧めることにより、薬は大変な効果を父にもたらしたらしい。

 息子との飲酒に父は喜んで付き合っていたらしいが、その代償は大きかった。

 でっぷりと太っていた身体がげっそりと窶れ、覇気がなくなった。

 父の変わり果てた姿を哀れだと思うほどレティシアは、父親に良い感情を抱いてはいなかったが、それでもなぜレティスがこんなことをしたのか、と尋ねた。


「だって、邪魔でしょう? 僕が今すぐ公爵位を手に入れるためには、退けないと」

「……レティス」

「僕は早くアリアーデ公爵になりたい。それからすぐには無理でも宰相にもなりたい」


 だからだよ、と笑う弟にレティシアは言葉を失った。

 彼がいずれ手に入る公爵位をすぐに手に入れたかったのか、その理由が言わずとも分かったからだ。

 父は、側妃になってからのレティシアに何度も手紙を寄越し、その度に早く王太子を説得して正妃なれと、子を産めと急かしてきていた。

 かつて居ないものとして扱い、名前すら呼んだことのない駒である娘に。

 それを間近で見ていた姉想いの弟は、何を思ったのだろう。

 何を思い、父を退ける行動に出たのか。

 それをレティスは語らない。

 口が裂けてもレティシアのためだとは言わないだろう。


「父様にはルビアの屋敷で静養してもらうことにするよ。母様も一緒にね」

「……お義母様も?」

「うん。だって姉様の母様から父様を盗むぐらい好きなんだから、きっと離れたくないよね。だから一緒にルビアに送るよ」


 まるで物を扱うかのような言い方だった。

 レティスは、自分の両親など何とも思っていない。

 彼ら両親が息子や娘を駒だと思うように。

 だが盤上の駒は、主を追い払い、自ら動き出した。


「だから姉様、安心して。好きなだけここに居て」


 そう笑い、自分にだけ執着する弟が哀れで―――――愛しくて、レティシアはただ頷いた。

 それからのレティスは、公爵家の主として父親以上に采配を振るい、屋敷の者も誰一人として逆らう者はいなかった。

 姉であるレティシアに対してもかつてとは比べものにはならないほどに手厚く仕え、レティシアは不満を感じることはない。

 レティスがレティシアを最優先にするよう命じているからに他ならない。

 やわらかな繭に包まれるように守られ、レティシアはすることがなくぼんやりとすることが多かった。

 レティスの加護があれば、レティシアを危険に晒すものも心を掻き乱すものもない。

 穏やかな毎日を何の不安もなく過ごすことができるだろう。

 それなのに。

 ぼんやりと過ごすレティシアの頭には、どうしてかそろそろ後宮に戻ろうかという考えが湧き起ってくるのだ。

 ――――――彼は今、どうしているだろうか。

 相変わらず忙しく執務を行っているだろうか。

 少しは、レティシアのことを気にかけてくれているだろうか。

 それともあの未亡人との逢瀬を楽しんでいるだろうか。

 そう思うと、胸が苦しくなり、首を振った。

「………」

 今はもう何も考えたくはない。

 腹部の上で両手を組むと、そっと目を閉じた。




 かたり、と小さな物音が聞こえたのは、夜も更けたころだった。

 椅子に腰をかけたまま眠ってしまっていたレティシアは、ゆっくりと瞼を開けた。

 数度瞬きをし、月明かりの眩しさに目を細めながら庭園へと何気なく目をやろうとして息を止めた。

 椅子を寄せた窓際ではなく、もう一つの窓が開け放たれ、カーテンが風に揺れている。

 それだけではなく、その窓の内側に男が一人立っていた。

 頭に黒い布を巻いた姿に思わず声を上げようと、息を吸い込んだときだった。

「待て待て!」

「……っ」

「頼むから叫ばないでくれ!」

 情けなくも懇願する声にレティシアは、力が抜けた。

 俺だ俺と言いながら言いながら、相手は頭に巻いていた黒い布を取り去った。

「……何やってるの、君」

 呆れた声を出すと、彼は露わになった赤い頭を一振りして腰掛けるレティシアへと近づいてくる。

「王太子が夜半に公爵家に忍び込むだなんて前代未聞だよ」

「そんなことは分かってる」

「分かってないよ。ばれたら王太子の地位すら危うくなるかもしれないのに。何を考えてるの」

 それにしてもよくここまで来れたものだとレティシアは思った。

 誰にもばれずに王宮から脱走し、公爵家に忍び込むなど不可能に近い。

 恐らくは手引きした人間が居るのだろうが、今はそれよりもここまで来た理由が聞きたかった。

「何も考えてないだろうな」

 人を馬鹿にした言葉に、声を上げてやろうかとレティシアは思った。

 だがそれよりも早くシルヴァンの手がレティシアの頬に伸ばされる。


「―――――会いたかった」


 吐息のように小さな声、だった。

 聞き逃してしまいそうなほど小さいそれに、レティシアは何を言われたか分からず瞬いた。

「……何言ってるの」

 問いただす声は、震えていた。

 レティシアの頬に触れていた手がゆっくりと離れ、それからシルヴァンはレティシアの目の前でゆっくりと身体を沈めた。

 床に片膝をつき、レティシアの左手を両手で握る。

 それは、騎士が主君に対して嘘偽りを言わない、と誓う姿勢だった。

 レティシアは驚きに声も出なかった。

 王太子が膝をつくなど、王以外には有り得ない。

 それをシルヴァンは目の前であっさりとやってのけた。


「言い訳をさせてくれ」


 だが、放たれた言葉は少し情けないものだった。

 思わず肩の力が抜けたレティシアは、それでも黙ってシルヴァンを見つめた。

「まず、セイティ伯爵夫人とのことだが……誓って何もしていない」

 セイティ伯爵夫人、シルヴァンが夜を共にしたとレティスが教えてくれた未亡人だった。

 一度だけではなく二度密会したと教えられていたが、シルヴァンはそれを否定した。

「彼女からは相続について相談を受けたが、話を聞き始めたのが遅かったことと話が長かったこともあって、深夜近くまで一緒に居たが手は出していない」

「……本当に?」

「……まあちょっと、本当に少し揺らいだが踏み止まった。口づけすらしていない。二度目も同じで何もなかった」

 揺らいだのか、と問い詰めたいところだが、口づけすらしていない事実にほっと安心した。

 嘘は言っていないことは、シルヴァンを見ていれば分かる。

 彼はレティシアの顔色を少し窺いながら、それから、と口火を切った。

「ローザのことだが……お前には悪いけど、動揺した。彼女が本当にイーデン王のものになったのだと突きつけられて、平静では居られなかった」

 それは分かっていたことだった。

 彼の想いがローザ姫にあることも、懐妊という情報に動揺していることも。

 だがいざ彼から告げられると、胸が痛かった。

 レティシアはこのときどんな表情をしていのだろうか、自分では分からなかった。

 だが彼がくしゃりと顔を歪めて、悪い、と呟いた。

「本当に、悪かった。いつまでもローザへの想いに縋って、それをお前に見せて」

「………」

「今度こそレティに見捨てられて当然だって分かっている。蔑にしていると咎められても仕方がない。それでも、やっぱり嫌なんだよ……お前を手放すことも、お前が俺から離れていくことも」

 勝手なところは、半年前から変わらないとシルヴァンは自嘲した。

 それでもレティシアの手を握るシルヴァンの手の力は強い。

 離さない、という意思が籠っているかのように。

「お前が出て行ってから、何も手に付かない。半年前は、毎日顔を合わせることはなかったし、それが当たり前だったのに、今はそれがどうにも耐えられない」

 吐き出された言葉は、本当に自分に向けられたものかとレティシアは耳を疑った。

 まるで自分を愛している、とでも言っているかのような言葉に。


「お前が居ないと、夜も日も明けない」


 目を見開くレティシアにそう言い放つと、シルヴァンは握った両手に額を押し付けてきた。

 騎士が主君に許しを請う、姿勢。

 呆然とレティシアは、赤い頭を見下ろした。

「ローザのときは、振られることを受け入れた。イーデンに嫁ぐのを嫌々でも見送った。けど、レティシアに見捨てられたら、きっと縋ってでも追いかける。他の男に嫁ぐのを許すことなんてできない」

「……」

「戻ってきてくれ」

 絞り出すような声に、レティシアは唇が震えた。

 握られた両手が、額を押し当てられた両手が熱い。

 彼の想いが伝わってくるようだった。

 

 ――――――期待なんて、しない。

 

 けれど、今度こそ信じてもいいのではないか。

 きっと口ではこう言うけれど、まだローザのことを忘れてはいないのではないか。

 疑いの心が顔を覗かせるが、それよりも嬉しさの方が勝ってしまった。

 ぽたり、と自然と零れた涙が頬を伝った。


「君は勝手だ」


 あのときと同じ言葉が、するりと漏れて。

 押し付けられた顔を上げるようにすると、赤い瞳に涙を流しながら微笑む自分が映っていた。

「本当に勝手だよ……」

「……レティ」

 目を見開くシルヴァンに顔を寄せると、目を閉じた。

 重なる唇とともに、背中を強く引き寄せられてレティシアも彼の首に両腕を巻きつけた。

 何度も唇を合わせながら、ゆっくりと肌を暴いていく手に身を任せる。

 何も分からなくなって、息をすることも危うくなる前に小さく囁いた。


 ―――――好きだよ、セツ。



 

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