CDS8
「可愛いキューピッドどもだ。防ぐだけで精一杯と見える」
千佳に魔族と呼ばれた男は、厭な笑みを浮かべながら左右に左手を振った。
先程柚希菜を襲った黒い光。
そのあり得ない黒く輝く妖しい光が、次々と千佳と柚希菜に襲いくる。
「大丈夫ッスか? 心配ないッスよ!」
柚希菜が左手を前に差し出しながら足下の女性に声をかける。
柚希菜の左手の先には、いつの間にやら光の輪がはめられいた。先程まで頭上で輝いていたそれを、今は手首にはめている。
そしてやはり手首の何処にも引っかかっていない。中空に浮くように、その手首の周りで光り輝いていた。
「あれは天使の輪です。防御能力がありますから。安心して下さい……」
千佳が同じく女性に声をかける。柚希菜の天使の輪が作り出す光の後ろに、まるで無防備で立っている。それでいながら少しでも相手の身を護ろうとしてか、女性の前に立ってその身をかばっていた。
「安心できるかどうかは、使う人によるッスけどね!」
「む? また油断して。柚希菜……」
「油断ではなく、自信ッスよ!」
柚希菜が一際声に力を込めた。その瞬間に光の輪が長大化する。輪の直径が倍程になるや、その光を増して黒い光の矢を更なる勢いで弾き返す。
「ほほう」
「見たッスか? 防ぐだけで精一杯とは、言わせないッスよ!」
魔族が感嘆の声を上げ、柚希菜が見るからに増長の声を上げる。
「オリャッ!」
柚希菜が裂帛の気合いとともにその左手を大きくふるった。
黒い光の矢がまとめて払われた。
「やるな」
その様子に魔族が満足げに呟く。
「まだやるッスか?」
「……」
柚希菜の挑発に魔族が薄く笑った。やはりおぞましい笑みだ。
「ひ……」
その笑みをまともに見て、腰を抜かせたままの女性が悲鳴を上げた。
「あれは魔族です。人の幸福に忍び寄り、その幸せを踏みにじることを生業にするもの達です……」
「……」
女性は千佳の声に応えない。応えられないのだろう。
「失礼な。そこの女が己の結婚に不安を感じていたようだからな。相談に乗ってやっただけだ」
「結婚を間近に控えれば、誰でも多少は不安に感じるもの。それを必要以上に煽り立てて、破談に向かわせるのがお前らの手だ」
千佳がキッと魔族を睨みつけた。日頃から半目な目。それは僅かにいつもより細くなっただけだが、この時ばかりは力強い光を放つ。
「いい目だ。名前を聞いておこうか?」
魔族と呼ばれた人にあらざるものは、冷たい笑みで静かに口を開いた。
「須藤千佳……」
「南柚希菜ッスよ!」
千佳が静かに答え、柚希菜がはしゃいで答えた。
「あたし達もいるわよ!」
その二人の背後から声がし、ムチ状のものが空を切る。
「ふん……」
魔族がそのムチを鼻先で難なくかわした。ムチは音を立てて後方に戻っていく。同時に漂ってきたのは鼻孔をくすぐる甘ったるい匂いだ。
「むむ! このバニラとショコラの匂いは! きたッスね!」
「ムチの方に反応しなさいよ……」
柚希菜が油断の限りを尽くしたように無防備に振りかえり、千佳はこちらは油断することなく視線を魔族から離さずに突っ込んだ。
「はーい。追いついたわよ」
「安堵。追いついた。安堵」
女優と見間違うような豪奢な雰囲気をまとった少女と、無表情な眼鏡の少女が千佳と柚希菜の背後からすっと現れた。二人ともキューピッドの姿だ。
「きたの……」
千佳が新しく現れた二人にやっと興味無さげに振り向く。
「きたわよ。もっと嬉しそうな顔をしなさいよ。思念で早く追いかけろって言ったのは、千佳の方でしょ? 相変わらず素直じゃないわね」
「ふん……」
「むむ。アタシは嬉しいッスよ。見学人が増えたッスからね!」
「あら。あたしは見学なんてまっぴらごめんよ。勿論戦うわ」
「興奮。戦う。興奮」
四人の天使が一列に並んだ。
「おっと、先程の天使どもか。そちらの二人も名前を訊いておこうかな?」
「あたし? あたしは霧島加奈子よ。よ・ろ・し・くね」
「警戒。長岡唯。警戒」
「あなたこそ名前は? ストーカー魔族さん……」
千佳が誰よりも一歩前に出た。その様子にやれやれと言わんばかりに肩をすくめて、加奈子が手に持ったムチを構える。
「力ないのに、前に出るの好きッスね、千佳ッチは」
「感心。リーダー気質。感心」
「ホント。フォローする身になって欲しいわね」
「うるさい。今はあいつの名前を訊いているの……」
「ふふ。ストーカーとは失礼だな。だが名前などないよ。私はただの魔族さ」
千佳のやはり静かな問いに、魔族がこちらもやはり冷たく答える。
「何を! ストーカー以外の何だって言うッスか? 結婚間近の女の人を追いかけて!」
「はは。それは失礼! では諦めておいとまするとしよう!」
そう叫ぶや否や、魔族が不意に宙を蹴った。
「逃さないッスよ!」
垂直に飛び上がったその魔族に、柚希菜が電撃のような光の矢を放つ。
だが――
「ははっ!」
魔族は柚希菜以上の機敏さでその光の矢を避け、あっという間に上空に見えなくなった。