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劣等感の反動

 いつか書かなければいけないと思っていた母との関係を書きました。

ブログの題名は「ほんとにうつ病?」です。今現在、鬱に苦しむ人が、このブログを見てくれているかもしれません。母との関係が、私の人格を形成したのは間違いないと思います。世の中苦労をして生きている人は、ごまんといます。その中で人よりストレスを感じやすい、おどおどした性格になったのは何故か?その根源的な部分を書きたかったのです。


 私は自分が嫌いです。私の性格は、醜い。相手から見返りを求める。プレッシャーに弱い。今は人と関わりたくない。頭が悪い。パチンコに溺れた。仕事が出来ない自分をみじめに思う。「ヒエラルキーの最下層」という言葉があるけれど、まさに今の私のことを言うのでしょう。立ち直る気力がどうしても出ません。劣等感の塊です。


 私は育った環境の反動から、「絶対人生のし上がってみせる」と18歳の頃誓いました。大学に進学できなかったのは、貧乏だからだと思いました。だから看護師をしながらお金を貯め、大学進学を夢見ていました。でも23歳の時見合いをし、今の夫と結婚しました。私だっていくらなんでも母親の言いなりで結婚したわけではありません。ちゃんと夫を好きになりました。


 親はお金を持っていません。私は大学進学のために貯めた200万円を結婚資金にあてました。それから子供を産み、子供が一才の時、看護師に復帰しました。家庭と両立させるため、残業の少ない老人病院を選びました。そしていつか、大学に編入することを夢見て、やっぱり貯金していました。


 夫は私が働くことに賛成でした。夫が家のローン、光熱費の支払いをし、私が生活費の支払いということで、給料をシェアしました。私は夫も貯金するものと思っていましたが、夫は小遣いにあてていました。だから夫の月の小遣いは、10万円を越えます。だけれど専業主婦をしていない自分になんとなく負い目があった私は、夫が満足し、家計に支障が無いからと、夫がお金を自由に使うことを容認しました。


 働いて一年半後、分譲マンションを買うことにしました。ライオンズマンションです。頭金は、私の貯金をあてました。夫には一銭も貯金がありませんでした。いくらなんでも少しはあるだろうと思っていたのに、まったくのゼロでした。でも夫を責めませんでした。憧れのライオンズマンションが手に入り、家計には十分余裕がありました。仕事も順調です。私は幸せでした。今の言葉に直せば「勝ち組」。洋服も化粧品もバッグもブランドものが買える。子供は4歳からは保育園から幼稚園に変え、習い事を二つさせました。ピアノも買い与えました。夫は車好きなのですが、夫の好きな新車を購入し、私も新車を購入しました。今にして思えば後先考えず、贅沢の極みでした。でも子供の頃貧乏で、随分惨めな思いをした私は、それでもまだ贅沢のウチには入らないと思っていました。私が働き続ければ良いこと。その頃は、一生絶え間なく共稼ぎが続けられると信じて疑いませんでした。


 マンションを購入して5年後、私の母に対する反抗期が訪れます。そしてマンションというものは、自由がありません。管理費も高いです。隣の主婦が「虐待しているのでは?」と思うほど、子供をしかりつける声が聞こえます。さらに実家も近い。私は中古でいいから一軒家に住みたいと夫に申し出ました。夫は大賛成し、新築の注文住宅を提案してきました。そして実家から随分離れたところに新居をかまえました。マンションはあっさり売れました。頭金はやっぱり私の貯金でまかないました。マンションのローンの残りに新居のローンが上乗せされるが、管理費と駐車場代2台分が浮くので、月々の支払いはマンション時代より3万円下回った。さすがに「今度こそ貯金して欲しい」と夫に頼みました。夫曰く「後輩と飲みに行ったらおごらなければいけないから」

と言う理由で貯金ができないそうです。私は鵜呑みにしました。


 私が35歳の時、夫に誘われパチンコにはまりだします。新居購入の直前です。私は強烈にのめり込みました。すると余っていたお金が足りなくなってきました。そのうちうつ病が悪化し、とうとう働けなくなってしまいました。それでも貯金と、子供の学資保険が30万円おりる年なので、少し休めばいいと思っていました。ところが夫は私に「早く働いて欲しい」とせがみます。私も就職を試みるのですが、苦しくて働けません。そして夫が嘘をついてパチンコをしていて、借金が500万円あることが発覚しました。


 夫がパチンコに行くのは、私が休日勤務の日だけだと思っていました。しかし毎日仕事のあと閉店まで、土曜日は出勤だと偽ってパチンコに行っていました。私は夫を心の底から信頼していたのに、ズタズタになってしまいました。そして働かなければ行けない時期に、働けなくなってしまいました。生活は一変しました。借金は夫の実家が肩代わりし、少しずつ返済していくことになりました。そして私の両親と同居し、部屋代として月3万円、2ヶ月に1回の年金支給日は10万円入れてくれることになりました。


 私はうつが少し良くなると、就職を試みました。しかしもって4ヶ月が最長でした。仕事が出来ないジレンマと、忘れたいことだらけでますますパチンコにのめり込みました。そして私自身、信販会社のカードからキャッシングすることを覚え、新たに120万円の借金が出来ました。


 ブランド品は、とっくに売りさばきました。抗うつ剤の副作用で、50キロ太りました。見た目が悪くなり、仕事が出来ず、借金があり、「ヒエラルキーの最下層」にいます。20代の頃、私は有頂天になっていました。自分は二度と貧乏になることはないと、信じていました。でも新居でさえ、両親の家のようになってしまいました。家の中の私の居場所は寝室です。でも、もういい。疲れました。唯一私には庭があります。ここだけは私のテリトリーです。母には触れさせたくない。キッチンもリビングも玄関も、みんな母の好みの仕様になってしまったけれど、庭だけは私のものです。そこで薔薇を育てています。花の中でもっとも贅沢な薔薇。まもなく見事に咲くであろう薔薇は、5年先、10年先、家を覆い尽くすでしょう。そのとき家は、初めて私の城になるのでしょう。~



 父が亡くなり、年金収入が途絶え、相変わらず仕事をしては辞めての繰り返しが現在です。母との関係も、微妙です。唯一の今の私の夢は、一生に一冊、本を出版することです。

























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