CDO13
「射って!」
「おりゃ!」
千佳が叫び、柚希菜が矢を放つ。
「――ッ!」
マドカはその巨大な光に目を見張った。弓を離れた光は矢というよりは一本の槍のようだった。しかも近づくにつれその大きさを増した。丸太のような光の矢がマドカの目の前に迫る。
「やる…… でも近過ぎ!」
マドカは距離が近過ぎてスピードに乗り切れない光の矢を、僅かに身をそらしてかわした。
「それに正確さに欠けるわね。さすがガサツちゃん。それとも、ヤケになった一撃?」
巨大な光が突風すら巻き起こして脇をすり抜ける。一瞬マドカの視界の半分が光に覆われた。
「だぁっ!」
マドカの視界が戻ると、光の矢に続いてキューピッドがその脇をすり抜けた。
「ふん!」
マドカはとっさに体を反転させる。
「もらったわ!」
自分に背中を見せて遠ざかって行くキューピッド。その背中に向かってマドカが左の手の平を見せつけながら叫んだ。
「ありったけの魔力を込めてあげる。天使の輪のないキューピッドなんて、ひとたまりもないわ」
マドカは黒こげになったキューピッドを想像してか、舌なめずりをした。
「背中ががら空きよ! ガサツちゃん!」
がら空きの背中を曝すキューピッドの背中に狙いを定め、マドカの左手が妖しい閃光を発した。
「どうなって……」
光助が痛む体をさすって呟く。ビルの屋上で体を起こし、とっさに辺りを見回す。
魔族が光助に背中を見せていた。光助など眼中にないようだった。鉄さくの上に乗り、魔優子達を見下ろしている。
電流の影響か光助の視界は少しぼやけていた。
「さて終わりだ」
魔族が左手を天に掲げた。魔力を左手に集中する。
「随分とコケにされた。仕事の邪魔をした報いを受けてもらおう。いたぶって殺すもよし。一息に殺すもよし。ふふん、気分がいいよ」
魔族の顔が満足げに歪んだ。
「終わり?」
光助は向こうのビルを見た。魔優子と蓮華がもがいている。足下には黒い粘液質な物体が絡みついていた。魔族の左手には、同じく黒い気のようなものが集まっている。
光助は身震いする。直感が危険を知らせる。生命の危機を感じさせる力が、魔族の左手に宿っているように見えた。
「させるか!」
三人ともやられる。いや魔優子がやられる。そう思った瞬間、光助は跳ね起きた。
自分でも意識せずにだろう、光助は叫ぶや否や魔族に飛びかかっていた。二メートルはある鉄さくに掴まり、無我夢中でよじ上った。
「ん?」
魔族は光助の叫び声に直ぐに気がついたのだろう。だが慌てもせずに振り向いた。
光助の天使の輪はもう力を失っている。天使の力を借りずに、人間程度がどうこうできる訳がないからだ。
「――ッ! 何?」
だが魔族は目を剥いた。一度光を失った天使の輪が光輝いている。
「まさか! 貴様! 自分で!」
「食らえ!」
光助が魔族の足を天使の輪で払った。
「光助!」
魔優子が光助の無事な姿を見て歓喜の声を上げる。
「きさま!」
魔族は自分の足を襲う衝撃にバランスを崩した。鉄さくの中へ、光助の上へ落ちてくる。
光助は屋上に背中から落ちた。魔族が光助の上に落ちそのまま馬乗りになる。服越しでも分かる、魔族の冷たい体。その命を感じさせない冷気が光助の全身に冷や汗をかかせる。
「人間。調子に乗り過ぎだぞ」
魔族の顔が光助に迫る。光助はとっさに天使の輪を突き出した。魔族の胸に押し当てる。
「グッ!」
魔族が上体をそらせた。胸から軽く煙が上がっている。
「魔優子ちゃん!」
蓮華が魔族を指差す。
「蓮華! どうしたら?」
「私は無理! 逆向いちゃってるもの! でも魔優子ちゃんなら!」
魔優子は蓮華の言わんとするところを直ぐに理解したようだ。魔優子が弓を慌てて構えると光の矢が現れた。
「くらいなさい!」
向こうのビルの方がやはり少し高い。わずかに上半身が見える魔族に魔優子が狙いを定めた。狙いが定まるや否や魔優子は矢を放つ。
「おのれ!」
魔族がとっさに身をかがめて矢を避けようとした。再度光助が突き出している天使の輪に、我が身を押しつけることになった。
魔族の胸に光助の天使の輪が押しつけられ、魔族の背中を魔優子の天使の矢がかすめた。
「――ッ!」
魔族が声にならない悲鳴を上げて床に転げた。
「今だ!」
光助は飛び上がった。魔族に馬乗りになる。形勢逆転だ。両手で掴んだ天使の輪で、渾身の力を込めて光助は魔族の体を押さえつける。
「ガッ!」
魔族が悲鳴を上げた。天使の輪の力が効いている。
「魔優子! 今だ!」
「光助! ダメ! 相手が見えない!」
弓を構えた魔優子が叫ぶ。魔優子の位置からでは上体を上げた光助の上半身は見えても、魔族の体は完全に見えなくなっていた。
「くそ!」
光助は魔族を見た。苦痛に顔を歪めている。しかしゆっくりとその手を天使の輪に伸ばそうとしている。
一応動けるようだ。天使の輪で押さえつけているだけでは完全ではないらしい。
「どうやったら締めつけられるんだ?」
光助が叫んだ。魔優子と蓮華を交互に見る。
「天使の輪って、さっきみたいに伸縮自在なんだよな! この輪でつかまえればいいのか? どうやったらいい!」
「光助くん! 残念だけどあなたには無理よ! 天使の輪とか矢とかは特別な物なのよ! あなたには物理的には扱えても、魔優子ちゃん達のようには扱えないわ!」
蓮華がさすがに焦ったように歯がみをしながら言う。
「でも、さっきは! 光が戻ったぞ! 俺じゃ、ダメなのか?」
「力が再度注入されたのは奇跡よ! 光助くんの思いが起こした奇跡よ! だけどそれ以上はさすがに――」
「この!」
魔族がついに天使の輪を掴んだ。力ないが押し返そうする。
「人間め!」
魔族が牙を剥いた。
天使の輪の光が弱くなる。一度は取り戻した天使の輪の光が、明滅を繰り返し出す。
「ヤバい! もたないぞ!」
光助は天使の輪の光が弱くなる度に、かなり押し返される。完全に輪が光を失えば跳ね返されるのは目に見えていた。
「光助!」
魔優子が叫ぶ。悲痛な叫び声だった。
「この!」
光助が両手で掴んだ天使の輪で魔族を押し返す。魔族との力比べの様相を呈してきた。
だが光助の腕が小刻みに震えている。関節が軋んでいる。筋肉が強ばり出している。
「やべ…… もたないか……」
自信の腕の限界が近いという現実が、否が応でも光助に突きつけられる。
天使の輪の光が時折弱くなり、相手の力が一瞬上回る。魔族に度々押し返される。
「光助!」
魔優子の声が光助に聞こえる。聞いたことのないような叫びだ。泣いているのかもしれない。
「魔優子!」
光助が顔だけ上げた。否が応でも魔優子の姿が目に入る。キューピッドのコスチュームを着た魔優子だ。
「何よ……」
「何だ、その…… 似合ってるぞ!」
「何よ! こんな時に何を言ってるのよ?」
「え、その…… ずっと言い損ねてたし…… 最後に……」
「最後って何よ! バカ!」
「バカって何だよ? 本当に思ってるって、その天使の姿も、羽も矢も――そうか!」
光助は思いたように勢いよく顔を上げた。油断なく右手を上げて魔優子に振った。
「魔優子! 矢だ!」
「えっ……」
「矢をくれ!」
「――ッ! 殺す!」
魔族が体をよじって暴れた。光助の機転に危険を察したのだろう。
光助が右手を天使の輪に戻した。もう一度両手で押さえにかかる。
魔族が更に暴れた。もう両手でないと押さえられない。
「魔優子! 早く! 矢だ!」
「でも…… それって――」
魔優子は自分の弓を見た。そして光助を見る。光助の上半身しか見えない。
「それって、何処を狙えって言うのよ!」
上半身しか見えない光助の姿。その胸元に目を吸い寄せながらも魔優子は困惑気味に叫び上げた。