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王と王妃  作者: くま
2章
10/19

告白

 その日、レティシアは初めて王宮に足を踏み入れた。

 そうして自分が住んでいる屋敷の西翼とは違い、あまりに明るく美しい場所にぽかんと立ち尽くした。

 しかしすぐに先を行く父親の背中が離れていくのを見て、慌ててとてとてと小さな足で追いかける。

 父はいつだってレティシアを振り返らない。

 今もレティシアが取り残されたことなどに気づかず、どんどん先に行ってしまった。


「……っ」


 それなら声を上げて呼び止めればいい。

 だけど、以前伸ばした手を無関心に見つめられた挙句、無視されたことが頭を過ぎって、レティシアにはそうすることができなかった。

 小さな足で追いかけるのに疲れ、とうとう父親の背を見失ったレティシアは、王宮の広い廊下に立ちつくし、途方に暮れた。

 一緒に来た乳母や侍女は、途中で待機するよう父親が命じている。

 完全に一人きりになったレティシアは周囲を見渡し、誰もいないことにさらに落ち込んでうつむいた。

 両手でドレスを握りしめ、唇を噛み締める。

 不安と悲しさで胸が押しつぶされ、唇を少しでも開ければ泣き出してしまいそうだった。


「―――――おまえ、こんなところで何してる?」


 唐突にかけられた声に、レティシアは弾かれたように顔を上げた。

 その拍子に潤んでいた瞳から、涙が一筋零れる。

 顔を上げた先には、自分よりもいくつか年上の少年が、不思議そうな顔をしていた。

「まいご?」

 大きな赤い瞳が自分を覗き込んでくる。

 近づいた顔にびっくりして目を見開くと、彼の手が伸ばされて、ぎこちなく頬に流れた涙を拭ってくれた。

 その仕草が、レティシアの不安と悲しさで固まっていた心を溶かしていく。

「おとうさまとはぐれたの……」

 だから素直に少年にこう告げていた。

 彼はレティシアの言葉に目を瞬かせた後、胸を張った。

「なら、おれがいっしょにさがしてやるよ」

 レティシアの周りには居なかった、ちょっと偉そうな喋り方と年上風を吹かせたがる彼。

 レティシアはきょとんとしたが、彼は気にした風もなく手を差し出す。

 おずおずとその手を握ると、途端にぐいっと引っ張られる。

 彼はレティシアが転びそうになるのにも気づかず、走り出した。


「おれがぜったいにみつけてやるからな!」


 叫ぶ彼にレティシアは、やはり待ってとと言えずただただついていくのに必死だった。

 そして結論から言えば、彼はレティシアの父親を探すことなくまず彼の母親のところに行った。

「母上! まいごいた! まいごつれてきた!」

 大騒ぎで部屋に入ってきた二人を、部屋の中に居た女性は目を丸くして見た。

 自分の息子が連れてきたレティシアを見ると、あら、と声を漏らした。

「レティシアね? お父様と一緒にじゃなくて一人で先に来ちゃったのね」

 会ったこともないのに彼女はレティシアの名を呼び、黒髪を撫でる。

 優しい手つきにレティシアはびっくりして固まった。

「あなたのお父様もきっとあなたを探しているだろうから、私から連絡しておくわ。あなたはここで私たちと一緒にお父様を待ちましょう」

 そう言うと、女性は控えていた侍女に指示をし、レティシアと少年にはテーブルに着くよう勧めた。

 このときレティシアは知らなかったが、その日レティシアを王宮へと招いたのはこの女性、つまり王妃だったのだ。

 王妃は、アリアーデ公爵家に5歳になる長女が居ることを知り、公爵とともに呼び寄せた。

 自身の息子の妃と成り得るかもしれない少女を、自分の目で確かめるためと息子に会わせておいてやろうという考えから。

 そうして本来であれば公爵も交えての茶会の席は、王妃と王太子、レティシアの三人で始まった。


 ――――――それは、レティシアにとって忘れられない幸せな記憶となる。


 優しい王妃と、やんちゃでちょっと偉そうな王太子。

 誰かに優しく声をかけてもらえるのも、微笑みを向けられるのも、レティシアにとっては嬉しくて仕方がなかった。

 やがて王妃が少し席を外し、王太子と二人になると彼はレティシアに絵本を読み聞かせてくれた。

 本当はレティシアにも字は読めたけれど、読んでやるとお兄さんぶる王太子の気を損ねたくなくて知らない振りをして聞き入った。

 絵本を読み終わると今度は、行儀悪く二人で床に寝そべる。

 くすくすとなんでもないことで顔を寄せて笑い合う。

「あのな、おまえにだけいいことおしえてやる」

 長椅子に掛けられていた敷布を外し、中にもぐり込んだまま彼が顔を寄せてきた。

 小首を傾げて耳を傾けると、


「セツ」


 と小さな声で囁かれる。

 せつ?と聞き返すと、大きな頷きが返ってくる。


「―――――母上しか知らない、ひみつの名前。おれの名前」


 え、とレティシアはますます首を傾げた。

 だってさっき王妃は彼を違う名で呼んでいたのだ。

「母上の国では、おしえていい名前と、おしえちゃいけない名前をつけるんだって。おしえちゃいけない名前は、だいじなやつにしかおしえちゃだめなんだ」

 王妃は、フェイアンではなく他国から嫁いできた王女だった。

 彼女の国では、子どもに名を二つ付ける。

 普段他人に名乗る名と、それとは別に真名と呼ばれる特別な名を。

 それを彼女は本来付けるべきではない息子に、夫にも内緒でこっそりと付けていたのだ。

「おまえはとくべつなんだからな。ぜったいに、だれにも言うなよ」

 まさかあれほど誰にも教えてはならないと説いた息子が、誰かに教えるなど思いもせず。

 教えられたレティシアは、嬉しさのあまり頬を紅潮させ、にっこりと笑った。

 誰かから特別を与えられたのは、誰かの特別になったのは、このときが初めてだった。 


「うん! だれにもおしえない!」


 敷布にもぐり込んだまま、二人は頬を寄せて笑った。

 約束、と右手と左手の指を絡ませて――――――。




 明るい光が差し込む、美しい部屋。

 かつて足を踏み入れた、その王妃の私室はほとんど変わらないように見えた。


「久しぶりね、レティシア」


 王妃が開く茶会に出向いたレティシアに、王妃はにっこりと微笑んで迎えた。

 何年ぶりかしら、と王妃がわざとらしく呟くのにレティシアは視線を僅かに彷徨わせた。

 『レティス』を名乗っていたときから、王妃には入れ替わりに気付かれているかもしれない、と思っていたがやはり気付かれていたらしい。

 悪戯を見咎められた気分を抱きながら、レティシアは勧められた席に腰をかけた。

 ―――――あの夜会から1週間が経っていた。

 あれからアリアーデ公爵家には、レティシアと王太子の仲がどういったものか探りを入れる者や、レティシアに求婚する者が現れて、侍女たちは対応に追われていた。

 求婚をしないまでも見合いを申し込む者も多数居て、父親は熟考するまでもすべてを断っているようだった。

 その父親にも王太子との関係を聞かれたが、レティシアは迷ったところを案内してもらっただけだと適当に誤魔化していた。

 そうするうちに今度は、王妃から茶会への招待状が届いた。

 月に一度、数人の貴族の令嬢を招いて開かれるそれに招待されることは、何よりも名誉なことらしいが、レティシアにとっては気が重くて仕方がなかった。

 他国から嫁いできた王妃は驕ったところがなく、優しくてレティシアも好きだが、何よりも『レティス』として会っていた期間が長いので、入れ替わりがばれる可能性が高いのだ。

 断りたいレティシアとは裏腹に、結局父親が嬉々として返事を出してしまった。

 たった数時間の我慢、と言い聞かせて臨んだ茶会でレティシアは終始控えめな笑みを浮かべてやり過ごした。

 病弱で今まで表に出られなかった、とすでに貴族の間では噂が広まっているためだった。

 王妃はその茶会で特にレティシアを特別扱いすることなく、平等に参加者に話を振った。 

 空気が変わったのは、茶会も終わりを迎えるころだった。


「……シルヴァンが? まあ珍しい」


 侍女の耳打ちに王妃が目を丸くして声を上げた。

 王妃の口から漏れた王太子の名に、参加者は声を潜めた。

 もしかしたら王太子がこの茶会に参加するかもしれない、と期待に目を輝かせながら。

 まさか、と思う中、本当に王太子が姿を現した。

 色めき立つ周囲を余所に、レティシアはうつむき口元を扇で隠した。

 こんなことでシルヴァンの目から隠れることができたとは思わないが、とにかく嫌な予感がしてならなかったのだ。

「お楽しみのところ失礼します、母上」

「いいわよ。どうしたの、あなたが来るだなんて珍しい。どなたかお目当ての方でもいらっしゃるの?」

 からかうような王妃の声すら、今は憎らしい。

 そしてうつむく自分に、いくつかの貴族の令嬢たちの視線が突き刺さるのを感じた。


「ええ。実は、この前の夜会でここの庭を案内することを約束した方がいるのです」


 その言葉に、まあと王妃が声を上げる。

 相変わらず令嬢たちは疑うようにレティシアに視線を向けてきていたが、レティシアは王太子と約束などしていない。

 レティシア以外の令嬢と約束したというならば、好きに行ってくれという思いだが。

 それはどなたなの、という王妃の声にじっとりと汗を掻く。

 そして、


「レティシア殿」


 やはり―――――とその場に居た誰もが息をついた。

 呼びかけられた以上、うつむいたままでは居られない。

 ゆるゆると顔を上げると、そこには微笑む王太子の姿があった。

「今からご案内しようと思うのですが、いかがですか」

「ええ……ですが、まだ王妃さまと」

「あら私は構わないわ。行ってきなさいな」

 にこにことした笑顔の王妃と、有無を言わさない様子のシルヴァン。

 二人を交互に見て、レティシアは内心で大きなため息をついた。

 これ以上は無駄な抵抗だろう。

「……では、お願いいたします」

 椅子から立ち上がろうとすると、すぐにシルヴァンの手が差し伸べられる。

 『レティス』として傍に居たときは、決してなかった仕草だった。

 素直に手を重ねて立ち上がると、王妃や他の参加者に頭を下げて二人は私室を後にした。


「―――――君は僕をどうしたいの?」


 私室から離れると、レティシアは眉を寄せながら小声でシルヴァンに尋ねた。

 手を引く彼は、面白そうに笑う。

「お前はどう思う?」

「質問に質問で返さないで」

 ぴしゃりと言い返し、レティシアは手を離そうとしたがシルヴァンがそれを許さない。

 結局、手を握られたまま庭園に着いた。

 庭園には、彩豊かに花々が咲き誇っていたが、それを見たところでレティシアの気分は晴れなかった。

「機嫌を直せ、レティ」

「……嫌だね。腹立たしいことこの上ない」

「それは俺もだが?」

「あのね……入れ替わりのことなら、謝ったし罰したいなら罰すればいいと言った。僕の姿を見て腹が立つなら、二度と君の前に現れないようにするけど?」

 本当は、彼と二度と会えないことなど考えるだけで、胸が張り裂けそう。

 だが、腹が立つと言われてまで傍に居られるほど厚顔ではなかった。

 それでも内心を押し隠して、挑戦的に見上げる。

 彼は憎々しげにレティシアを見下ろしていた。

 だが、やがてふいっと顔を逸らした。


「お前は本当に……俺を苛立たせる」 


 苦々しい横顔だった。

 レティシアだってこんな顔をさせたいわけではない。

 腹を立てさせたり、苛立たせたいわけじゃない。

 なのにいつだって彼は、自分には微笑んでくれない。

 そう、この庭園で――――――彼女と向き合っていたときのように。

「………」

 『レティス』ではなく、『レティシア』に戻ったところで、結局は一緒だった。

 彼は自分を『女として』見ることはないし、愛することもない。

 それは本当に、彼女にとって残酷な現実だった。

 今まで騙しておきながら、何を都合の良いことをとは思う。

 だがどこかで、心の奥底ではもしかしたら『レティシア』として彼の前に立てば、自分を見てくれるのではと望んでいた。

 それは、不相応な望みでしかなかったのだろう。

 彼がこうして『レティシア』に戻った彼女に会いに来るのは、入れ替わりの目的に納得していないから。

 彼の言うとおり、レティシアが真の目的を隠してしまったから。

「……大した理由じゃないのにね」

「レティ?」

 レティシアの呟きを聞きとがめ、シルヴァンが再び見下ろしてくる。

 小さくため息をつくと、レティシアは彼を見上げ、唇を開いた。


「ねえ、君は覚えている?」


 あの日のことを。

 あの、レティシアが何よりも大事に抱えて生きてきた記憶を。

 きっと忘れているだろうね、とレティシアは嗤った。


「10年前―――――僕は、この王宮で初めて君に会った」


 目を閉じれば、いつだって思い出せる。

 小さな小さな君を。

「10年前? 俺とお前が出会ったのは……」

「僕が5歳のときだ。その日、僕は王妃さまの茶会に招待されて、父親に初めて王宮に連れられてきたけれど、迷子になった。そうしたら君がどこからか現れて、王妃さまのところに連れて行ってくれたんだ」

 始め、シルヴァンは怪訝そうな顔をしていたが、思い当たる節があったのか、呟いた。

「……確かにあの頃、母上の茶会に来ていた子どもと会った覚えはある。あの中にお前も居たのか?」

 そうだよ、と頷きながら落胆せずにはいられなかった。

 やはり、シルヴァンにとってはその程度。

 何人か居た、子どものうちの一人――――その程度だった。

 一方的に、レティシアがシルヴァンを慕って記憶を抱えていただけ。

 でも、それでもいい。

 だからといってレティシアの大切な思い出が壊れるわけではないのだから。

 レティシアは一度目を閉じると、次に目を開けたときそっとシルヴァンの手から自分の手を抜き取った。 


「僕は、君に会いたかった」


 ――――――ずっと、ずっと。

 けれど王宮に上がることができたのは、あの一度だけだった。

 再び自分に興味を無くした父親が、レティシアを顧みることはなく、代わりに――――。 


「だから、君の側近候補として王宮に上がるようになった弟がうらやましくて仕方がなかった。だから……弟に代わってもらった。弟の振りをしてでも君の傍に居たくて」


 これが本当の目的だよ、とレティシアは小さく呟いた。

 驚きに固まるシルヴァンを見上げ、微笑む。



「僕は、ずっと君が好きだったんだ」



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