レン編
帰って来たかった。
レンのところへ。
捨ててしまった、自分の居場所。
ただ、本当に戻って来て良かったのだろうか。
「イチイ?」
声を掛けられ、はっとする。
「あー、ごめん」
作業中にぼんやりするなんて、集中力が足りてない。
「どうしたの?ぼーっとして。・・・レンと何かあった?」
「何もないけど・・・何で?」
「聞き返すところがあやしいなー」
「・・・・・・」
じとりとトマを睨んだ。
「あはは、怒んないでよ。でも本当に何かあったの?おかしいよ」
「んー・・・それが・・・」
今朝届けられたばかりの文を取り出し、トマに差し出した。
「レンのおかあさんからなんだけど・・・」
「見ていい?」
イチイが頷くと、トマは文を手に取り読み始めた。
貴族特有の長い挨拶文から始まっていたが、要するにレンが結婚しないから説得してほしいということだった。
レンは王族で年齢も20代半ばである。
上兄弟は皆結婚しており、流れとしてはレンの結婚の話が出て当然である。
「それでイチイは、何で悩んでたの?」
「レンが結婚するとなると、勿論あの家に住むことになる」
「・・・そうだね」
「レンは家族だって言ってくれたけど、相手の人がそう思ってくれるかと言えばそうじゃないと思う」
それはそうだ。
イチイはよく男に間違えられるとはいえ、列記とした女である。
しかもレンがイチイに好意を持っていることは見ていればわかる。
例え政略結婚でも相手に好きな人がいるのは面白いものではないだろう。
「レンは私に気を遣って結婚しないのかもしれない」
「気を遣って?」
「そう。だって”結婚するから引っ越して欲しい”って言い難いと思うし」
この世界に身寄りがないイチイにとって、レンだけが家族だ。
大きな家を買って使用人としてイチイを雇うにせよ、以前から2人で住んでいた事実は変わらない。
おそらく愛人だと思われるだろう。
「そう考えると早々に引っ越した方が良いんじゃないかって」
正論である。
ただレンの気持ちを考えると少々複雑だ。
しかし。
とりあえず黙っていよう、面白そうだから。
トマはそう結論付けて、レンに話してみたら?と提案した。
「レン」
「ん?」
「あの・・・引っ越そうと思うんだ」
「・・・何で?」
不機嫌丸出しの声だ。
「ほら、仕事も忙しいし店の3階に引っ越そうかと思って」
「別にここでもそんなに変わらない」
菓子屋は隣だし雑貨店もすぐそこだ。
食堂だけが少し離れているが、それでも10分と掛からない。
「でも朝が早かったり夜が遅かったりすると何となく気兼ねするっていうか」
これは以前から気にかかっていたことだ。
学校に通っていた頃と違い、生活が不規則になっている。
「・・・そんなに・・・」
「え?」
「何でもない。イチイの好きにすれば良い」
レンは立ち上がり研究室に入って行った。
基本的に研究室は立ち入らない。
それが暗黙の了解となっている。
「レン・・・」
力ないイチイの呟きがレンに届くことはなかった。
だけどこれで良いはずなのだ、きっと。
イチイはそう自分に言い聞かせた。
引っ越してから2週間。
引っ越したと言っても、レンの家の家事は今まで通りイチイがこなしている。
レンはしなくて良いと言ったが、イチイはしたかった。
せめて本当にレンが結婚してしまうまでは。
「今日はハンバーグドリアだよ」
ケチャップで味付けしたライスにホワイトソースをかけ、ハンバーグとチーズを乗せてこんがり焼いた一品だ。
サラダとスープをセットにテーブルに置く。
「器も熱いから気をつけてね」
「熱い」
「熱いよ」
はふはふと勢いよく食べるので、なおさら熱いと思う。
レンはこってりしたものが好きなので、ホワイトソースもチーズも好物だ。
「・・・一緒に寝たくなかったのか?」
「はい?」
「一緒に寝るのが嫌で、出て行ったのか?」
出て行ったと言われると、何だか家出とか離婚とかそういう単語が思い出される。
「違うよ。生活が不規則になったからで・・・」
「母上に何か言われたんじゃないか?」
気付いていたのだろうか。
「・・・それもある、けど」
「何を?母上はイチイのことを気に入ってたし、出て行けなどとは言わないと思うが」
「出て行けなんて言われてないよ。ただレンが結婚するように説得してほしいとは言われたけど」
「・・・結婚」
「だから私が家に住んでると邪魔になるんじゃないかって思ったんだ」
「・・・イチイは結婚して欲しいのか?」
「私がどうこうではなくて、王族とか貴族とか婚姻が義務だって言ってたから・・・」
「結婚しても何とも思わないんだろうな・・・」
「え?」
イチイが聞き取れず聞き返すと、レンは何も言わずに出て行った。
「またこのパターン・・・」
取り残されたイチイは一人ごちた。
「と、いうわけで。何か最近レンの機嫌が悪いんだよね。どうしたら良いと思う?」
トマはイチイの相談を受けて、盛大に顔を歪めた。
「うーわー面倒くさ」
「え、何それ。酷くないかな」
「酷くないよ。まどろっこしすぎて面倒くさいよ。いい大人が」
いい大人。
確かに20歳を過ぎたいい大人ではあるが。
「じゃあどうすれば・・・」
「2人が結婚すれば良いよ。レンの機嫌はそれで治る」
「それは無理だ」
「何で無理?」
「チガヤの王族は婚姻相手は侯爵以上だって言ってたし」
「大丈夫、何とでもなるって。特にレンは王位を継ぐわけでもないし」
トマは軽く言うがそういう問題ではないと思う。
「それに・・・その、レンは私を・・・女性として見てないと思うし」
「何で?」
「家族、だし?」
「何でそこで疑問形なの?他に何かあるんじゃないの?」
「・・・・・・一緒に寝てても、何もしてこないし」
「・・・・・・ぶっ、ぶはっははははははははははははっ!」
「・・・そこまで盛大に笑わなくても」
「あはっあはははははっそ、そんなこと気にしてたんだっ!?」
「そんなことって・・・割と重大だと思うんだが」
「あー面白い。面白すぎる。さすがイチイ」
とりあえず手元にあったおもちゃを投げつけてやった。
トマ開発中の柔らかいボールである。
難なくキャッチするので面白くない。
「要するに手を出されたかったんだね」
「なっ!!」
「あはははは、かーわいー!」
真っ赤になったイチイをトマが笑う。
「イチイ」
「ぎゃああああああ!」
そこでまさかのレン登場。
走ってきたらしく、息切れしている。
レンに名前を呼ばれ余程驚いたのか思わず叫ぶ。
そこにトマがひらりと魔方陣の書かれた紙を取り出した。
「ま、まさか・・・」
とても見覚えのある魔方陣だ。
魔方陣から魔方陣へ、声を運ぶものである。
「あー面白い。ようやくまとまりそうで良かった良かった。じゃあおれ下行ってるから」
トマに逃げられてしまい、イチイは青くなった。
どこからどこまで聞いていたんだろう。
合せる顔がない、というか恥ずかしすぎる。
「イチイ」
「・・・はい」
何を言われるのか。
考えるだけで心臓が飛び出そうだ。
「手を、出して良かった、のか?」
「そこ!?」
「いや、婚約前に手を出すのは・・・」
「正論なんだろうけどそういう話だっけ・・・」
「ああ、すまない、動転してるんだ」
レンは深呼吸をして、イチイの手を取った。
「イチイ・モンテ・ハロン・ヒツジ子爵殿」
今までにないくらい、真剣な表情。
「私レナード・アレクシス=グラッドストーン・デ・カディネットの伴侶となって頂きたい」
「・・・はい?」
「結婚しよう、イチイ。本当の家族になりたい」
「家族」
「書類上も家族になろう」
名前が全く聞き取れなかったなぁなどと考えつつも、イチイはこくりと頷いた。
「良かった・・・。じゃあ、家も戻って来てくれるよね?」
「そ、そのうち」
「そのうち?」
「・・・明日から私長期出張なんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
機嫌が急降下してしまったレンに、うろたえるイチイ。
「あ、出来るだけ早く帰ってくるから!それにお土産も買ってくるし、それに・・・!」
言い終わらないうちに、レンに引き寄せられ、キスされた。
触れるだけのキスで、初めてというわけでもないのに恥しい。
絶対顔赤い。
「え?っい!」
何でだ。
キスで油断させといて噛みつくとかない。
そもそも何で噛みつくんだ。
「レン、何で噛みつくんですかね。痛かったんですが」
「印?」
「はい?」
「マーキングだよマーキング。出張、行ってらっしゃい。帰ってきたら覚えといてね?」
イチイはその絶対零度の笑みに頷くしかなかった。