プロローグ
轟音と共に、巨大なワイバーンが空から急降下してきた。 その影が王都の広場を覆い、人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。鋭い爪が、まさに広場の中央で遊んでいた子どもたちに迫る――!
「させない!」
俺の声が、黒く澱んだ空に響き渡る。次の瞬間、俺の全身から金色の光がほとばしった。魔物の咆哮も、人々の悲鳴も、俺の耳には届かない。ただ、目の前の脅威を排除する、その一点のみに意識を集中する。
俺は、一歩踏み出した。その動きは、時間の概念すら超越する。【神速の極み】が発動する。ワイバーンの爪が子どもたちに触れるより早く、俺は奴の懐に飛び込んだ。
「【覇王の剣】!」
創造されたばかりの、純粋な光の剣が俺の手に握られる。その剣は、存在そのものを斬り裂くかのような輝きを放っていた。俺は、躊躇なく剣を振り上げる。
「【根源の破壊:虚無】!」
俺の剣がワイバーンの巨体に触れると、その強靭な鱗も、分厚い肉体も、まるで砂のように崩れ落ちていく。ワイバーンの喉は、最期の苦悶の叫びすら上げることなく、虚空へと消え去った。
ワイバーンが完全に「無」に帰した跡には、ただ眩い光の残滓が漂うのみ。周囲にいた魔物たちも、俺の圧倒的な力に恐れをなし、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
広場に、再び静寂が訪れる。逃げ惑っていた人々が、恐る恐る顔を上げ、そして、俺の姿を見て歓声を上げた。
「勇者様だ!」
「勇者様が、また王都を救ってくださった!」
俺は、剣を消滅させ、子どもたちの元へ歩み寄る。彼らは、呆然と俺を見上げていたが、俺が優しく微笑むと、ホッとしたように瞳を輝かせた。またひとつ不幸を打破したこと、そして幸せを生み出せたことが何より嬉しかった。
*****
凄絶な戦いがあった日は、決まって体中の血液が沸騰するような熱さを覚える。
そんなときは、決まって三人の妻と愛し合うのが常だった。
ふたつの月が見つめる夜。王都の一角にある俺の屋敷の寝室。そこで俺と三人の妻は、深く深く愛を交わしていた。
「王子様……今夜も私に、存分に甘えてくださいね……」
セレスティーナの甘い吐息が、俺の耳元をくすぐる。純白のネグリジェは、俺が彼女を抱きしめたことですでに乱れ、その肌は桜色に染まっている。俺は彼女の胸元に顔をうずめる。彼女の髪のいい香りと、とくん……とくん……という優しい彼女の心音が俺を安心で包んでくれる。「王子様……赤ちゃんみたい。いい子よ、いい子……王子様……」優しくなでられる俺の髪。その優しい声音が俺を産まれたばかりのころに引き戻し、俺はすべてをセレスティーナの母性にゆだねた。
「あなた様……わたくしは、あなた様の知性にも、その強さにも、そして、何よりもその優しい心に惹かれます……。ですが、いまは、そのどれも、必要ではありません……」
エミリアが、普段の冷静な面持ちを崩し、情熱に身を任せて俺の胸に顔を埋める。そのしなやかな体は、俺の動きに呼応するように熱く応える。俺たちはお互いを力の限り抱擁し、それとは裏腹に優しいキスを続ける。そしてキスを終えると、ふたりしてほほ笑みあい鼻先をくっつける。
「勇者様……貴方の愛は、わたくしの魂を癒し、浄化してくださいます。どうか、お慈悲をお恵みください……」
フローラが、俺の手にそっと触れ、その聖なる光で俺の心身の疲れを癒してくれる。その表情は、深い安らぎと、神々しいほどの幸福に満ちている。彼女の穏やかな吐息が、寝室に甘い調べを奏でる。彼女のなめらかな指が触れたところはたちまちほのかな温かさで満たされる。俺も負けじと、彼女の体に指を滑らせる。お互いで触れ合う……たったそれだけのことが、愛おしくてたまらない。
そして高まりきった俺たちは、何度も飽きることなく本能を分かち合う。それは、最も原始的な、しかし素晴らしい愛のかたちだ。
愛に包まれた寝室は、まさにこの上ない幸福の聖域だった。
翌朝、王都の広場は、昨夜のワイバーンの襲撃の痕跡など、微塵も残っていないかのように穏やかだった。俺の【理の再構築:修正】によって、全てが完璧に修復されたのだ。
三人は、すぅ、すぅと穏やかな寝息を立てている。俺は彼女たちが起きないようにそっとシーツをかけて、その頬に優しくキスをした。
俺は普段着に着替えて、市民たちの中に紛れるように広場を歩く。もちろん、【存在の希薄化:隠匿】で、俺の存在感を薄めている。見つかると大騒ぎになってしまうからだ。
子どもたちが、楽しそうに鬼ごっこをしている。パン屋からは焼きたての香ばしい匂いが漂い、笑顔のパン屋の店主が、客と楽しそうに話している。花屋の店先では、色とりどりの花が咲き誇り、その香りが心地よい。
俺は、一人の少女が、転んで膝を擦りむいて泣いているのを見つけた。母親が慌てて駆け寄ってくるが、少女の涙は止まらない。
俺は、そっと少女に近づいた。【癒しの光:聖域】を、目立たないように、そっと彼女の膝に当てる。すると、擦りむいた傷は瞬時に消え去り、少女は目を見開いた。
「あれ? 痛くない!」
少女は、不思議そうに自分の膝を見つめ、それから満面の笑みで母親に抱きついた。母親も、何が起こったのか分からないまま、安堵の表情を浮かべて少女を抱きしめる。
俺は、その光景をそっと見守り、再び人混みに紛れた。
(俺は、英雄でなくても良い。ただ、愛する者たちと共に、この世界で、一人の人間として、幸せに生きていけばいい)
あのひとが語りかけてくれた言葉が、脳内で響き渡る。
俺はあらゆるチートを無限に使用できる「全部盛り」の存在。この能力は、確かに俺に力を与えてくれた。けれど、自分を肯定し、生きたいという気持ちを見出し、愛を教えてくれたのは、間違いなく周囲の人々と、三人の最愛の妻と、俺自身の魂だ。
この物語は、「全部盛り」のチートの使い手である俺が、三人の妻の愛、みんなの幸せ、そして、俺の生きる意味を見つけ続ける、新しい人生の物語だ。