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第二十話:偽りの誘惑と、涙の中の真実

「暴食」の魔王ベルゼブブを討伐し、王都に食糧の恵みを取り戻した俺は、心身ともに疲労困憊していた。だが、強化された軍の活躍と、人々からの感謝の言葉が、俺の心を支えてくれた。アスモデウスとの戦いで生じた疑念は、彼女たちの愛と、人々の信頼によって、少しずつ薄れていったはずだった。


 夜、俺は執務室で次の「大罪」について思案していた。残るは「嫉妬」のレヴィアタンと「憤怒」のサタン……いや、どちらも討伐済みだ。残るは「傲慢」のルシファー……も討伐済み。あれ?一体何が残っているんだ?


【無限の図書館】を再度開く。全ての「七つの大罪」が討伐済みになっている。最後に残るのは、最大の脅威、魔神王ヴァルファスのみ。


(うっかりしていた。しかし、これで、いよいよ最終決戦か……)


 そんなことを考えていると、コンコン、と執務室の扉がノックされた。開けると、そこに立っていたのは、セレスティーナ、エミリア、フローラの三人だった。


 三人は一様に、薄く肌が透けるようなネグリジェを身にまとっている。意外だった。いつものように俺から誘う前に、彼女たちから訪ねてくるのは初めてだった。


「王子様……今夜は、わたしたちと、一緒にいてくれませんか?」


 セレスティーナが、頬を赤らめながら、はにかむように言った。その瞳は、期待と少しの不安に揺れている。


「今日の功績を、心からお祝いしたいのです。そして……」


 エミリアが、珍しく言葉を濁した。だが、その視線は俺への深い想いを物語っていた。


 フローラもまた、慈愛に満ちた眼差しで俺を見つめた。


「勇者様……貴方のお心が、少しでも安らぐのなら……」


 三人の言葉に、俺は一瞬、戸惑いを覚えた。いつも俺から誘っていた夜の逢瀬に、まさか彼女たちから誘われるとは。しかし、その誘いは、俺の心を温かく包み込んだ。


「ああ……喜んで」


 俺はそう言って、彼女たちを迎え入れた。


 しかし、寝室へと向かう道すがら、俺の心に、突然、冷たい恐怖が襲いかかった。


(まさか……これも、アスモデウスの幻影なのでは……?)


 アスモデウスは倒したはずだ。だが、あの魔王の能力は、精神に深く根を張る。


 もしかしたら、まだ完全に影響から逃れられていないのかもしれない。もしかしたら、アスモデウスはまだ滅んでいないのかもしれない。


 だとしたら、彼女たちのこの積極的な誘いも、俺の心の隙を突くアスモデウスの新たな精神攻撃なのではないか?




 ベッドの上で、三人が俺を囲む。セレスティーナの温かい手が、エミリアの吐息が、フローラの優しい眼差しが、俺に触れる。その一つ一つが、本物であると信じたい。しかし、同時に、疑念が頭をもたげる。


(これは、本物なのか? それとも……俺を再び惑わすための、巧妙な幻影なのか?)


 突然、脳裏にアスモデウスの声が響いた。


『ククク……どうです?甘美な誘惑に身を委ね、悦びに溺れましょう。所詮、貴様も、この程度の存在……』


 それは、耳から聞こえる音ではなく、俺の心に直接響く声。


『そして、その愛、本当に信じられますか?所詮、貴様はチート能力に溺れた、からっぽの英雄。彼女たちは貴様の力に魅了されているだけだ。もし力を失えば、貴様など、ゴミ同然……』


 アスモデウスの声は、俺の最も恐れる言葉で、俺の心を責め立てる。その言葉は、まるで鋭い氷の刃のように、俺の心を凍らせていく。


 セレスティーナの笑顔が、エミリアの信頼が、フローラの慈愛が、途端に薄っぺらい仮面に見えてくる。


 俺は三人から離れて、思わず身を固くした。触れ合っていた肌の温かさが、幻影の冷たさに上書きされ、俺の心は混乱した。


「王子様……どうしたのですか?」


 セレスティーナが、心配そうに俺の顔を覗き込んだ。その瞳は、純粋な光を宿している。


 エミリアが、そっと俺の額に手を当てた。


「あなた様、体がとてもつめたいですわ……もしかして、どこかお加減でも……?」


 フローラが、俺の顔を覗き込み、その聖なる光で俺の体を包み込んだ。


「勇者様……貴方の心が、深く傷つき、揺らいでいるのを感じます……」


 彼女たちの言葉、その声、その仕草……本物だと信じたい。しかし、あの幻影があまりにも鮮明で、完璧だったために、俺の心は信じることができない。


 俺は、堪えきれなくなった。チート能力で全てを解決してきた俺が、今、最も弱い部分をさらけ出す。


「……頼む……みんな、怖いんだ。助けてくれ……信じさせてくれ……」


 俺はそう呟き、彼女たちの顔を順に見上げた。その瞳から、熱い涙が溢れ出した。


「俺は……アスモデウスに……お前たちの幻影に……からっぽの英雄だと……ゴミ同然だと……言われた……」


 言葉が震え、涙で視界が滲む。三人の顔は、もう見えない。


「分かっているんだ……あれは幻影だと……でも……でも、俺は……っ、本当に……お前たちの愛が本物なのか……俺が、力のないろくでなしに戻ったら……お前たちは、みんなは、俺から離れていくんじゃないかって……っ、怖いんだ、怖いんだ……!」


 俺は、抑えきれない不安と恐怖を、彼女たちにぶつけた。日本で誰からも必要とされなかった自分の過去が、アスモデウスの言葉によって、再び俺を縛り付けていた。


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっているだろう俺は、恥も外聞もなく三人を見つめた。そこには、彼女たちの顔には、深い悲しみと、そして揺るぎない愛情が浮かんでいた。


 セレスティーナが、涙を流しながら俺の顔に触れた。


「王子様……! そんなこと、絶対にありません! わたしは、あなたが、あなただから! 王子様だからじゃありません! わたしはあなたが好きです!」


 エミリアが、俺の涙を拭いて、その瞳を真っ直ぐに見つめた。


「あなた様……あなた様が、わたくしに希望を与えてくださった。それは、あなたの力が消えても、決して変わらない真実です。わたくしは、あなた様と共に、この世界で生きたいのです」


 フローラは、俺を強く抱きしめた。その聖なる温もりが、俺の心の奥底に染み渡る。


「勇者様……貴方は、私たちにとって、何よりも大切な存在です。貴方の力は、貴方の心が紡ぎ出す光です。私たちは、貴方という人間を愛しています。決して、離れることなどありません」


 三人の言葉が、俺の心の闇を打ち消すように響き渡った。彼女たちの抱擁が、俺の不安を溶かし、温かい光で満たしていく。


「……みんな……」


 俺は、嗚咽を漏らしながら、彼女たちを強く抱きしめ返した。俺の涙は、もはや恐怖の涙ではなく、安堵と感謝の涙だった。


 この「全部盛り」の異世界は、俺に最も深い傷を与え、最も深い愛を与えてくれた。チート能力は、俺を強くするが、本当に俺を支えているのは、彼女たちの揺るぎない愛だ。






 肌と汗で求め合った俺たち。相変わらず三人はすょすょと眠っていて、俺は月の光を見つめていた。


 いよいよ魔神王ヴァルファスとの最終決戦だ。そして、その先には、彼女たちと共に、この世界で生きていく未来がある。

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