SIV2
霧島加奈子はゾクゾクしていた。
「ねえ。唯。ゾクゾクしない?」
加奈子はチームエンジェルのパートナーである、長岡唯にハスキーな声で同意を求めた。自分で自分の両肩を抱き、自慢の軽くウェーブのかかった長い髪をわざと振るわせる。
「困惑。その性癖。困惑」
唯が無表情に応える。
「ええ、何で? 天使の矢より大好きな、天使のムチが使い放題なのよ。矢を射つよりも、羽で飛ぶよりも、私はこの天使のムチが大好き。縛りつける度にゾクゾクするわ」
「疑問。天使はムチなんて誰も使わない。疑問」
「いいじゃない。常識に縛られるのは大嫌いよ。非常識に縛るのは好きだけどね。ああ、やっぱりゾクゾクするわ」
加奈子がゾクゾクと言う度に身を震わせた。同時に辺りにいい香りが漂う。トリートメントやバニラの匂いだ。
加奈子は鼻孔をくすぐる香りを振りまきながら、恍惚の表情を浮かべ自分の感覚に酔いしれていた。
「軽蔑。ゾクゾクなんてしない。軽蔑」
唯が首を振って答える。
「えーっ! がっかりー!」
「羞恥。人前。羞恥」
加奈子とは対照的に唯は表情が読めない。首を振ってずれてしまった眼鏡を直そうと、手を目の前にやった。ほんのわずかなズレだった。
「あの…… 天使さん達……」
その加奈子と唯の前で一人の男性が地面にお尻をついていた。光のムチで縛られている。
ここは駅近くの公園。男性は両腕と胸を一緒に縛られていた。加奈子の天使のムチだ。
唯がやっと眼鏡から手を離して無表情にその顔を見下ろした。
「感激。まるで時代劇。感激」
無表情だが感激しているらしい。
「はは……」
男性が愛想笑いを自分の隣りに立つ女性に向ける。
女性は怒りが押さえ切れないといった感じで、苛立たしげに足を踏み鳴らしていた。腕を胸の前で組み、足のリズムに合わせて指を叩いている。
「さてどうしますか? 織田小百合さん?」
唯がやっと眼鏡の位置を直し終わったので、加奈子が目の前の依頼主の女性に訊いた。
「……」
小百合と呼ばれた依頼主の女性は答えない。怒りのこもった目で目の前の男性を見下ろしている。
「あはは。お怒りごもっともです。何といってもSIVですからね」
加奈子は苦笑いを軽くして呟くと、小百合が口を開くのを待った。
蓮華はSIV――ストラクチャード・インディペンデンス・ビークルと言ったが、どう言葉を変えても本質は変わらない。
した方とされた方の立場は、目の前の二人が明確に示していた。裁く者と裁かれる者。SIV案件――浮気においての二人の立場は明白だ。
「興奮。お裁きお裁き。興奮」
唯が何度もうなずく。無表情だがどうやらこの状況を楽しんでいるようだ。
「ずっと縛っていても、あたしは楽しいですけど」
「あは、天使さん。気が合いますね。あなたになら、僕も縛られていた――」
「高次!」
「さ、小百合! 話し合おう…… なっ!」
高次と呼ばれた男性は、弱々しく呟くと少しでも逃れようとしてか体をそらした。勿論無駄な抵抗だった。
「やっちゃって下さい……」
小百合の声が陰気に辺りに響く。怒りが抑えられないのだろう。
聞けばもうつき合ってから、何回目の浮気騒ぎか分からないとのことだった。
「では、彼氏さん。井川高次さん」
「はい……」
「聞けば会社の新入社員さんに、ちょっかいを出しているらしいですね」
加奈子が妖しく微笑む。豪奢な美少女の嗜虐的な笑み。高次はその迫力にか、ごくりと息を呑んだ。
「あはは、人聞きが悪いですね。僕は単に新人さんに、優しく仕事を教え――」
「高次! 聞いたわよ! 必要以上に馴れ馴れしくしてるらしいじゃない?」
「そりゃ、小百合。あれだ。ほら、何だ」
「何よ?」
「何だろう?」
「キーッ! やっぱり下心なんじゃない? いい? 私がこの仕事を依頼したの。場合によってはかけてあるCDSだって、清算する覚悟なんだからね!」
「お前の為に、万が一に備えてかけてやった保険なのに。ひどい仕打ちだ」
「異常な保険料の高さに、いつかこうなるんじゃないかと、私は薄々感じてたけどね」
「ひどい! 助けて、天使さん!」
「失礼。これもお仕事ですので」
加奈子が弓を引いた。加奈子は左利きのようだ。魔優子や蓮華と違い、右手で弓を持ち左手で弦を引いていく。
「この期に及んで! また女の子に媚を売って! 観念なさいよ!」
「てなわけで――やっ!」
加奈子が矢を放った。
天使の矢よりムチが好きな加奈子でも外すような距離ではない。矢は真っすぐ高次の左胸に突き刺さる――
「――ッ!」
はずだった。