SIV4
「はーい!」
「えっ? 何!」
陽気な女性の声に、加奈子の驚く声。それが公園内に響き渡る。
加奈子の矢が高次の胸の直前で止まっていた。声はその高次の頭の上から聞こえた。
見るとビジネススーツに身をまとった女性が、光の矢を受け止めている。
「えいっ!」
女性はふざけた口調で矢を握りつぶして消滅させると、これまた明るく両手を振る。矢を握り潰した右手が小さく煙を上げていた。
「熱っち! 熱っち!」
女性はこれまたふざけたような声を出しながら、両手を叩いて煙を消した。
「小百合さん! こっちへ!」
「驚愕。あなたは魔族。驚愕」
天使の矢を空中で受け止めるなど、人間技ではない。
加奈子と唯は心底驚いているが、唯の驚きはやはり外部に伝わらない。
「君は新入社員の?」
高次が驚いて女性を見た。
「高次さん、違います。魔族です」
加奈子が弓からムチに武器を持ち替えた。
「えっ、天使さん? でもこの娘。この間うちの会社に入ってきた新入社員ちゃんですよ。目も鼻も口も耳も、髪もスタイルも話し方も僕の好みのど真ん中。見間違うはずが――」
「高次! 何を言ってるの!」
「ウヒャ!」
「そうよ。お・ま・た・せ」
魔族が高次の背中に回った。甘えるように肩から胸の前へ手を回す。
「なっ! 離れなさいよ!」
小百合が顔を真っ赤にして叫んだ。思わず前に出ようとするところを唯に腕を掴まれた。
「何で? どうして? 私の方がこの人のこと、あなたより分かってあげられるんだから」
魔族は挑発的な笑みを小百合に向ける。
「何ですって!」
小百合が叫ぶ。怒りのあまり血管が額に浮き出た。
血管が皮膚を盛り上げる音まで、聞こえてきそうな形相だった。
「それとこれ苦手なの。私の彼を束縛しないで」
魔族が天使のムチを指で弾いた。加奈子が縛りつけた天使のムチが砕けて消えた。
「――ッ! あたしの自慢のムチが!」
加奈子が驚きに目を見開く。
「彼ですって!」
「ほら。すぐそうやって怒る。彼、愚痴ってたわよ。僕の彼女は嫉妬が激しいって」
魔族は高次のアゴに手をやった。優しくなでる。高次は思わず頬が緩んだ。
「高次! 何ニヤついてるの!」
「ハイッ!」
「ねぇ、あのヒステリーさんが――」
「何ですって! 誰がヒス――」
「例の梓さん?」
「なっ? アズサさんって誰よ! 高次!」
小百合が一際目を剥いて高次を睨みつける。
「ち、ちが…… 違うよ……」
高次の顔の筋肉が凍りつく。そして視線を無意識に小百合からそらした。
「じゃあ。キャサリンさん? 志保子さん? 多佳子さん?」
「えっ? ちょ、ちょっと…… 新入社員ちゃん……」
「奈緒美さんだったかしら?」
高次の言葉を無視し、魔族が小首を傾げながら訊く。
「なっ! 高次! どういうことよ?」
「ち、違う…… よ……」
「えっ? 違うの? 瞳さん? 恵美さん? 友紀さん? 里歌子さん? 和香さん?」
「何人、名前が出てくるのよ!」
小百合が力一杯前に踏み出す。自分以外の名前がゾロゾロと出てくるのに、肝心の小百合の名前が出てこない。一発引っ叩いてやるべくか、肩をいからせて前に出ようとした。
「懇願。落ち着いて。懇願」
小百合を抑えていた唯は足を思いっきり踏ん張った。だが、ずるずると前に引きずられそうになる。公園の砂地に唯のカカトがズブズブとめり込んでいった。
「お、落ち着け! さわ…… あっ!」
「『さわ』? 『さわ』ですって?」
その高次の言い間違いに小百合が固まる。言葉の語尾が苛立にうわずっていた。
「さささ、さわ、さわ、爽やか小百合……」
「――ッ! 咲和子さんね! まだあの娘とも切れてないんだ!」
「落ち着け小百合! ここ最近は会ってない! ホントだ! 信じろ!」
「最近? 最近ですって? へー…… 一年以上前に、手を切ったとか言っておいて…… 『最近は会ってない』ですって? へー……」
「いや…… その……」
「あはは。いいわね。楽しいわ」
魔族が嬉しそうに高次に頬を寄せる。
それだけで高次は、今の立場を忘れて顔が緩んでしまう。
「この……」
小百合が怒りに震えた。
「……」
加奈子は油断なく魔族を見つめた。魔族は加奈子の天使のムチを難なく消滅させた。油断できる相手ではない。
「嘆願。落ち着く。嘆願」
唯は無表情なりに力を込めて怒りに震える小百合を押さえていた。
「何事?」
その三人の背後から、不意に蓮華の声が聞こえた。
「安堵。蓮華きた。安堵」
唯が蓮華に振り返る。
「きたわよ。何か嫌な予感がしたのよ。それに、元よりSIV案件。魔優子ちゃんの反応が見たい。もとい意見が聞きたいもの」
「何で私の意見が必要なのよ!」
「歓喜。やっと会えた。私は長岡唯。よろしく。歓喜」
唯が魔優子の剣幕をまるで気にせず話しかける。
「えっ? そうね。よ、よろしくね」
魔優子は唯の口調に戸惑ったのか、慌てた様子で何度もうなずいた。
「あたしは霧島加奈子ね。よろしくね、新人さん」
「どうも」
「あら、大人数ね。私、大ピンチ」
魔族が嬉しそうに笑う。不敵な笑みで、四人に増えたキューピッド見回した。だが言葉程は危機とは思っていないようだ。
「ふーん。やっぱり魔族が絡んできてたんだ。嫌な予感が当たったわ」
「魔族って何よ? 前も言ってたよね?」
「人の幸せを踏みにじるものだよ。知っておいてもらいたいけど、魔優子ちゃんが相手するにはまだ早いわ。ここは加奈子達に任せて」
「任せて蓮華。あの魔族縛っていいよね?」
加奈子が舌なめずりをしながら訊いた。左手を高々と上げるや、手首に光の輪が現れた。
「天使の輪? これって、自由自在なの?」
「そうだよ魔優子ちゃん。天使の輪は天使の矢と同じく、人の思いが光となし形をなすもの。それが加奈子の手にかかると――」
「ふふん」
加奈子が蓮華に応えるように不敵に笑う。
「やっ!」
そして一気に加奈子は左手をふるった。天使の輪が一際輝いて一瞬加奈子の姿が見えなくなる。次の瞬間まるで突然舞台に現れたアイドルよろしく、光のムチを持った加奈子がそのムチを大地に叩きつけていた。
「へ? ムチ? 天使のムチ? 何それ?」
「ふふん。今に分かるわ、魔優子ちゃん」
「はーい、覚悟なさい! 魔族さん!」
「加奈子、慎重にね。あの魔族。彼氏さんに甘えている振りをして――」
蓮華が魔族の手元をスッと目を細めて注視する。魔族は体を預けるように、高次の背中にしな垂れかかっている。そのままアゴを優しく撫で摩っていた。
「あのアゴにやった手を、下手をすればノドにやりかねないわ」
「えっ、蓮華? あの人、人質ってこと? どうしたら?」
「でも、本人は自覚なさそうね」
そう、魔優子が驚き加奈子が呆れたように当の本人は頬をこれでもかと緩めていた。
「高次! 何暢気にニヤニヤしてんの!」
「ハイッ!」
「まずはこの状況をなんとかしないとね」
蓮華がチラッと加奈子を見た。
加奈子は蓮華に応えるように、嗜虐的な笑みを浮かべた。
「お仕置きね」
加奈子は光のムチを地面に打ちつけた。乾いた打撃音とともに土煙が舞い上がる。
「歓喜。加奈子。カッコいいわ。歓喜」
「モチよ。お・ま・か・せ」
唯の言葉に加奈子が嬉しそうに応える。ハスキーなその声が全員の耳をくすぐった。
「どっちが魔族か分からないわね……」
加奈子の嗜虐の笑みを見て蓮華が呟いた。
「イヤンッ! 褒めないで!」
「呆気。褒めてない。呆気」
「えっと、大丈夫なんだよね? 皆真面目にやってるんだよね?」
魔優子は自分より経験豊かな三人三様の様子に、一抹の不安を感じたのか遠慮がちに呟いた。
「あら…… ゾクゾクするわね……」
そして魔族は挑発的な笑みを浮かべてキューピッド達を見回した。