2 キックボクシング
2025.11.6
2エピソードを結合しました。
次の月の週末に早速見学を受けさせてくれた。
頼まれた次の日には予約の電話を入れてたらしい。
圭一の親は行動力だけはあった。
おかげなのか熱が冷めることなくキックボクシングの世界に足を踏み入れるが来たのだ。
未だに親には頭が上がらない。
これがおそらく僕の人生における。
おそらく一番最初のターニングポイントだったと思う。
ジムは最寄りのN駅から二駅下ったT駅。
徒歩6分で商店街のど真ん中に『遠藤ジム』はあった。
二階建ての建物で2階が居住用、一階が丸々ジムと行った造りになっている。
少し汚れた外壁に『遠藤塾』の看板が掲げられている。
白い背景に墨で書かれた様な達筆で力強い文字列。
隣のバターの芳醇な香りがする隣のパン屋さんと比べる。
まず最初に感じたのはオーラが違うことだった。
フワァって聞こえてきそうな佇まいと比べてこっちはドン!!っ感じ。
ガラス張りの入り口から小さな部屋に大きなリングがギュウっと詰め込まれている。
テレビで見たのより大きいんじゃないか?と圭一は感じたり
そう思っていると圭一の母は圭一を置いてズカズカと入っていく。
気まずくなりそうだからと慌てて追いかける。
扉を開くとバターの匂いが汗の匂いに変わった。他人の汗って不思議で臭うわけじゃないのに空気が変わるのだな、と感想をこぼす。
それと合わせて革の香りも吹き込んでくる。
グローブやリングやミット。
それらの匂いが汗に混じって鼻を通ってゆく。
リングでスパークリングをしていた2人のうち一人がこちらに気付いて近寄ってきた。
真っ赤なシャツで一番目立っている方だった。
「ここのジムのコーチをやらせてもらってる遠藤です!わざわざ連絡までしていただいてありがとうございます!」
彼は遠藤悟。
185cm95kgの筋肉質で浅黒い肌を汗で濡らしながら彼は自己紹介をした。
当時の彼は横を3mmで剃り込んだツーブロックにしていて汗に負けず髪が立っていた。
道場に入るなりヘッドギアとグローブを付けさせられた。頭と手からリングと同じ革と汗の匂いがする。
リングと一体になったみたいでちょっとおえぇって感じだったけど不思議と不快な気持ちにはならなかった。
ワクワクの方が勝っていたからね。好奇心は何よりも優先される。人はそうやって進歩してたってのをこうやって実感したよ。なんでもできる気がしたんだ。
初めての防具を着けるのに苦戦している間に遠藤は革で覆われた四角いマットと枕の中間のようなものを持ってきた。ミットだと後々教えてもらった。
僕の準備が終わるまでの間、そのミットを抱えながらストレッチしていた。腰を回したり足を伸ばしたり。
「先生、準備できました」
「よし早速蹴ってみるか!」
先にキックの練習かい!苦労してやっとグローブしたのにと内心ツッコミを入れたね。それでも嫌々ながらも構えた。
まだ何も習ってないので構え方すら分からない。星の巨人のようなファイティングポーズになってしまう。
それを見て遠藤も構える。
肩幅ほど足を広げて。胸の前にミットをピッタリとくっ付ける。膝、腰の順番に重心を落とす。素人でも分かるような完璧な受けの体勢だった。蹴ったこっちの方がダメージを受けそうな印象だ。
……。
………。
…………。
「いつ蹴ってくるんだよ!」
今度は遠藤がツッコんできた。そんなこと言われてもどうしようもないよね。こっちは素人で蹴りなんてしたことないんだから。
そもそも蹴っていいタイミングすら知らないんだから。慣れてしまうと分からない人の典型だよね、ほんと。そのくらいは口で教えてもバチは当たらないんじゃないかな。
「いいんだよそんなもん。とりあえずやってみろ」
遠藤はニヤニヤしながら再び構え直した。
この時に誓ったんだ。遠藤の顔にいつか回し蹴りの一つでも喰らわしてやるってね。叶わなかったけど。
僕は気を取り直して我流のポーズを取る。左足を前にして。両腕をギュッと構えて。右足を目一杯振り上げる。
太もも、脛、足の順番にミット目掛けてぶつけた。テレビで見たような横蹴りをイメージしながら。これがこのときの精一杯の反撃だった。
パフッとされた様な音を聞いた。そのまま反動でバランスを崩して尻から倒れ込む。
蛍光灯を背景に遠藤が見下ろしてきた。手が差し伸べられて僕は立ち上がる。さっきの悔しさとか情熱とか忘れて呆然としていた。
何が起こったのか頭が追いついていなかった。
「キックってのはこうやるんだ。ちょっと待っててな」
遠藤は「山田!」と声を上げながら奥で縄跳びをしていた青年を呼んだ。
彼はこちらに気付くなり中断して縄跳びを壁に寄せて丁寧に床に置く。慌てることなく小走りでこちらにやってきて遠藤からミットを手渡された。
「実際に蹴ってみてどう思った?想像通りにいかなかっただろう。だが構えは良かった。あれはあのままでいい」
遠藤は構える。ピタッと臨戦態勢に入る。
「だが力は入れない様にする。すぐに打ち込めるようにな。リラックスを心掛けるんだ。両足の重心も均等に。」
説明が続けられる。僕は食い入るようにそれを聞いた。
「そして、キックだが。お前はさっきどう考えながら体を動かした?左足に重心をかけて。右足を上げて。股、膝、足首の順番で動かしたんじゃない?違う。ワンモーションで同時に行うんだ」
遠藤が再び構える。山田と呼ばれた青年も同時に構える。先ほど遠藤が見せた態勢よりもより低く、より幅広くミットを固定する。
スッと息を吸い込みミット目掛けて。山田の横腹目掛けてキックを放った。股から指の先まで。全身が同時に動作して蹴りという一つのモーションを繰り出した。
バァンという気持ちの良い音が鳴り響く。僕の音とは大違いだ。
「……先生。僕にも同じようなことができるようになりますか?」
思わず聞いてしまったんだ。感動してしまったんだ。その問いかけに遠藤は即答した。笑顔で。
「もちろん!」
彼が初めての僕の人生における先生になったんだ。




