SIV1
ストラクチャード =構造化された(つまり本能的なのでつい仕方がなく)
インディペンデンス=独立している(それはそれこれはこれ的に)
ビークル =乗り物的事象(ついつい乗ってしまうお話)
「ふっ! 二股!」
魔優子が目を白黒させた。眉がこれでもかと持ち上がっている。
「そっ! 二股!」
「嬉しそうね。愛由美」
嬉しそうに手を叩いて魔優子に応える愛由美を、蓮華がこちらも嬉しそうに見た。
「もちよ、蓮華先生! この案件に一番理解があるのは、この愛由美ちゃんのはず! 何でこの愛由美ちゃんが、内勤なの? 不条理よ! 理不尽よ! 不可解よ!」
「そんな反応だから、外勤は任せられないのよ」
「きーっ!」
「それに、これはれっきとしたキューピッドデリバティブに関する案件。SIV――ストラクチャード・インディペンデンス・ビークルって呼んで欲しいわね、愛由美」
「いいじゃない! 二股――これ程股を射た。もとい、的を射た言葉はないわ! キューピッドなら尚更よ!」
「もう、愛由美はふざけすぎよ」
魔優子が眉をひそめた。
「だって、スキャンダルの匂い! ああ! できれば愛由美ちゃんが担当したい! 二股なんて、現場を見ずに何を語れと言うの?」
愛由美は自分の肩を抱きしめ恍惚の表情で言い放つ。
「それにしても、二股って……」
魔優子は周りを見回す。嬉しそうな顔の蓮華に愛由美。
そして背の低いマゲの少女が一人。こちらは話題に加わるまいとしてか懸命に視線を逃していた。
「えっと……」
「笹竹です。笹竹那奈」
マゲの少女が魔優子に振りかえって微笑む。
「笹竹さんて、確かうちの学校の五組の人よね? このバイトって、同じ学校の子で回してるの?」
「そうだよ、魔優子ちゃん。Aチーム――チームエンジェルが一組の霧島加奈子さんと、九組の長岡唯さん。Bチーム――チームブライドが七組の須藤千佳さんに、南柚希菜さん。そして三組の私と、魔優子ちゃんがCチーム――チームキューピッドって訳。それと、同じく三組の愛由美に、五組の那奈ね。二人は内勤で私達のバックアップ。この八人全員をうちの学校からとってるわ。我がラクシュミ株式会社は、バイトの採用に二股かけたりしないの」
「また二股って。もう。人がせっかく話をそらしたのに」
魔優子がプッと頬を膨らませる。
「そらしたのが、丸バレだからだよ」
「ぐ……」
「ああ! 二股! SIV案件! ハチ! どう思う?」
「那奈です。ハチとか、キュウとか呼ぶの止めて下さいよ」
「SIVはキューピッドデリバティブ市場にとってとても重要な問題だよ。見逃せないの。いわゆる簿外債務なんだよね。恋慕の慕で『慕外債務』とも言うけど、まさに恋愛慕情を裏切る行いなんだよ。本命以外でいい思いをしようとする行為だからね。本命への恋愛なら当然発生するであろう義務や責任が、SIVだと表に出てこないしね。フェアじゃないんだよ。本来誰にでも見れば分かる義務や責任――債務が、隠されてしまうからね。上手くいっているうちは、本命以外でも美味しい思いができるしね。でもね本命とは別の恋愛だけど当然相手はいるから、それなりに恋愛債務と言うべきものが発生するわ。そして下手をすると、他の人には分からないうちに債務が膨らんだりするの。そもそも皆表に出したがらないしね。仮に損失があっても、表立っては分からないことが多いんだよね……」
蓮華が最後にわざとらしく表情を曇らせる。困った話よねと言外に言いたいようだ。それでいて本当に困っている顔には見えない。
「恋愛債務って何よ?」
「それはね、魔優子ちゃん。今度おごるねとか。君だけだよとか。君とは真剣なんだとか。恋愛に関して相手にする約束のことだよ。これを簿外債務は本命以外に約束するんだよ」
「ななな……」
「まあ確信的にしている人も多いかな。恋愛債務のとばしだよね」
蓮華がわざとらしい困りが顔をやめ、一転して楽しそうに言った。
「蓮花先生! 愛由美ちゃんはどちらかと言うと、SPCの方が表記として好きです!」
愛由美が満面の笑みで、手を挙げて発言する。
「SPC?」
魔優子がまた新しい単語に首をひねる。
「SIVはSPCの一種なの。まあ、単語に厳密な定義はないんだけど……」
蓮華がニヤッと笑って愛由美を見る。もちろん愛由美はいい笑顔でそれに応える。
「……」
那奈が真っ赤になった。その赤い顔を見られないようにか力一杯うつむいた。かかわりたくないのだろう。その姿は元の背丈と相まってかなり小さい。
「何よ那奈? 真っ赤になっちゃって……」
魔優子は単語の意味も、那奈が真っ赤になる理由も分からない。眉間に眉が寄る。
「SPCは『スペシャル・パーポーズ・カップル』の略よ。魔優子ちゃん」
「はい?」
中央に寄せられていた魔優子の眉が、嫌な予感を感じとったのか固まってしまう。
「はい先生! 『特別目的カップル』の意味です!」
愛由美がまたもや手を挙げて元気よく補足した。
「なっ? 何なのよ!」
「何って…… そりゃ…… 特別な目的の為だけに、文字通りくっついちゃう――」
「なっ? 何よそれ!」
「……」
那奈はもう完全に小さくなっていた。今だけは自分は小さくてよかったと思っているのかもしれない。
「何よマユ! 興味ないの? ドロドロだぞ! 掴みあいだぞ! 醜い争いだぞ! SIVに、SPC! そう『特別目的カッポー』! 愛由美ちゃんなんか、どれ程待ち望んだことか! ところで『特別な目的』って何だろうね? ねえ、マユ?」
「し、知らないわよ!」
「だけどこれは世間話じゃないわ、魔優子ちゃん」
「何よ、蓮華?」
「仕事の話ってことよ。SIV――ストラクチャード・インディペンデンス・ビークルと、SPC――特別な目的の為のカップル。ちゃんと覚えていてね」
「で、でも……」
「それに債権者同士が鉢合わせになると…… 楽しいわよ……」
蓮華が愛由美に向かって笑みを向けた。
愛由美が笑顔を返す。こういう蓮華の下世話な話は、愛由美がいつも相手をしてくれる。
「債権者同士の鉢合わせ――人、それを修羅場と呼ぶ!」
愛由美が芝居がかった口調で、実に嬉しそうに叫び上げた。
「しゅ、修羅場!」
魔優子は顔を真っ赤にし、これでもかと眉を持ち上げてこちらは悲鳴めいた叫びを上げた。