CDS10
「バカバカバカバカバカバカバカ! キャーッ! バカッ!」
翌日曜日の早朝。魔優子が怒りに任せて身を翻した。自身が空気を切り裂く音が魔優子の耳をつんざく。
「何処が素敵な仕事よ! キャーッ!」
そう、魔優子は怒りに任せて悲鳴を上げていた。
「キャーッ! てか、痛いって!」
魔優子は全身をアザだらけにしながら眉毛を吊り上げる。
全身全霊の抗議を示す為にか、両手を振り上げグルグルと振り回した。否が応でも、その両手のアザが魔優子の目についた。
「特訓なんて、聞いてないわよ!」
魔優子は全身を見回す。
アザだ。腕以外も全身アザだらけだ。そこら中が赤くなっている。
「魔優子ちゃん? もう降参?」
蓮華の嬉しそうな声が、壁にかけられたモニター越しに聞こえた。
「うるさい!」
「あはは! それっ!」
蓮華が左手の指を鳴らした。その指の音に応えるかのように、魔優子の周りに光の球が無数に現れる。
「ちょっと! 蓮華! こんなに相手できる訳ないでしょ!」
その様子に魔優子が悲鳴を上げた。その悲鳴は周囲にこもったようにこだましながら響き渡る。どうやら魔優子は地下空間にいるようだ。
「何の仕打ちよ、これは? 何よこの光の球は? この訓練、訳が分からないわよ!」
そう魔優子は地下施設で光球を相手に訓練をしていた。
ラクシュミ株式会社が入るビルの地下。日曜日の朝魔優子が出勤すると、蓮華が満面の笑みで魔優子をそこに連れていった。
それは地下に設けられたキューピッド業務遂行の為の施設だった。
まるで警察署か消防署の司令室のようだ。
市内を監視するモニター類。指示を出す無線機――蓮華は思念機と呼んだ――や、警告用の赤ランプ、果てはレーダー装置。
蓮華がここは『オペレーションルーム』だと嬉しそうに魔優子に告げた。そう、そこには何かの作戦を発令するのに、十分な設備が整えられていた。
その施設では背の低い一人の少女が、
「はわわ。あわわ」
とうろたえながら機械類を一人で操作していた。
聞けば愛由美と同じく情報収集担当の少女とのことだ。一人忙しげにしているので、魔優子は挨拶も紹介もそこそこに済ませた。
そのまま魔優子は怪しい広々とした空間に訓練の為に連れてこられた。
「てか何でこんな危険な訓練する必要があるのよ? これじゃ特訓じゃない! アザだらけよ! てか、何よこの地下施設は?」
そしてその訓練の結果、魔優子はアザだらけになったという訳だ。
「世界の危機だからね。キューピッドスコアの確認とか。ストレステストとか。国が私達の仕事にお金を出してくれているのよ」
「それが何よ――痛いって!」
「ここもそうよ。そんな訳で、血税つぎ込んで作った地下施設なの。全部使わないと、市民オンブズマンに何言われるか分からないわ。お役所も大変なのよ、魔優子ちゃん」
「私は特訓の中身を訊いているのよ!」
魔優子が訓練に連れてこられたのは、五十メートル四方程の広さに十メートル程の高さがある無機質なコンクリートの空間だ。
コスチュームに着替えた魔優子は、弓を片手に一人その巨大な空間に取り残された。
始まったのは光の球による襲撃だ。光球は蓮華が左手を鳴らす度に、虚空より何処からともなく現れると魔優子に向って飛んできた。
蓮華は魔優子に飛んで避けろと言う。魔優子はその意味が分からないまま、十数発の光の球に激突された。
「痛いっ! 痛いって!」
「魔優子ちゃん! 背中の羽はキューピッドの羽! 意識を集中して!」
隣室からモニター越しに、蓮華が陽気にアドバイスを送る。その横ではやはり背の小さな少女が、頭上に作った小さなマゲを揺らして慌ただしく機械類を操作していた。
「羽? 羽が何よ!」
魔優子は片足を上げ、身をよじり、首をのけぞらせながら、蓮華に聞き返した。
そのおかしな格好の魔優子の身をかすめて、光球が飛び去っていく。
「羽よ! 羽! 飛べるのよ!」
「飛べる訳ないでしょ!」
「スパッツはいているから大丈夫だよ、魔優子ちゃん! 飛べるわ! 下から覗かれても平気よ!」
蓮華が鼻息荒く力説する。
「そういう問題じゃなくって……」
「大丈夫だよ! 魔優子ちゃん! 自分を信じて!」
「エーッ?」
一際大きな光球が出現した。魔優子の頭程もある光の塊が、鳩尾めがけて飛んでくる。
「きゃーっ!」
魔優子は悲鳴を上げて、身を屈めようとする。
そこに――
「魔優子ちゃん! 羽よ!」
蓮華の声が響き渡った。まるで頭の中で直接叫んだかのように、その言葉が羽のイメージとともに魔優子に叩きつけられる。
「――ッ」
魔優子は一気に体を伸び上がらせた。雷にでも打たれたかのようだ。そう、まるで蓮華の一言に、打たれたかのように伸び上がる。同時に背中の羽が力強く光った。
グンッという重力に逆らう感覚とともに、魔優子の体が宙に持ち上がった。
「何?」
「さすが魔優子ちゃん!」
魔優子が驚きに目を見開き、蓮華が喜びに声を上げる。
見れば魔優子の遥か下で、光球が床に激突して弾け散っていた。
魔優子は天井ギリギリで身を翻す。天井を蹴って、壁に向って降下し出した。今度は壁の手前で身を捩ると、余裕を持って旋回できた。
「何これ?」
魔優子は右に左にと体を揺らし、その滑空感を確かめる。二、三度旋回すると、思った通りに体が宙を滑り出す。
「空飛んでるの? 私?」
「そうだよ。まあ、地下だけど」
蓮華が嬉しそうな声でモニターから答える。
「空もいける?」
「外で飛べばね」
「ウッヒャー! 楽しみ! 蓮華! これ楽しい!」
魔優子は先程までの不満も不安も吹き飛んだかのように、興奮気味に宙を舞った。
二、三宙を舞うや、完全に羽の力を自分のものにし始めた。壁と天井をスレスレで飛んでみせたかと思うと、地面に急降下し、一気にまた上昇してみせる。
光球を避けるどころか、その後ろに回り込む。複数の光球の間をすり抜け、わざと錐揉みしながら自分から向っていったりもした。
もはや光球は一つも当たらない。
「へへん」
魔優子は大げさに旋回すると、空中で嬉しそうに身を翻してやっと止まった。
「では、次の特訓だよ! 魔優子ちゃん」
蓮華のその楽しそうな言葉とやはり鳴らした指の音に反応し、魔優子の周りに無数の光の球が現れた。