パチンコ依存症
※2007/6/8
しばらく腑抜けていた私は、ある日主婦向けの雑誌に目を通していた。すると今度パチンコの新台「CRベルサイユのばら」が出たという。私はしばらく忘れていたパチンコのことを思い出した。毎日寝たり起きたりで、何もしないでぼーっとしていた私を見て、母は
「たまにはパチンコにでも行ってくれば」
と言った。「ベルサイユのばら」は、私が大好きな漫画である。ぜひやってみたい。再びパチンコの「快楽」が蘇ってきた。
久しぶりに外へ出たら、足がふわふわして、宙を浮いている感じだ。それでもなんとか車に乗り込み、自分で運転して、ATMで3万円おろすと、近くのパチ屋へ行った。「CRベルサイユのばら」は入っていた。
私はパチンコは「海物語」しかやったことがなかった。他の台には一切興味は無く、ただひたすら海ばかりやっていた。あの魚群が出たときの興奮。見た目も綺麗な魚群は、パチンコで負けても魚群さえ見られればいいやとすら思っていた。だから他の台をやるのはベルサイユのばらが初めてだ。
さっそくベルばらのパチンコを打ち始めた。海物語とは違い、スーパーリーチが派手で、やたら長い。だが知っている内容だけに、どの場面も見るのが楽しかった。結局4時間で10箱出した。その店は一玉3,5円の店である。投資額を差し引いて、確か5万円以上勝った。
久々のパチンコは、得も言われぬ快感だった。家で休養していて落ち着いた生活を取り戻し、鬱の苦しさも軽減し、あとは気力が出るのを待てば良かった。それがたった一度のパチンコで、再び狂ったようにのめり込みだした。
とにかく毎日パチンコ屋に足を運んだ。毎日同じ店だと負けるかと思い、日々違う店を転々とした。ベルばらもいい加減飽きてきた頃、「大工の源さん2」が出る。当然はまる。私は初代の源さんは知らない。だから新鮮だった。「大工の源さん2」はどの店も大量導入していて、随分出してくれた。
その後、出てくる新台は必ず打ってみることにした。この頃負けは少なかったように思う。店を転々としていたのが良かったのかもしれない。貯金が極端に目減りすることもなかった。だが毎日朝9時から夕方4~6時までパチンコする日々。帰れば母が、夕食を作って待っていてくれる。私はパチンコして食べて寝るだけである。罪悪感が無いわけはなかった。だから勝つと母にお金をあげた。そして母と一緒にパチンコへ行った。
しばらくして「CR花満開極」が出る。液晶画面の上に、桜の枝の役ものがついていた。リーチがかかりそうになると、シャン、シャンシャンと動き、画面内は桜の花びらが散って落ちる。なんて美しいんだろうと、これものめり込んでしまった。
だが毎日毎日パチンコしていて、どんなに勝っても14~15万円がたまにである。パチスロのあんちゃん達は、換金所で20万円など交換していた。パチスロの方が儲けた時代である。それである日、パチスロに挑戦してみることにしたのである。
一番近所の、私が常連にしている店で、パチスロを打ってみることにした。私が最初に打ったパチスロは、なんとよりによって「吉宗」である。理由は台の絵がお姫様で、かわいかったから。このときはスロットのルールなどまるで知らなかったから、ジャグラーなどは、ただ数字ばかり並んでいて面白くなさそうに見えた。
私がパチンコしか打ったことがないことを知っている顔なじみの店員は、私のそばについて、スロットのやり方を教えてくれた。コイン3枚入れ、レバーを叩くと数字や絵がまわる。液晶画面ではお殿様がいて、ときどきお姫様が通ったり、忍者が走る。そして障子が閉まり、開くと高確率となる。家紋が出てくるとボーナス確定となるが、当然目押しはできないので、店員に頼む。「777」もしくは「姫姫姫」と並ぶとビッグボーナスである。液晶のナビに従って目押しし、一回のビッグでコインが711枚出る。コインの価値がわからないが、とにかくビッグばかり当たる。当たったら音楽は3種類から好きな者が選べ、「そこにあるかもしれない」など、パチンコとは違う、本格的な良い曲だった。良い曲が流れれば、気分も高揚した。4時で辞めようとしたら、「193回までは当たりが来る可能性があるから、193回までまわしてください」と店員に言われた。結局5時で辞めて、なんと初めてのスロットで、19万4千円取ったのである。
それからは吉宗専門に打ち続けた。雑誌を買って、吉宗のルールも勉強した。そこで初めて吉宗は波が荒い台だと知る。普通はビッグでも350枚前後らしい。だが、他の台には一切興味は無かった。すると、さすがに負けが多くなってきた。一日の負けの平均が、5万円になった。パチンコでは3万円を上限としていた。だがのめり込んでいた私は、市内のパチ屋を転々とし、ある日「6時間で30万円勝ち」を体験する。これで私はすっかりパチスロの、いや吉宗の虜になってしまった。もうばからしくてパチンコなどできない。頑張って目押しも自分でできるようになった。つまり自力で「777」を揃えるのである。目押しが自分で出来るのは、誇らしかった。
吉宗で一回のビッグだと711枚コインが出る。コインは1枚20円だから、1回当たれば14220円である。これが連チャンする、いわゆる「天国モード」に入るとたまらない。辞めどきさえ見極めれば、一度に10万円以上勝てる。だが、のめり込んでしまっている私は、辞め時を考えず、時間いっぱいまでやってしまう。それに最悪な台の場合、天井の1260回まで回す羽目になる。大体1万円で役300回まわるから、4万円突っ込んで、はじめて当たる場合もある。しかも天井近くでレギュラーボーナスが当たったら、たまらない。負け確定だ。
良い台は、朝一に当たることが多いからと、私は朝、台を転々としたこともあったが、気がついたら5万円が2時間くらいで無くなっていた。だんだん金銭感覚が麻痺し、「あともう少し突っ込めば出る」「今辞めたら4万円の負けで終わるが、もう少しで当たれば負けは取り戻せる」と考え、一日10万円使う日が出てきた。それでも「取り返せる」と信じているからおかしい。10万円以上勝つことなど滅多にない。「5万円突っ込んで6万円とった」というようなことはあった。また「5万円突っ込んで4万円取り戻した」というようなこともある。だから一度パチスロをやったら、どっちにしろ徹底的に突っ込まないと、勝つか負けるかわからない。まさに博打である。そして、ほとんど毎日5万年失うことになる。
パチスロを始めてから、貯金はぐんぐん減っていった。ちなみに夫はと言うと、週末はやはり私と一緒にパチ屋に行く。夫の実家から500万円肩代わりしてもらっていても、私が行くならと、パチンコを辞めない。こうして二人でパチ屋に通い、貯金はすぐになくなった。貯金が無くなると、私は持っているクレジットカードから、初めてキャッシングした。あっさりお金が出てきたとき、私は
「ああ、これでまたパチスロが出来る」
と安堵した。そしてパチ屋へ向かった。
毎日毎日パチ屋通い。さすがに夫は
「そろそろ働いてくれ」
と言う。私もこのままじゃいけないと感じ、働くことにした。一応資格があるので、就職は一発合格である。ところが働き始めると、3日目くらいから苦しくなってくる。今にして思えばギャンブル依存症の禁断症状であろう。それでも37歳の時は、4ヶ月もった。が、人間関係などが、以前より辛く感じる。いつも怒られるんじゃないかと、びくびくしていた。そして仕事の集中力が、格段に落ちた。スピードにもついていけない。しだいに精神状態が悪くなり、出社拒否を起こし、退職となる。4ヶ月働けたので、家計に少しゆとりができた。だからまた「休養」と称し、パチンコ屋通いが始まる。そしてキャッシングして借金が増えるので、また働き始める。今度は一ヶ月位しか持たない。ぞじて再び退職し、パチスロ。この間就職と退職を繰り返すたびに、精神状態は悪化した。職場で行き詰まると夫に暴言を吐き、リスカする。私の心は回復しきっていないので、ストレスに弱くなっているのである。そのうえパチスロができないと、禁断症状で苦しくなる。それでも「働かなくては」と自分に言い聞かせ、再三就職を繰り返す。もはや何カ所就職したか忘れたが、少なくとも3年間で、10カ所は越えている。それで精神科医に「何とか働けるようにしてくれ」と頼んだら、「リタリン」が処方された。それでも働きたくても働けない日が続く。
ある日インターネットで「ギャンブル依存症」のことを知る。以降は次回に書く。~
パチンコにしろパチスロにしろ、往年の名機が続々出てきましたね。(笑)
ちなみに「リタリン」ですが、現在ある症状の方を除いては、処方されません。このときは、易々と処方してもらえました。リタリンを飲むと、3時間は精神的にやる気が起きて、楽だったのを記憶しています。ですが、依存度の高い薬で、知り合いに「よく入院しないで断薬できたね」と驚かれました。今処方されたら、すぐさま飲むことでしょう。