第十三話:戦い前の逢瀬と、胸に宿る一抹の不安
「憤怒」の魔王サタンを討伐し、王都の危機を救った俺は、しばしの休息を得ていた。
残る「七つの大罪」もわずかとなり、いよいよ魔神王ヴァルファスとの最終決戦が近づいているのを肌で感じていた。だが、その前に、どうしても彼女たちと穏やかな時間を過ごしたかった。
夜、あの大きなベッドのある寝室には、セレスティーナ、エミリア、フローラの三人が集まっていた。
柔らかな月の光が窓から差し込み、部屋を優しく照らす。昼間の激しい戦いの痕跡など、ここには微塵もない。
「王子様、今日は本当にすごかったです! あの暴動が、まさかあんなにもあっという間に鎮まるなんて! ……でも、ごめんなさい、私たち王族がもっと早く行動を起こしていたら……」
セレスティーナが、俺の胸に頭を預けながら、泣きそうな声で呟く。その幼い顔は、今日一日の出来事に安堵しきっているようだった。
「これからよくしていけばいいじゃないか。そう思うだろ、エミリア」
「ええ。あなた様の力は、この国の平和を確実に近づけています。感謝しても、しきれません。それにセレスティーナ様、今回のことは普通の人間ひとりでは背負いきれるものではありませんわ。どうか、あまり自分を責めないでくださいまし」
エミリアが、そっと俺の手に触れ、セレスティーナの頭を優しくなでた。
彼女の目には、かつてのおびえや不安に満ちたものではなく、深い信頼と尊敬が宿っている。彼女の人生を変えられたこと、そして彼女自身がこの国の役に立っていることを実感できるのは、俺にとっても大きな喜びだった。
フローラは、神聖な輝きを放ちながらも、その瞳には深い愛情が宿っていた。
「勇者様……貴方の存在こそが、この世界にとっての希望です。その光は、どんな闇をも打ち払うでしょう」
彼女の言葉は、いつも俺の心に温かい光を灯してくれる。
俺は、そんな彼女たちの温もりを全身で感じていた。
肌が触れ合い、互いの体温が溶け合う。言葉がなくとも、その存在自体が、満ち足りた幸福を与えてくれた。キスを交わし、互いを確かめ合うように抱きしめ合う。
それは、激しい情欲というよりも、明日への不安を忘れさせるような、深い安らぎと愛情に満ちた逢瀬だった。
彼女たちと過ごす時間は、俺にとって何よりも大切なものだ。しかし、この至福の中で、俺の心に一抹の不安がよぎった。
(もし、魔神王を倒し、全ての「大罪」を討伐したら……)
俺は、チート能力を使って、次々と困難を解決してきた。人々は俺を英雄と祭り上げ、感謝する。
だが、もし、この世界の全ての脅威が取り除かれたら、俺は一体どうなるのだろう?
俺は、日本でろくでなしだった。誰からも必要とされず、社会の役に立つこともなかった。この世界に来て、ようやく自分の存在意義を見つけ、自己肯定感を得られた。
だが、もしこの「全部盛り」の使命が終わってしまったら、俺は再び、あの無意味な存在に戻ってしまうのではないか?
俺が不要になったら、彼女たちは俺から離れていってしまうのではないか? そんな不安が、深く俺の胸に突き刺さった。
彼女たちは、安らかな寝息を立てて、深い眠りについている。俺は、そっと体を起こし、窓の外の月を見上げた。満月は静かに輝き、俺の不安を見透かしているかのようだった。
どれほどの時間がそうして過ぎたか、俺は一睡もできないまま虚空を見つめ続けていた。
朝の光が差し込む中、最初に目を覚ましたのはフローラだった。彼女は俺の不安げな表情に気づいたのか、そっと俺の頬に触れた。
「勇者様……何か、お悩みですか?」
その優しい声に、セレスティーナとエミリアも目を覚ます。
「王子様……?」
セレスティーナが、心配そうに俺の顔を覗き込む。
「あなた様……?」
エミリアは、俺の表情から何かを察したのか、静かに俺の手を握った。
俺は、胸に抱いていた不安を、彼女たちに打ち明けた。
「もし、この世界の脅威が全てなくなったら、俺は……もう、お前たちにとって、必要なくなるんじゃないか……?」
俺の言葉に、三人は一瞬、顔を見合わせた。そして、次の瞬間、セレスティーナが俺の胸に顔を埋めた。
「そんなことありません! 王子様は、私にとって、この世界にとって、ずっと必要な存在です! たとえ魔神王がいなくなっても、王子様がいなければ、私たちは生きていけません!」
セレスティーナの言葉は、幼いながらも真剣で、俺の心を温めた。
エミリアは、俺の手をぎゅっと握りしめた。
「あなた様……あなた様がいなければ、わたくしは、今もあの謀略の闇の中にいたでしょう。あなた様が、わたくしの汚名を晴らし、生きる意味を与えてくださった。それは、この世界の脅威が消えても、決して変わらない事実です」
彼女の言葉は、俺の不安を少しずつ溶かしていく。
そして、フローラは、聖女としての慈愛に満ちた眼差しで俺を見つめた。
「勇者様の力は、単に敵を討伐するだけの『力』ではありません。人々の心を救い、希望を与え、そして、私たちに愛を教えてくださいました。世界の脅威が去ったとしても、勇者様がこの世界に残してくださったものは、永遠に輝き続けるでしょう。そして、私たちは、ずっとそばにいます」
三人の言葉は、俺の心に深く響いた。彼女たちは、俺がチート能力者だから必要としているわけではない。俺という人間そのものを、愛し、必要としてくれているのだ。
「……そうか。ありがとう、みんな」
俺は、再び彼女たちを強く抱きしめた。俺の不安は、彼女たちの温かい言葉と愛情によって、完全に消え去った。
もうハーレムなんていらなかった。この娘たちにそんな言葉は似合わない。
この「全部盛り」の異世界で、俺はチートとはいえ世界の役に立ち、日本で得られなかった自己肯定感を手に入れた。そしてなにより、愛する人たちとの確かな絆を手に入れたのだ。
たとえ魔神王との最終決戦が訪れても、俺はもう迷わない。絶対にやつを倒して、この世界で、彼女たちと共に、俺は生きていく。