パチンコ依存症 その2
※2007/6/9
「なんとかして働かなければならない」
そう思い、転職を繰り返していた私。だが、辛くて続かない。それで「もう行けない」となるわけですが、辞める言い訳を考えなくてはいけません。わずか一ヶ月にも満たないで、最短は2日です。「夫が心筋梗塞になった」「姑が脳梗塞になった」「娘が大腸の難病になり、つきそいたい」など、ことごとく家族を病気にしました。なぜなら「辞めたい」と思ったときは既に限界で、一日たりとも仕事に行けないからです。普通、辞める一ヶ月前には報告するのが常識でしょう。だから演技するしかありませんでした。嘘を何十回ついたか。後半はいい加減自分が情けなくなってきました。
仕事を辞めると、やはりパチンコ屋通いをしました。罪悪感などまるでありません。どんどんキャッシングしました。「いつか働いて返せばいいや」実に楽観的でした。それに夫が10年間嘘をついてパチンコしていたことも、言い訳の一つでした。
「パチスロしたっていいんだ」
そう思っていました。
パチスロにはまって2年。キャッシングも引き落とし残高が限界に近づいていました。とともに「吉宗」が各店から消え始めました。この頃はもう、吉宗以外にもいろいろな機種に手をだしており、「アラジン2」にはまったりしていました。だがアラジンもなかなか恐ろしい機種で、枚数こそ350~420枚くらいしか出ないが、連チャンすると、爆発します。そのかわり天井が1400以上で吉宗より高いのです。吉宗は本当の天井に達すると、ビッグが3連することになっているのですが、アラジンは天井までいって、レッグ127枚ということもあります。
おととしの大晦日、(大晦日に行くのもどうかしている)10万円が、あっさり消えたのを覚えています。それでパチスロは少し控えて、またパチンコをすることにしました。辞めようと思わないから不思議です。
この頃からアマデジ(確率の甘い台)が各店舗に増えました。一日千円でも勝てば良く、ただパチンコをやりたかったのです。この頃はどの店も等価(一玉4円)になっていたので、普通の台は、1000回はまりも珍しくなくなってきました。パチンコの1000回など、飽き飽きです。なので、アマデジなどにも手を出しましたが、勝っても当然もうけは少なく、「千円勝てば良い」はずなのに、やっぱり物足りなくて、普通の台に戻りました。もう海は新バージョンになっていましたが、基本的のは同じなので、いろいろな機種を試しました。そしてやはり飽きると、パチスロもやりました。この頃は「南国育ち」にはまっていました。
とうとうキャッシングできなくなる日がきました。3社から120万円。すべてリボ払いです。私は夫に金の無心をし始めました。夫は最初は快く出してくれました。夫にも負い目があったのでしょう。私はなるべくアマデジをやるようにしましたが、この頃に「秘宝伝」というパチスロが出ました。私は秘宝伝に、もろはまってしまいました。キャッシングできないと言っても、毎月返せばまた一万円ずつ借りられます。自転車操業です。それでも間に合わないので、やはり夫に金の無心をします。とうとう夫も「もう無い」と言い出しました。でも私は、どうしても秘宝伝がやりたい。高確率に入ったときのドキドキ感と、7の目を揃えたときの高揚感を味わいたい。私はとうとうサラ金の無人契約機の中に入ってしまいました。
私は働いていないので、夫が確実に私の言う会社に勤務しているか確認すると言います。そんなことをしたらばれてしまうと言うと
「ばれないように確認します」
と言います。でもしばらくしてケータイがなりました。夫からです。
「今俺に間違い電話が来たけど・・・まさかサラ金からお金借りようとしてない?」
お見通しでした。夫は会社の同僚の奥さんがサラ金から借りようとして、やはりご主人のところに間違い電話(名前を一文字間違えて聞き、相手に正確な名前を言わせる)が来ていたのを知っていたので、ぴーんときたそうです。サラ金会社の人に電話越にそのことを伝えると、謝ってきました。
私はサラ金の契約を辞め、家に帰りました。夫も仕事の途中、抜け出して、家に立ち寄りました。
「のびちゃん、サラ金はまずいよ」
夫は怒りはしませんでした。
「だって、スロットやりたいんだもの。お金がのどから手が出るほど欲しいんだもの!」
そう言って、泣きじゃくる私。もはやまともな理性はありません。39歳になって、このざまです。夫は2万円を私に渡すと、会社へ戻りました。私は喜び勇んでパチ屋へ向かいました。完全に狂っている上、自覚がないのです。
ある日の朝、私は2ちゃんねるの「パチスロ店情報」のスレッドを見ていました。すると
「君らのようなパチンカスは、パチンコ依存症のホムペでも見たまえ」
という書き込みがあり、アドレスが書いてありました。「パチンコ依存症?」初めて聞く言葉です。アルコール依存症なら知っているけど。私は一応そのホムペに飛んでみました。するとギャンブラーズアノニマスのホムペにきました。ギャンブル依存症について、細かく書かれてあります。そして私は、そのとき初めて自分が「ギャンブル依存症」だと気づきました。ようやく自覚したのです。
ギャンブル依存症は、進行性の病気だと書いてあります。このまま進行したら、人格が壊れてしまうかもしれない。だいいちこの4年間、まともに本も読んでいません。うつ病はちっとも良くならないし、働けません。私はパチンコ依存症の事が書いてあるいろいろなホムペやサイトを見ました。するとパチンコ、パチスロをしている間は脳からドーパミンや、βーエンドルフィンといった脳内麻薬が大量に分泌されては消費していることがわかりました。だからうつ病の苦しさが一時的に紛れるらしいのです。でもそれがないと、苦しくなる。だからまた行ってしまう。まさに「麻薬」です。
私はある禁ぱちサイトを見つけました。そこに書いてある過去のスレッドをすべて読みました。みんな様々な事情で禁ぱちを決意し、頑張っています。私もギャンブルは辞めよう。このままだと人生パチンコ、パチスロ一色になり、馬鹿になってしまう。実際この4年間、知的活動は一切していません。仕事もできないし、うつ病もちっともよくなりません。きっとパチンコで脳を酷使していたからうつ病が良くならないんだ。パチンコを辞めたら働けるようになるかもしれない。そう考えた私は禁パチを始めました。
最初の16日間は、地獄でした。うつ病の苦しさとはまた違う苦しさ。朝から寝るまでパチンコのことしか頭にない。特に4日目が酷かった。ずっとソファに横になっていましたが、何度も寝返りをうちました。苦しくてじっとしていられないのです。かといって、他のことができるかといえば、とても何かをする気は起きません。本すら読めません。私はパソコンで「パチンコは麻薬」というホムペを見ながら時計を眺め、じりじり一分一分過ぎていくのを待ちました。ドーパミン(大当たりがきたとき出る快楽物質)の受容体が正常になるのが約2週間だといいます。このときの禁断症状が、もっとも辛いのです。たった2週間ですが、苦しさが2週間も続くかと思うと、気が狂いそうでした。ようやく14日目の朝を迎えますが、苦しさは残っています。まだなのかと悲しくなりました。
17日目の朝、夫を車で会社まで送り、帰りスタバでコーヒーを飲んでいました。窓の外は、通勤する人たちが足早に通り過ぎていきます。彼らがまぶしく見えました。今の自分となんという差だろうなどと、ぼんやり考えていたとき、ふと気づく。
「あ、苦しくない」
17日目にしてようやく最初のもっとも辛い禁断症状から抜け出せたのです。
このあと39日目に一度パチンコに行ってしまいました。すごく行きたかったわけではないけれど、「行けばまたあの快感が味わえるかもしれない」と思いました。ですが、罪悪感が支配し、楽しくありませんでした。それで、また行かなくなりました。
その後3ヶ月辞めてはまた行き始める、と言う状態が続いています。~
ギャンブル依存症は病気です。お金をたくさん使います。私は夫と二人で多分、家一軒建つくらいのお金を使ったように思います。私が勤めていた病院で、アルコール依存症とパチンコ依存症を併発した患者さんが入院していて、なんと8千万円使い切って、人格が崩壊した方が入院していました。恐ろしいことです。