居座る醜い心
※2007/5/31
ここ2~3日、過去を振り返ったおかげで、私は結構苦しい思いをしました。それでも「ブログ」という媒体ができたおかげで、こうして過去を書き、みなさんから同情までしてもらえて、なんて幸せなんだろうと思います。「苦しいときに苦しいと言える」ことは、かなり救われます。それは聞いてくれる相手がいてこそです。
私はカウンセリングを受けたとき、カウンセラーに
「あなたのお母さんは、あなたを虐待していたのです」
と指摘され、驚きました。愛情だと信じていたからです。そして「精神的虐待」を受けていたと言われたことで、心は救われました。生きているのが辛いのは、自分の所為じゃない。そう思って良いと、他人から言われました。つまり、私の子供時代は不幸だったと思っても良いと、許可されました。
世の中には不幸に見える人ははごまんといます。肉体的ハンディキャップを背負った人、病気を患っている人。貧困にあえぐ人。その他様々です。
私の不幸は目に見えません。誰からも同情してもらえないばかりか、泣き言を言うと、おしかりを受ける。私は「生きているのが辛いのは、自分の心が醜い所為だ」と思って生きてきました。それでも最初にうつ病になり、寛解し、加藤諦三先生の本を読みあさり、数件のカウンセラーを訪問して、「これだ」と思う人から綿密にカウンセリングを受けたことで、私は母を憎んで良いことを許可され、そして3年後、母を受け入れることができました。
母を憎んだ3年間の私の心は蛇です。憎しみは凄まじかったです。夢にまで出てきて母を罵倒しました。実際に母を罵倒したのは、3年のうち、最初の1ヶ月位です。このとき暴力こそ振るわなかったけれど、怒りが頂点に達していたため、激しく罵倒しました。今まで何でも言うことを聞く娘の変貌に、母は狼狽しました。
一通り言い終えると、私は母と距離をおきました。カウンセラーから「お母さんと遠いところに住む方が良い」という言葉を実行したのです。普通、カウンセラーは、具体的にこうしろあしろとは言いませんが、私の受けたカウンセラーは、精神科医だったので、そう言えたのでしょう。私は納得し、実行に移しました。でなければ、ただただ母を罵り続け、不測の事態が起きそうでした。うつ病になって、その原因を探るためいろいろ調べ、アクションを起こしたのが功を奏しました。
実を言うと、「うつ病」と名乗って良いかも罪悪感があります。だからブログの題名が「ほんとにうつ病?」なのです。きちんと診断を受け、精神科に入院し、抗うつ剤を多量に飲んでいてもなお、「うつ病」なのかと自分を疑います。「気のせいじゃないか」「心が弱いんだ」「わがままなだけなんだ」そう思ってしまいます。
私はいまだ、自分を受け入れていません。母は許せました。夫も10年間嘘をついて、借金を作りましたが、それでも「許容範囲」です。こと酒飲みで、短気で、母をないがしろにしてきた父は、対象外です。なぜなら父は母をないがしろにしてなどいなかったからです。許しても許しても、つかれる嘘に、いちいち爆発していたまでのことです。姑にいたっては、「うつ状態」を理由に交流を断っているので、ストレッサーではありません。このように人は許せても、自分を好きになれません。
父は75歳ですが、いまだに働いています。若い頃の短気さはなくなり、
「75歳でも仕事をさせてもらえてありがたい」
などと、仏のようなことを言います。若い頃は仕事が父の負担であり、家庭も安息の場所ではありませんでした。父もまた、不幸でした。母は長い間、父がいかに酷い人間かを述べてきました。私にも刷り込みました。その母が、今は父が帰宅するまで私たちが先に夕飯を食べようが、待っています。そして父が帰ってくると、晩酌の相手をしながら、父の会社であった出来事などを聞いたり、一緒にテレビを見て笑っています。昔とはほど遠い光景。どうも、私と3年間、両親と距離をおいたことで、二人は歩み寄ったようです。
両親が幸せそうなのはありがたいことです。でも、私の心は複雑です。私がもっとも多感な時期は、散々喧嘩しまくり、お互いの憎しみで、二人の心は占められていました。私に親としての愛情を注ぐ余裕は二人にはありませんでした。二人には事情があったのだから、仕方がないのですが、私は18歳までの子供時代に、どれほど家族の団らんを求めたか。毎夜夫婦喧嘩が起きないかおびえ、「母の慰め役」と、「父の身代わりの責められ役」をしてきました。父は私には優しかったけれど、いくら頼んでも、喧嘩をやめてはくれなかった。その両親が、今は二人で仲良く笑っている。私も仲間に加わり、一緒に団らんを楽しみますが、時折無性に恨めしくなる。
「私はいったいなんだったのか」
子供の頃の私は、家庭の雰囲気を明るくするために、道化を演じてきました。沈黙の家庭の中に、積極的に話題を持ちかけ、お互いのパイプ役をしてきたつもりです。それが、私と両親が距離をおいたことで、二人は仲良しになってしまった。良いことには違いない。いまだに仲が悪かったら大変困ります。だけど、やっぱり私は妬ましい。
私は「我が子には同じ思いをさせたくない」と思い、習い事、持ち物など娘に金に糸目はつけていません。なのに。産まれた頃から裕福で、中高一貫の私立中学に通い、家庭教師をつけられ、自分専用のパソコンも部屋も持っている娘。夫から溺愛され、祖父母から大事にされ、なんの不安もなく、ただひたすら自分の将来の夢を見ても良い娘を、うらやましく思います。娘を、愛しています。それは間違いありません。それでもやはり、自分の子供の頃と比べ、雲泥の差ほど恵まれている娘を、私は心の底で、妬んでいます。ここで重要なのは、夫に妬む気持ちが無いこと。大学に行き、大企業に就職し、今では課長をしている夫をうらやましいとは思わない。なぜなら「他人」だからです。両親と娘は「血」がつながっています。他人を妬む人も大勢いるでしょうけれど、私が妬むのは、血縁関係で結ばれた人間だけです。
「この世でもっとも醜いことは、人をうらやむことです」
以前読んだ、有名な文学作家の文章なのですが、誰が書いたか忘れてしまいました。それでもこの一文だけは忘れられません。この文は、真実です。だから私の心は醜い。おそらく私の心から妬む気持ちが消えるのは、心から自分を好きになったときだろうと思います。~
2011/8/5現在、誰も妬む気持ちなどありません。では、自分を好きになれたか。どう考えたって、働けない、役立たずの今の自分を好きになりようがありません。それでも不思議と妬む気持ちは消失しました。たぶん、自分には人とは違う、夢があるからだと思います。小説を出版するという夢が。だから、誰とも比較する必要がないのです。もう、酷いうつ状態に陥ることはなくなりました。それでも良くなったり悪くなったり。一生のおつきあいになるかもしれません。