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地獄の日々

  ※2007/6/7


 私は夫が10年間嘘をついていたことで、完全に精神が崩壊した。


だが、今にして思えばそれだけではない。夫の嘘はきっかけに過ぎない。


そのときは夫に憎しみは感じなかったと思う。その辺の記憶が曖昧だ。

だが、いろいろなことに疲れていたところへ、夫の10年間の嘘と借金は、私の心を激しく痛めつけた。


 自分としては努力しながら一生懸命生きてきたつもりである。時間に余裕などなかった。25歳から35歳までは、ただ走り続けてきた。姑とのいさかいや、母との葛藤を抱えながら、子育てをし、仕事もしてきた。夫は確かに休みの日、家事を手伝ってはくれた。だが私はその都度夫に感謝の言葉を述べた。夫に嫌われたくなかった私は、夫にすら気を遣っていた。だから、お小遣いもたくさん渡した。夫の喜ぶ顔が、嬉しかった。夫の望む車も買った。職場で戦い、姑と闘っていた私は、かばってくれなくても、夫だけがこの世の味方だった。夫を愛していた。


 その夫がまさか私に嘘を10年間もつくなど想像できなかった。

虚無感。頑張っても頑張っても認めてもらえない虚しさ。認めてもらえないばかりか、非難される。家のことで何かあっても、姑から責められるとき、矢面に立つのは私だ。そういうとき夫は逃げてしまう。夫に憎しみはなかったが、この時点で私は理性を失っていた。唯一の味方である夫が、実は一番私を軽視していたと思った。もう疲れた。なんの気力も残っていない。娘のことを考えてあげる心のゆとりはない。ただ、生きているのが辛い。それで自殺を試みた。


 だが、本当に死ねたかどうか。

夫が犬の散歩へ行っている間、私はバスタオルを裂き、結んで長いひもを作った。そして酒で睡眠薬を10錠ほど飲んだ。朦朧とし始めたところで、天井のフックにバスタオルをひっかけ、首を吊ろうとした。


 だが、夫の犬の散歩はせいぜい30分だ。家のドアが開く音がしたから、早く首を吊らなきゃと思い、私が首を吊りかけたところへ、夫が部屋へ入ってきて、体を抱きかかえられた。


 死ぬ気はあった。だが夫が犬の散歩から帰ってくる時間に事を起こそうとしたのは、心のどこかで夫に見つけて欲しかったのかもしれない。実際、朦朧としているにもかかわらず、紐に首をかけたとき、足を宙に浮かせるのを何度もためらった。一瞬足が宙に浮くと、苦しくてすぐ諦める。怖い。自殺などそう簡単にできるものではないのだ。


 私は精神科に入院した。


 退院したあと、腑抜けたようになった。ただの寝たきりだ。子供が話しかけてきても、「うん」とか「そうだね」とか、相づちを打つのが精一杯であった。家事は夫がした。この頃夫は定時に仕事を終わらせ、帰ってきてから食事の支度をしていた。また運の悪いことに、地域の「環境整理係」が順番でまわってきた。この仕事は3つの公園の草むしりを月に一回シフトし、近所に日にちを知らせる回覧板をまわし、管理するというもの。手伝ってくれた人にはジュースを配るので、そのジュースを大量に買いに行く。草むしり当日は、3つの公園をまわり、ちゃんと草むしりが行われているか管理する。また、自分の家からも草むしり係をださなければいけない。なので、私はそのとき重い鬱だったが、なんとか草むしりに参加した。日々寝暮らしているので、ふらふらである。はっきり言って、そこにいただけだったかもしれない。

 草むしりが終わったら、土木現業所と町内会長に報告に行く。私たちはそれどころではないのに、役目を果たさなければならない。さらに我が家には犬がいる。ゴールデンレトリバーだ。朝晩散歩に連れて行かなければいけない。私はどうやっても行けなかった。そこでこれも夫が行う。地域の仕事、家事、犬の世話、私の世話、そして自分の仕事。夫が大変だったのは言うまでもない。だが、私はそれをずっとこなしてきた。だから同情はしなかった。


 この頃私は、夫が帰宅し、夜がふけると、狂ったように夫を罵った。

「私を舐めてたんでしょ!お義母さんからもかばってくれずに、子供が熱を出したときも、あんたは嘘をついて、パチンコへ行っていた。私から何もかも搾取して、自分はのうのうと楽をして生きてきたくせに!」

と、大声でわめきちらし、夫の目の前でわざとリストカットして見せたり、壁掛け時計やガラス類を床にたたきつけ、破壊したり、夫にものを投げつけて暴れた。夫が会社へ行ったら行ったで、

「死にたい。もう駄目だ。今から死ぬ」

などと、何度もメールした。

 夫に復習するつもりはなかった。ただ、本当に苦しくて、惨めで、生きているのが苦痛だったのである。こんな生活が半年ほど続いた。


 ある日曜日の夕方、私は睡眠薬を大量に服薬し、リストカットした。やはり夫が犬の散歩へ行っている間である。日々夫への恨みが増幅していっていた。ほどなく夫が私の部屋に入ってきた。私はすでに朦朧としていた。手首からは血がだらだら流れている。

 私は夫に「水、水が飲みたい」と言った。夫は水を持ってきた。だが起き上がれない。口のろれつもまわらない。夫は私を抱きかかえ、水を一口飲ませた。だが、ほんの一口飲んだだけで、私はむせた。そのときである。夫は声をあげて泣き始めた。「うっ、ううっ」と確かに泣いている。朦朧としていたので夫の表情はわからなかった。

 それから私は眠りについた。

 その日夫は私の両親を呼んだ。いろいろ話し合ったようである。そして夫の実家とも話し合い、私の両親と同居することになった。


 私は、そのときは既に母を許していた。とっくに自分の中では整理は着いていた。

私の両親は、家代として、月3万円と、2ヶ月に一度の年金の支給日に10万円だしてくれることになった。これで何とか生活していける。何せ家のローンと車のローンだけで月20万円である。その他夫の実家にも借金の返済をしていかなければならない。夫の借金は、夫の実家が清算してくれたからだ。子供の習い事は、3つさせていたが、1つにした。家庭教師のみである。だがこれも月6万円近い。だから両親が同居してお金を出してくれるのは、本当に助かった。


 私の両親との同居は思いの外、スムーズだった。私たち一家は2階部分がテリトリーとなり、1階は両親の部屋になった。もはや自分が一生懸命働いて建てた、城ではなく、両親の住まい仕様になってしまったが、そんなことはどうでもよかった。日々暮らすのに精一杯だ。

 私の両親は、夫をたてた。嫁と姑との関係とは違い、夫はちやほやされた。さらにお金は入り、家事は任せられる。夫はどんなに楽になったかしれないだろう。私は最初こそ母との関係にとまどったが、しだいに心を許した。母は家事をしてくれたので、私はただ寝ていればよかった。そのうち私はしだいに活気を取り戻し、再びパチンコに手を染める。~



 書いていて、非常に疲れました。と同時に夫を恨めしく思う気持ちがまだ残っていることに気づきました。人生がうまくまわっていれば、そう思わないんでしょうけれど、今私は働けない。働こうとすると、苦しくなる。そしてヘビーなパチンコ依存症です。

 なんか、あの日から、あまり変わってない自分が情けないです。
















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