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CDS3

「はーい! 何処にいるの?」

 駅前の人ごみの中にハスキーで艶のある声が響き渡った。

 軽くウェーブのかかった髪を振り乱し、背の高い少女が身を翻した。

 同時に周囲に振りまかれたのは、甘ったるいまでのこの少女の香りだ。

 市販のシャンプーや石けんの香りを振りまき、その中に一際鼻孔を魅了するバニラやショコラのいい匂いを漂わせている。

 誰もが振り向いた。その姿が目に入り、その声が耳に届き、その香りが鼻孔をくすぐると、誰もがぽぉっとその姿を追ってしまった。

 少女はキューピッドの姿をしていた。背中に羽を生やし、右手に弓を持っている。

 しかし何故か天使の輪はその頭上にはなく、代わりにその左手に持っていたのは光り輝くムチ状の何かだ。

 だがそのキューピッドのコスチューム以上に、少女はその本人の魅力で人々の視線を釘づけにする。

 声に負けず劣らずの艶やかな髪。細い眉毛。大きな黒目に、くっきりとした二重。睫毛は凛々しく天を突き、唇は紅く、歯は白い。それでいてノーメークだ。

 アゴは鋭く尖り、鼻はすっと高く伸びている。耳は優美なシルエットを見せているし、首はまるで装飾品を飾る台座のように厳かなカーブを描いている。

 豪奢と言っていい少女だ。

 老若男女――

 まさに全ての人々がまるで舞台女優に魅入るかのように、その少女を中心にとりまいた。

「あたしのキューピッドの力! 食らいたいって――魔族は!」

 だがその女優のような少女は、嗜虐に目を細めると不穏当な台詞を口にする。

「歓喜。見つけた。歓喜」

 その脇に立つ眼鏡の少女が無表情に何度も頷いた。その不自然なまでに真っ直ぐな視線が、駅前で異様な雰囲気を放つ男をとらえていた。

 男は――

「くくく……」

 厭らしい笑みを浮かべると二人を無視するかのように背中を見せる。

「逃さないわよ!」

 豪奢な少女が道路を蹴った。眼鏡の少女が無言で後を追う。

 男の背中が不意にうごめいた。何かタールでできた沼が沸き立つように、その背中から小さな陰のようなものが生まれでてくる。

「眷属ね!」

 豪奢な少女がムチをふるう。それは人ごみ激しいこの駅前で、放っていいような勢いには見えなかった。

 しかし少女は意に介さないようだ。人々の込み合う中へためらいもなくムチを走らせた。風を切ってムチがしなる。

 まるで持ち主の意思が乗り移ったかのように、ムチは自在にその身をくねらした。

「興奮。食らいなさい。興奮」

 眼鏡の少女が立ち止まるや弓を構えた。

 やはりその弓に矢はない。代わりに弓を構えると現れたのは光の矢だ。

 それは目を凝らさないと見えない程の細い光の線だった。

 少女は興奮と言う割には何処までも無表情に、触れれば折れてしまいそうなか細い光の矢を放つ。

 乱射だ。

 ハープでも奏でるように、眼鏡の少女は次々と弓を引いた。その度に間断なく光の矢が飛んでいく。

 かなりの速度だ。放った瞬間にはもう見えなくなっている。そして何処までも真っ直ぐだ。

 少女はその特性を知っているのか、人ごみ溢れ、また突然の騒ぎに混乱する人々の間を真っ直ぐ縫うようにその光の矢を放つ。

 ムチはくねりながら。矢は何処までも真っ直ぐに。人々の隙間を間一髪で縫って飛んでいく。

 矮小な黒い陰のようなものが、次々とそのムチと矢にその身を砕かれた。

 この魔族の眷属は形だけは『笑っている』顔を破裂させると、笑ったままで地面に落ちていく。

「ふふ」

 背中を見せていた男が軽く振りかえる。そしてその様子を確かめると、笑い声だけを残してかき消すように消えてしまう。

 ぞっとするような震えを伴い、その笑い声は耳に届いた人々の精神を不安にかき立てた。

「はーい。お騒がせしてご免なさいね」

 その人々の視線を一瞬でハスキーな少女の声が回収する。皆がその声にほっと胸を撫で下ろした。

 駅前での突然の騒ぎ。不可解な現象。

 何より心胆を寒からしめる男の嘲笑――

 だがもう一方の当事者であるにもかかわらず、その少女の声は人々の心を魅了した。

 それは内容でも理屈でもない。本能的な何かだ。

 華というでも言うべきものを、少女はその色香とともに振りまいて人々の心を惹きつけた。

「残念。逃げられた。残念」

 もう一人少女はやはり何処までも無表情だ。残念と言う割には何処からもその表情が読み解けない。

「まあ、いき先はわかるわよ。今、思念で連絡をとるから」

 女優めいた少女が何やら内面を見つめるかのように額に手をやり目をつむった。やはり同時にバニラやショコラの香りが漂う。

 それだけの仕草と振る舞いに、周囲の人間は釘づけになってしまっていた。

 先程までの騒ぎを忘れたかのように、少女が話す一言一句に耳を側立てようとする。少女の仕草はそれだけ人目を引いた。まるで演出家でもいるかのようだ。

 少女は誰もいない虚空に向かって語り出す。勿論携帯端末などを持っている様子もない。だがまるで誰かに話しかけているかのような口調だった。

「はーい、あたしよ、あたし。何? ちゃんと、名乗れって? いいじゃない。あたしとあなたの仲でしょ? いつそんな仲になったって? あはは、相変わらず生真面目ね。そうそう、魔族に逃げられちゃった。そっちにいったと思うからよろしくね。何? 暢気に話してないで、早く追いかけてこいって? あはは、あなたたち二人なら余裕でしょ。ん?」

 少女はそこで自分が思念で会話をする姿に人々が見入っていることに気がついた。

 まるで次のワンシーンを期待する観衆だ。観劇に耽る聴衆のように、人々はこのキューピッドの一挙手一投足に注目していた。

 少女はその様子に悪戯な笑みを浮かべると、

「よろしくね! 皆さんも、今日のことは忘れて下さいね!」

 思念の向こうの相手と、即席の観客に愛想と手を振りまいた。

 おおぉ――

 と通行人から喚声が上がり、

「呆気。そんな暇ない。呆気」

 もう一人の少女がやはり無表情にため息らしき息を吐き出した。

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