CDO7
「魔優子ちゃん。とにかく魔族が絡んだら、まともな恋愛とは言えないわ。まずは魔族を追い払うことよ。その後はどんな結果が待っていようとも…… 受け入れないと」
蓮華が力なくうつむいた魔優子に話しかける。
「この」
光助は空中で暴れた。マドカに手を離されたら離されたでそれは危険だ。だがそうだと分かっていても、何処まで連れて行かれるのか分からない恐怖が先に立ったのだろう。
しかしマドカはいくら暴れようとも光助を離さない。
「何だ、これ? まるで万力じゃないか?」
「ふふん。私が魔族だって、信じてくれたかしら?」
二人は十メートル程浮いたところでやっと止まる。通行人がざわめいた。
蓮華は女魔族を見上げた。
「魔族は逃げる気ではないようね。でもこちらも、いつまでも地面にいる訳にはいかないわ。その為には魔優子ちゃん――」
「……」
「しっかりして。そんな様でどうするの?」
「だって……」
「よく考えて魔優子ちゃん。まだ光助くんの気持ち聞いてないでしょ? 確かめてないでしょ? ちゃんと気持ちは伝えあわないと、ね」
「気持ち……」
魔優子は光助に向かって顔を上げた。だが真っ直ぐに顔を見られない。光助も同じようだ。
「気持ち? 何言ってんの今更。手形は――証拠の文書は、ここにあるじゃない。カフェでのあの日。そう、五條光助くんが真っ赤な顔で苅田英奈を見たあの日! 家に返ったら鞄の中に入っていたそうよ。苅田英里奈はそれだけでもう、運命感じまくり! 二人は運命の赤い糸で結ばれているのよ。他人の幸せの邪魔しないでくれる!」
マドカはとても嬉しそうだ。光助の首に手をかけたまま空中で飛び跳ねている。
「『赤い糸』とか、『他人の幸せ』とか…… 魔族が言うか……」
「何? 悪い? 半目ちゃん?」
こちらを睨みつける千佳にマドカは軽薄な笑いを浮かべて応える。
何を言われても平気。気にしない。正義感が空回りしている目の前のキューピッドが哀れで仕方がない。顔がそう物語っていた。
「そ、そいつが、そんなに…… ももも、もてる訳がない――じゃない!」
魔優子が気丈にも声を上げた。そして言い切ることに失敗した。
「……」
蓮華が魔優子を見た。呆れている。千佳も柚希奈もマドカも、呆れて魔優子を見ている。
キューピッドと魔族の気持ちが奇跡的に一致した。
「あなたがそれを言うの? 眉毛ちゃん?」
「なっ?」
驚く魔優子の横で、蓮華が笑いを押し殺していた。
「何ならそのキューピッドの矢で射ったらどう? 苅田英里奈を連れてくれば五條光助くんの目は、彼女に釘づけになるはずよ」
「何だ? 釘づけ?」
「あら知らないの、五條光助くん? あのキューピッドの矢で胸を射られると、意中の人から目が離せなくなるのよ。卑怯な力よね! で、あなたなら苅田英里奈に釘づけ! 見てらんない程見つめ合って結構よ! 私が許すわ!」
マドカが高らかに笑い出した。
「俺は別に…… 苅田のことは……」
マドカの笑い声にかき消されそうになりながら光助が呟く。
「へっ?」
魔優子が信じられないといった顔で光助を見た。光助は顔を真っ赤にしている。光助は魔優子と目を合わさないようにか顔をそらせていた。
「何? 五條光助くん?」
「だから…… 俺は別に苅田に気なんてない……」
光助は魔優子の顔が真っすぐ見られない。自分で地雷原に踏み込んだようなものだ。『じゃあ誰に気があるのよ?』とでも聞かれたら、どう答えていいのか分からない。
「じゃあ誰に気があるのよ?」
マドカが訊いた。恐れていた台詞そのままだ。まるで見透かされているかのようだ。
「そ、それは……」
「あなた昨日のカフェで苅田英里奈を見て、顔を真っ赤にしてたそうじゃない。本人から聞いたわよ。苅田英里奈はあの日、家に帰って鞄を開けてみたらこの手形が入っていたんだって」
「――ッ!」
魔優子の心臓が強く一拍する。
「あの時だ……」
魔優子は胸が締めつけられたのか、その胸元をとっさに両手で押さえた。そのまま苦しげな表情でうつむいてしまった。脳裏に浮かんでいるのは、昨日英里奈を見かけて真っ赤になっていた光助だろう。
「あれが恋する顔じゃなくてなんなの? あんな思わせぶりなことしたら、約束手形が振り出されて当然よ。男なら責任取りなさいよ」
マドカが鼻で笑った。
そしてちらっと、手形の受取人――義務を受ける人の名前を盗む見する。その欄は無記入だった。
「ま、いっか。無記入でも手形は通用するしね…… 教えてあげる義理はないわ……」
マドカが一人でほくそ笑む。
「あれは…… 苅田を見て赤くなったんじゃなくって…… その、眉っ娘が……」
「へっ?」
光助の口から自分の名前が出て魔優子が顔を上げる。
「何? 聞こえないわよ、五條光助くん!」
「何でもねえよ!」
「あっ! ひょっとして、あの娘なの?」
マドカが不意に地面を指差す。真っ直ぐ伸ばされたその指に魔優子の心臓は破裂しそうになる。
だが――
「あたしッスか?」
「えっ?」
マドカに指を差された柚希菜が、暢気に自身も指を差しながら聞き返す。
そんな柚希菜を魔優子は驚きに眉を上げて見た。柚希菜が指差される意味が分からないのだろう。
「黙っていれば美人とは、よく言われるッスよ。でも黙ってるなんて、できないッスね。あと、デートはいつも必ず甘いものコースでお願いするッス。映画よりパフェ。夜景よりチョコ。甘い口づけよりも、甘い口溶けッス! ぶっちゃけ色気より食い気ッス! それでもよければ、おつき合いも――」
「ち、ちが……」
「違うの?」
マドカがおかしいわねと言わんばかりに、小首を傾げた。
「傷つくッスよ!」
特に傷ついた様子も見せず柚希菜は嬉しそうに笑う。
「じゃあ、あっちの半目ちゃん?」
「今日が初対面よ……」
次に指を差された千佳がすごみを利かせてマドカを睨み返す。突然の話の展開に調子に乗る柚希菜を黙らせるのを忘れた。その分の怒りもマドカにぶつけているようだ。
「ちょ、ちょっと……」
魔優子は千佳とマドカを何度も交互に見比べてしまう。自分が柚希菜や千佳より、後回しにされる理由が分からないのだろう。
「何よ。あの娘も違うの? 分かった。面食いね光助くん。あのシンメトリーな美人ちゃんね」
「……」
指を差された蓮華は、黙ってマドカを睨みつける。殺意すらこもっているかのようだ。
「おお、こわ…… 怖いわあなた。まるで人の間に入れられるのが、不都合みたいね……」
マドカが身震いをする。蓮華の気迫に怯えたようにわざとらしく大きく身震いし、それでいて顔に恍惚の笑みを浮かべる。
「いいわ…… 人間を超えたものの敵意。強烈な負の感情ね。歓喜に溺れそうよ……」
「何よ! 適当に指なんか差しちゃって!」
「適当? 何言ってんのよ、眉毛ちゃん。ちゃんと可能性の高い順に指差したわよ」
「なっ?」
「でももうネタ切れね。この中には、恋人候補なし」
「ちょ…… 一人残ってるじゃない!」
「え、何? 自分だっての? 眉毛ちゃん?」
「えっ? そ、それは……」
「どうなの五條光助くん? 眉毛ちゃんなの? 光助くんの好きな娘って?」
「えっ? ちが…… 違う違う! 眉っ娘は、ただの友達……」
光助はその指摘に、思わず激しく首を振ってしまう。
「ほら! やっぱりそうじゃない!」
「……」
胸が痛んだのか、魔優子が胸元を押さえて顔をそらした。
「あっ! 眉っ娘…… その……」
「さあ、五條光助くん! そのプレゼント。苅田英里奈に届けにいきましょう!」
「――ッ」
その言葉に魔優子の胸がまた痛む。魔優子は痛む胸に手をやり思わず光助を見上げた。
相手を見ていたのは光助もだった。
その光助の目に飛び込んでくる相手の不安気な顔。
「――ッ! 違う! このプレゼントは――」
光助が叫ぶとマドカの手の中で突然黒煙が舞い上がった。